同じだけ想いあえたら

「…わかった。もういい」
「あ、オロチ!ちょっと、」


待って、と続くはずだった言葉を最後まで聞かず、オロチはどろんと姿を消した。伸ばした手はもちろん届くはずがなく、宙ぶらりんになってしまう。


「参ったなあ…こんなつもりじゃなかったんだけど…」


今更何を言っても無駄である。手持ちぶさたになってしまった手を頭に持っていき、意味もなく髪の毛を鋤いてみる。通り抜けた指先と同時に、ため息も抜けていった。

そもそも、何でこんなことになっちゃったんだろう。事の発端を思い返してみると、9割は私が悪かった。…うん、どう考えても私が悪い。

平たくいえば、会う時間を少し減らさないかとオロチに持ちかけたのだ。

私とオロチが恋仲になってから、早くも三ヶ月がたった。彼は今までどおり変わりなく、学校にいく私を毎日送迎し、休みの日は一緒に過ごしてくれる。私にはもったいないくらい「できた」彼氏だと思う。けれど、オロチと付き合うようになってわかったことがひとつ。

彼はとても心配性なのである。それこそ一日中一緒にいないと安心できない!というタイプ。いや、これはほんと、意外だった。まさかオロチが…と何度思ったことか。

それは何に心配しているのかわかりかねるのだけれど、とにかく「心配だから」といって、一緒にいることが多くなった。

特に最近は学校の中にまでついてきている。授業中はふよふよと浮きながら私のそばで一緒に授業を聞き、昼休みも一緒。帰りはもちろん送ってもらい、バイトがあれば待っててくれ、そのまま家に送り届けてもらう。好きな人と一緒にいれるのだからそれは幸せだろう…と思うだろうが。こんなにも四六時中一緒にいると、正直…疲れてくるのだ。だって、オロチの視線が気になって仕方ない。時々は一人の時間だってほしい。

なるほど、これが倦怠期というやつか。もちろん私はオロチのことが、その、す、好きだし、一緒にいたいとは思うけれど。


「せめて学校の間だけはなあ…私も友達と話したいし…」


だからオブラートを何重にも包んで言ってみた。「無理して学校にまで来なくていいよ」って。しかし実際にはその後をうまくフォローできず、こうして喧嘩という形に発展してしまったのだけど。

私にも、今まで過ごしてきた「生活」がある。築き上げた人間関係も。私はそれを全部疎かにしてオロチと過ごすということをできるほど、「恋愛優先の乙女」ではなかった。それにオロチにだって「生活」があるはずだ。このさくらニュータウンを見守る大事な役割を担っているくらいなのだから、私にばかり時間を割いてくれるのはとても申し訳ない。


…私って結構恋愛に関してドライなタイプだったのかな。

今まで生きてきた17年間、恋愛未経験…というわけではなかった(これは景太に知られると煩いから秘密にしている)。少ないなりにも、それなりにセオリーだって知ってる。でも、何か今までの感覚と違う。こんな風に思うこと、あったっけ?

それは相手が妖怪だから?


「いや、でも妖怪とか人間とか関係ないよね…とりあえずオロチに謝らないと…」


自己分析をしている暇などない。とにかくオロチに謝るのが先決だ。私は小さくため息をつくと、恐らく彼がいるだろうおおもり山へと向かった。



「オロチ、ごめん」


つーん。

案の定というかなんというか、オロチはおおもり山の展望台で一人街を見下ろしていた。私が話しかけても、このとおり。つーん。である。一度たりとも私へ視線を寄越さないでそっぽを向いている。

いや、私が悪いんだけど、さ。


「あの、オロチさん?本当にごめんね」


でもさすがに、無視され続けるのも辛いものがある。普段どこか達観したような雰囲気を持つくせに、結構子どもっぽいんだなあと思った。


「ね、オロチ。本当に私が悪かったよ…」
「…一緒にいたくないのだろう?なら放っておけ」
「いやいや、そうじゃなくてね…」


ようやく声が聞けたと思ったら、明らかに「怒ってます!」という声色だった。いや、怒ってるというより、拗ねてる?


「オロチ〜…」


つーん。そんなに拗ねなくてもいいのになあ。
仕方がない。それなら恥ずかしい…けれど!


「あのね、オロチ。私、オロチのことすっごく好きだよ」


…言った!言ってやった!恥ずかしいけど、やっぱり喧嘩をしたらこれを言わないと、余計に話が拗れてしまう。恋人同士の喧嘩って、結局「そこに愛はあるのか」が争点なのだ。少ない経験を元に…って、あれ、私ってこんなに理論的だった?
ってか今までの経験を当てはめようとするなんて、何やってるんだろう私。最低。

…でもとにかくこれは本心だ。私は本当にオロチのことを好いている。それを読み取ってくれたのか、「…なら、なぜ」と、オロチもようやく「対話」の姿勢を見せてくれた。


「でもね、私、学校あるし、学校には友達がいるし…」
「だから俺のことなど気にせず過ごせばいい」
「そういうわけにはいかないよ…オロチがいるなら、オロチとも一緒に過ごしたいもの」


「だって私の好きな人なんだよ?」ここまで言って、ようやくオロチはちらりとこちらを見た。眉間のシワが少しだけ減っている。でもすぐにまた、つーん!なんだけど。


「私、オロチとお喋りするのが好きなんだよ。バイトの帰り道、今日学校であったこと、楽しかったこと辛かったこと…オロチはちゃんと、話聞いてくれるもんね」
「当たり前だ。お前の話なのだからきちんと聞くに決まってる」
「うん。だからね、その話をする楽しみ…無くなるの嫌だなあって」
「何…?」


オロチが再びこちらを向く。今度はすぐにそらさない。私はへらりと笑って、「オロチが学校にいたらネタバレになっちゃうからさ!」と言った。


「オロチが知らないこと、私はいっぱい話したい。それじゃダメ?」


ぐっ、とオロチが言葉をつまらせる。
一歩近付いて、オロチの手をとりのぞきこんだ。ぷい、と顔をそらされたが、つーん!じゃないだけまだましか。
何か私、機嫌を取ってる彼氏みたい。何だか理論的に解決しようとしてるし。あれれ、私男役なの?


「俺は…いつだって七海と一緒にいたい。心配だからな」
「うん…」
「だが、お前がそういうなら…我慢、する」


へにゃりと眉を下げて、オロチがこちらを見やった。「でもお前を想うくらいはいいだろう?」ちょっと、何か可愛いよオロチ!

それと同時に、気付いた。
私は現代に「生きる」人間だから、オロチとは「時間」の感覚が違う。オロチが無限にあると思う時間も、私には短くて、限られている。
それを最大限に楽しみたいと思う私は欲張りなんだろう。恋愛も、学校もバイトも。全部詰めこんで楽しみたいのだ。

でもオロチは違う。確かにさくらニュータウンを見守るという役割があるが、基本的には常に自由で…だから私を「想う時間」に多くを費やしてくれている。

私がオロチを「想う時間」と、オロチが私を「想う時間」。どっちが長いかなんて、考えなくてもすぐわかるだろう。


「俺は、お前に嫌われたくない」
「オロチ…」


嫌いになんて、なるわけないよ。

ああ、私こんなに「想われていた」のが初めてなんだ。だから私は自分自身をドライだと感じていたのかもしれない。

何だ。それって、すごく。


「お前が好きだ。朝から夜まで、ずっと一緒にいたいほどに」
「オロチ…」


幸せじゃないか。


「ありがとう、オロチ…。私も好きだよ」


握ったままの手を引っ張られ、私はオロチの腕の中へと入った。ぎゅーっと強く抱き締められて、頬に一つキスが落ちる。これにて私とオロチの喧嘩は終了したようだった。


「オロチ、明後日は学校もバイトも休みなんだ。一緒にどこか行かない?」
「そうだな…俺は七海と一緒にいられればそれでいいが」
「えーもう恥ずかしいなあ。じゃあナギサキはどう?あそこなら美味しい魚食べられるよ」
「それはいいな」


ようやくオロチは機嫌が戻ったらしい。私を抱き締めたまま、小さく笑みをもらす。


拗ねたり、子供っぽかったり。オロチと恋仲になったからこそ、見えた彼の意外な一面。今日は私が男役みたいだったけど、それもちょっと面白いなあと思う。


今日のオロチ、ちょっと可愛かったよ。って突然言ったら、オロチは何て言うかな?

また怒られちゃったりして。
そんなことを思いながらも、私はそっとオロチの耳元に口を寄せた。