和平交渉
ふんふん、と鼻唄を歌いながら、ウィスパーは自慢の頭部を櫛で整えていた。時々鏡を見ては、キラリとキメ顔を確認している。
「ねえ、ジバニャン。今日のウィスパー…変じゃない?」
「んあー?ウィスパーが変なのはいつものことニャン」
「確かに…って、そうじゃなくてさー!」
今日も今日とてやる気のないジバニャンは、ウィスパーに興味がないのか、目線を移すことすらしなかった。おまけにチョコボーを食べながらごろごろしている。ついついハリセンに伸びそうな手をグッとこらえ、「ウィスパー、今日やたら気合い入ってるじゃん?おかしいよ」と言えば、ようやくジバニャンもそれに気が付いたらしい。「確かに…どっか行くニャンかねえ…」と相づちをうった。
「ウィスパーがこんなに上機嫌なのも珍しいよね…」
「ますますキモいニャン」
「ケータくん!」
「は、はいぃぃー?!」
まさかジバニャンの悪口が聞こえたのか、と思いさすがの景太も口を閉じた。思わず裏返ってしまったのは仕方がないだろう。「?どうかしましたか、ケータくん?」…聞こえていなかったようだ。良かった。
「えと、今日のウィスパー、何か気合いが入ってるね?」
「どっか行くニャン?」
「え?ああ、そうなんでうぃす!私、今日一日はケータくんの執事…お休みさせていただきます。よろしいですか?」
「え?ああ、それは別にいいけどさ」
「それでは夕方までには帰りますので…」
主人の了解を得た執事は、いそいそと扉の方へと向かった。何だか嫌な予感がする。「ちょっとウィスパー」「どこ行くニャン?」ギクリと揺れた白いボディを景太もジバニャンも見逃さなかった。
「ちょ、ちょっと…デートに…」
「で、デート?!」
「ウィスパーとデートしたがる奴なんているニャンか?!」
「んな!し、失礼ですよジバニャン!あたくしだってねえ、デートする相手の一人や二人…」
「じゃあ誰なの、その相手」
「え、えーと…」
「誰ニャン?早く言わないと…」
シュッシュッとジバニャンがエアボクシングをする。このまま黙秘を貫けば、恐らくひゃくれつ肉球が繰り出されるだろう。ウィスパーは視線を左右上下にさ迷わせたあと、観念したように呟いた。
「…七海さんでうぃす…」
「……なぁぁにぃーー?!」
景太とジバニャンの叫びが、見事に被った。
▼△
それは3日前のことである。
「全く…ケータくんもジバニャンにも困ったものです」
その日、偶然私は一人でいるウィスパーを見かけた。ぶつぶつと文句をいいながら、ため息をついている。ウィスパーはいつも弟の景太・ジバニャンと一緒にいるから、この光景は珍しい。
「はあ…執事っていうのも楽じゃないものですねえ」
まだぶつぶつ言ってる…ウィスパーってそんなに執事業頑張ってたっけ?どちらかと言えば知ったかぶって喚いてることのほうが多いような気がするけど。
でも景太の傍にいて、何かと見守ってくれているのは事実だ。
「はーあ」
その重いため息が何となく気になり、私はウィスパーに声をかけてみることにしたのだった。
果してウィスパーのため息の原因は、景太とジバニャンの自由奔放な行動に帰来していることがわかった。詳しいことはかくかく然々…とウィスパーからはぐらかされてしまいよくはわからなかったが。景太とジバニャンに振り回されるのは想定の範囲内である。意外にも、ウィスパーは執事という職柄きちんと気を使い、そして結構疲れがたまっているのかもしれない。
「ねえ、ウィスパー」
「はい?何でうぃす?」
「執事ってお休みもらえるの?」
「うぃす?」
「次の土曜日、バイトないから。どっか遊びにいかない?」
少しでもウィスパーのストレスが発散できるなら。そう思って彼を誘ったのが、ちょうど3日前のこと。
そういう経緯があって、今、私は部屋で出掛ける準備をしている。
「とりあえず疲れてるなら甘いものだよね〜カフェ・オシャレンヌがいいかなあ?」
あそこなら海も近いし、気分転換にもいいだろう。
ふと机の上にある時計を見る。既に約束の時間だった。そろそろウィスパー呼びにいくか。
「姉ちゃん!!」
「うわっ!ちょ、ケータ?!」
お約束というかなんというか、弟の景太がノックもなしに部屋に乗り込んできた。その後ろからジバニャンが続き、さらにその後ろには肩を落としたウィスパー…ああ、バレちゃったのね。
「姉ちゃん!ウィスパーとで、デートってほんと?!」
「ウィスパーでいいのニャン?!」
ウィスパーは私と遊びに行くのをデートと言ったのか。それなら景太たちが過剰反応をするのも仕方がない…のかもしれない。
それはさておき、ウィスパーのひどい言われようったら。そんなに言わなくてもいいのにねえ。
「うん、まあ遊びに行く約束はしたよ。たまにはウィスパーと二人でもいいかなあと思って」
「えーー!ずるいよ!その『たまには』を俺に使ってくれてもいいじゃん!」
「ええー?でもさ、ケータとはいつも遊んでるじゃない?」
「全然だよ!足りないくらいだし!」
「だから今日は俺と遊ぼ?」という景太の後ろに、一瞬キュン太郎が見えた気がした。
もう、何この子…そんなに私、弟を放ったらかしにしてたかな…。
どちらかと言えばくっつきすぎなような気がするのだけど。
「ケータ!ちょっと待つニャン!!オレっちだって七海ちゃんと遊びたいニャン!むしろ一緒にお昼寝したいニャン!!」
「はあ?!何いってんだよジバニャン!ジバニャンはいーっつも姉ちゃんが帰ってきたら膝の上を独占してるじゃん!」
「それとこれは別だニャン。そもそもそれは七海ちゃんも望んでることニャンだから文句言われる筋合いはないニャン。ねー?七海ちゃん?」
「えー…まあ、そうだねえ」
ジバニャンまで何を言い出すの…。
仕方なく頷けば、「ほら見ろニャン!」と胸を張る。「こんの化猫ー!」「何ニャン?やるニャンか?」もう姉ちゃんは疲れてきたよ。
「ちょ、ちょーっと待ってくださいよケータくん!ジバニャンも!!そもそも今日は私と七海さんが二人きりで約束してたのですよ?!二人きりで!!」
「だーかーら!俺はそれが気にくわないっていってんだよ!」
「何でウィスパーニャン?!こんなのと一緒に遊んだって楽しくないニャンよ!」
「あーたたち…大人しく聞いてれば失礼なことばかりズケズケとぉぉぉーー!」
「何、やるのウィスパー」
「いくらでも相手になるニャンよ!」
バチバチと火花の散る音がする。全く、どうしてこうなっちゃうかなあ。たかが外出するというだけで。今にも飛びかからんとする3人組を一見し、私は近頃癖になっているため息をついた。
ほんと、仕方ないなあ。
「はいはい。そこまで。もう喧嘩しないの」
「だあって姉ちゃん!」
「オレっちだって七海ちゃんと遊びたいのに!」
「わかったよ。そしたら、皆で遊びにいこう?それでいいでしょ?」
むしろ反論は認めん。腕を組みながら見下ろせば、ようやく彼らは大人しくなった。まだ若干不満そうだけれど。「いいよね?」再度念を押した。
「…わかった。じゃあ俺、準備してくる!」
「はいはい。そんなに急がなくてもいいよ」
「オレっちはこのまま七海ちゃんと待ってるニャーン」
バタバタ駆けて景太が部屋へと戻っていく。ジバニャンの頭を撫でれば、ゴロゴロと喉を鳴らし、ベッドの上で丸くなった。
とりあえず、この場は落ち着いたようだ。
「ごめんね、ウィスパー」
「うぃす?!いえいえ…皆さんで遊んだ方が楽しいですよ…きっと」
そうはいうものの、ウィスパーの肩は明らかに落ちていた。今度埋め合わせしよう。アッカンベーカリーの限定カレーパンでもプレゼントしようかな。
「姉ちゃん!お待たせ!」
そんなことを考えているうちに、早くも景太が再び部屋に戻ってきた。隣の部屋からの移動なだけだというのに息が切れている。急がなくていいっていったのに。
その姿に苦笑して、私は鞄を手に取った。
「じゃあ、皆行こうか?ケーキ食べよう」
「うん!」
「楽しみだニャー!」
「うぃすー」
笑ったり、喧嘩したり、コロコロと転がるように忙しい3人組だと思う。ウィスパーには悪いことをしちゃったけど、今日はもう、私は3人のためにこの身を捧げよう。
「姉ちゃん早くー!」
「置いてっちゃうニャンよ!」
どんどん先を駆けていく景太とジバニャン。
こりゃウィスパーも大変だね。そっとウィスパーに目をやれば、ちょうど目があって。私たちは苦笑しあったのだった。