美しき君との世界

※ウバウネ戦後の話




学校からの帰り道のことだ。
誰かに呼ばれたような気がして振り向いた先には、私が歩いてきた道ではなかった。あれ、と考える暇もなく、そのまま私の体が宙に浮く。


「え、え?!何?!」


ふわふわした何かに包み込まれて、振り向けば。


「やあ、七海」
「き、キュウビ…?!」


にやり、と楽しげに目を細めるキュウビがそこにいた。


「な、何?!何で私浮いて…?!」
「フフフ。落ち着きなよ。別に悪いことはしない」
「え、え?!」
「これくらいしないと、君、逃げるだろう?」


どうやら私は、キュウビのフカフカした毛皮に包まれているらしい。
長い爪で頬をつつかれ、私は思わず、首を竦める。だって怖いのだから仕方ない。
足元は宙ぶらりんだし、頼りになるものと言えば、キュウビの腕だけだ。背に腹は代えられないと思い、私は、キュウビの腕にしがみついた。


「いい子」


そう、キュウビが機嫌よく呟いた次の瞬間には、私は雲の上だった。





「あの、キュウビ…どこいくの?」


しばらく無言のまま空を飛んでいたキュウビに痺れを切らし、私を支える腕の主に尋ねた。機嫌よく「んー」とかいっているけれど、特に用事がないなら今すぐ下ろしてほしいのが正直なところである。
吹き付ける風はびゅうびゅうと冷たい。高度があるから余計なのだろう。もふもふしたキュウビの毛皮に包まれているからまだましだけれど…わずかに体が震える。私を抱くキュウビの腕に、きゅっと力が入ったような気がした。


「もう着くよ」
「え?」


どうやらちゃんと目的地はあったらしい。キュウビが徐々に高度を下げていく。雲の海を抜けて、地上が見えてきた。そこは私もよく知っている場所。


「さくら第一小?」
「当たり。僕のお気に入りスポットさ」


思ったより丁寧に下ろされて、私はさくら第一小学校の屋上に足をつけた。空を飛んできたせいか、足元が覚束ない。よろけた私を、キュウビが支えてくれた。


「大丈夫かい?」
「う、ん…あの、それより、何でここに?」
「特に理由はないさ。七海に逃げられずにすむならどこでも良かったしねェ」


ただ一緒にいたいと思っただけさ。
キュウビがそう言いながら、私の髪の毛を、その長い爪に巻きつける。わずかな恐怖心と妖艶な仕草にドキドキ胸がなっていた。


「ボクはここから眺める景色を結構気に入っていてね。ほら、なかなか夕日が綺麗に見えるだろう?」


すっと伸ばされた指先の先を辿る。フェンスの向こう側に、大きな赤い太陽があった。まるでこの街を全て燃やしてしまうような、そんな暴力的な色。まるでキュウビの狐火のようだ。
ふと隣を見上げる。キュウビは目を細めて、意外にも穏やかな顔でこの街を見下ろしていた。

キュウビは、この街やここに住む人間たちのことをどう思っているのだろう。それは、ふいに沸き上がった疑問だった。
景太からは、キュウビはこの街を結構気にいっているらしいと聞いたけれど…直接尋ねたことはなかった。


「キュウビ」
「ん、なんだい?」
「キュウビは…その、この街のこと、どう思っているの?」
「この街?」
「うん、この街…それから、ここに住む人たちのこと」


少しの沈黙が落ちる。私は手持ちぶさたな手を擦って、じっとキュウビを見上げた。キュウビは私を見下ろしてくる。それは、この街を見下ろしていた時と同じ、穏やかな目だった。


「ボクはこの街が結構気に入ってるよ。人間たちは、弱いなりに健気に生きている。もちろん醜い争いだってないわけではないだろうけど、そんなところも含めて、美しいと思うねェ」
「美しい?」
「一つの文化を作り上げている。ボクよりも下等なキミたち人間が、ね」


キュウビの言うことは、いつも難しい。私がわかるのは、その半分くらいだ。


「昔に比べて、この街は変わった。でも、変わらないものもある。それがなにか、キミにわかるかい?」
「え。えーと…」
「キミと同じように懸命に生きる人の心さ。ボクはそれがなにより美しいと思うし、守ってやりたくもなる」

「人の心…」
「だからこの街にいるのさ」


つまり、この街も人も、好きってこと?

哲学的な話は私にはわからない。でもキュウビがこの街も人も、好きだと思ってくれているなら、何だか嬉しかった。美しいものが好きなキュウビが美しいと言ってくれる。それだけで妙に誇らしい。それはやはり、彼が神と同等の存在だからなのだろう。


「キュウビ…この街を、守ってくれてありがとう…」
「何の話だい?ボクは何もやってないさ」


そう惚けるキュウビだけど、私は本当は知ってる。60年前、ここで行われた壮絶な戦いを。この街を守るために、キュウビや、他の妖怪たちが奔走してくれたのを。
面倒くさがり屋で、気まぐれで、何を考えているかもわからないキュウビだけど、確かにこの街のことを想ってくれているんだ。


「まあね、七海がケータから何を聞いたか知らないけれど、」


キュウビがすっと手を伸ばす。長い爪が引っ掛からないように、私の髪を撫でていった。


「キミのいる世界を、奪わせはしないよ。ボクはキミも、とても気に入ってるからねェ」


おいで、と促されて、私は抗うことなくキュウビに近付く。ふさふさの尻尾が絡み付いてきて、また温かな毛皮に包み込まれた。


「ああ、美しいねェ」



それが何を指すのか私は聞かなかったけれど、確かにキュウビのいっていたこの世界は、美しいと思った。