今日のよき日に
※未来ネタ。年齢操作注意
「オロチは、これでいいの」
ぼんやりと窓の外を見ていた目をゆっくりと声の主に移せば、そこに見えたのは拗ねたように口をすぼめて、こちらを見ようとしない景太の姿だった。
めでたい日だというのに、その雰囲気は剣呑だ。
まだ許してもらえないのか、とオロチは内心苦笑してしまう。ちらり、と景太が視線だけをこちらに移したが、すぐに逸らされてしまった。
「これでいいもなにも、俺が望んだことだ」
「っだって!姉ちゃんは妖怪じゃない。人間なんだよ?人間と結婚したって、姉ちゃんは先に死んでしまう。オロチは取り残されるんだ!」
それでもいいの。景太は声を荒げて言う。
オロチはつめていた息をふっとはいて、再び窓の外へと視線を戻した。
今日はオロチと、景太の姉である七海の結婚式だった。オロチが彼女や景太と会ったのは、もう何年も前のことになる。初めて会ったときから七海にひかれていたオロチは、人間と妖怪の壁を気にすることなく、七海に想いを告げ、恋仲となり、そしてついに、こうして結婚することになった。もちろん、オロチは妖怪だから、人間に化けての結婚式だ。
オロチは妖怪のまま、七海は人間のまま、夫婦になることになる。
結婚を決めた時、初めから最後まで反対していたのは景太だった。姉のことを誰よりも慕っていた景太なのだから、当然だろう。ただそれ以上に、オロチと七海がいずれ悲しむこになるということを嫌ったのだ。
だから、結婚式当日になった今も、こうして怒っている。いや、拗ねているのほうが近いか。
考えてみれば、オロチは避けれられていたため、景太としばらく話をしていなかった。久しぶりの会話が、何とも気まずい。それはオロチだけでなく、景太も感じ取っているに違いなかった。それでも、「ねえ、オロチ」答えを促すように、景太はいう。視線はオロチに向くことはなく、言葉だけだ。
「七海が俺よりも先に死ぬことなど、わかっているさ。それでも、俺はあいつの隣にいたいんだ。誰よりも近い場所で。誰かにとられてしまうのが、一番つらい」
「でも、」
「短い時間でもいいんだ。七海に一番近いところにいた「男」が、「俺」だったという証明がほしい」
誰かに取られてしまうくらいなら、縛り付けてしまえばいいのだ。
契りという形で、ずっと、死ぬまで俺の隣にいるように。
それが、オロチのとった選択だった。
「…そんなの、わがままだよ」
「わかってる。俺はわがままだ。傲慢で、自己中心的だ」
「…」
「だが、たとえ七海が先に死んだとしても、俺はその短い時間の幸せを思って、在り続けることはできる。七海以上に愛する女など、でてくることはないんだ。それに、」
「…それに?」
「いつか、死しても、輪廻の時は必ずやって来る。その時を気長に待つさ」
オロチが言葉を切ると、その場には沈黙が訪れた。オロチの気持ちに、嘘偽りはない。だが、その気持ちは、どこまで景太に伝わったのだろう。これで許してもらえなくても、オロチが七海と別れることはないのだが。
いくほどの沈黙が流れたのか。再び窓の外へと視線を移していたオロチだったが、「姉ちゃんは、」と震えるような声を出した景太に目を向けた。
「オロチのことが、好きだって言ってた」
「…そうか」
「姉ちゃんがオロチのことを好きなら、俺は、反対なんてできない」
「そう、か」
「オロチ」
「ああ」
「絶対、幸せにしてよ。俺の、唯一の姉ちゃんなんだから」
オロチと景太の目が交わった。「…当然だ」ふっとゆるんだ空気が、肌を撫でたように感じた。
景太はおもむろに立ち上がると、オロチに近づいてきた。そして「ん!」とこぶしが突き出される。「ケータ?」「受け取って」オロチが手を出せば、景太のこぶしから、ころりと何かが落ちてきた。
「これは」
「返す。もうオロチは友達じゃないし」
オロチ、と書かれた妖怪メダル。オロチと景太が友達になった日、その証として渡したものだった。それが返されたということは、絶交宣言か。座ったままのオロチは、思わず景太を見上げる。前髪に隠れて、その表情はよく見えなかった。
「…オロチはもう、家族だもんね」
「ケータ…」
ああ、なんて俺は幸せ者なのだ。
返却されたメダルを、ぎゅっと握りしめる。「だから、もうメダル、いらないでしょ?」ゆっくり顔をあげた景太は、にっこり笑っていた。
「そうだな」
景太は随分と大人になったように思う。身長も伸びたし、声も低くなった。それでも、あの頃から変わらない。姉が大好きで、友達に優しい、景太のまま。
そんな景太と、今度は家族になるのだ。
オロチを見下ろす景太に、目を細めていると、突然ノック音が聞こえてきた。
「ご新郎様。お待たせしました!ご新婦の着付けが終わりましたよ。こちらへどうぞ」
扉が開いて式場の係りの者が入ってくる。「ご新婦様、きれいになられましたよ」にっこり笑顔を見て、オロチは立ち上がった。
「今行きます」
「はい。こちらへどうぞ」
準備は整った。これから結婚式が始まる。
長い時を過ごしてきたオロチだったが、この時ばかりはさすがに緊張せざるをえなかった。ゆっくり一歩を踏み出す。「オロチ」後ろから声がかかり振り返れば、にやりと笑った景太が。
「姉ちゃんのドレスを見るのは俺が一番!それくらい、許してよね!」
そして係の人の制止も聞かず、駈け出して行ってしまった。わずかに目が潤んでいたのは気のせいだろうか。
「ふふ。元気な義弟さんですねえ」
「…はい。自慢の、義弟なんです」
友達から、家族へ。たとえ種族が違っていたとしても、その中にある絆がすべてを許してくれる。オロチは小さく笑うと、再び一歩を踏み出した。自らが愛し、これからも守り続けていく、唯一の妻と、その弟の元へと。
▼△
「姉ちゃん!きれい!ちょーきれい!」
「あはは。ありがとう、ケータ」
新婦控室へ行けば、すでに景太はたどりついていて、姉の七海の周りをぐるぐると回っていた。「あーあ。オロチと結婚なんて俺、やだなあ」…先ほどの感動は何だったのだろう。相変わらずの様子に、苦笑しかない。
「七海」
「あ、オロチ…」
「げっもう来た」
「もう、ケータってば。あ、ちょっと飲み物買ってきてよ。のど乾いちゃった」
オロチと目配せした七海は、何かを察したのだろう。自然に景太を出て行くように促した。やはり長年このシスコン弟の姉をやっていたからか、その鮮やかな手口は素直にすごいと思う。むしろ景太をうまく誘導できるのは、この姉だけなのかもしれない。
「えー。しょうがないなあ。じゃあ、ちょっと行ってくる」
「うん。お願いね」
「わかった!…オロチ、姉ちゃんに手出したら許さないからね!」
景太はびしっ!と指をオロチに突きつけると、早歩きで部屋を出て行った。
これから夫婦になる男女に、手を出さないなど無理に等しいのに。
「もう。ケータってば相変わらず…。ごめんね、オロチ」
「いや、いいんだ。かわいい義弟だ」
「あはは。そうだね」
ゆっくり七海へと近づいて、オロチは白いグローブをした七海の手を取る。さらりとした肌触りが気持ちいい。そして同じ色のドレスを身にまとった七海を下から上まで眺めた。
まさに花嫁だ。
「ちょ、そんなにじっくり眺められると恥ずかしいよ…」
「いいだろう。今日しか着れないものなのだから。目に焼き付けておきたい」
「うん、まあ…確かに」
「…きれいだ」
「ん、ありがとう」
恥ずかしそうにはにかむ七海に、オロチはきゅっと胸が狭くなったような気がした。愛しい。そんな感情が、どんどんあふれていく。
さすがにメイクを施した唇に、唇をのせることはできないので、耳元に口を近づけた。
「愛してる。七海。ずっとお前だけを」
「…私もだよ、オロチ」
この幸せが、少しでも長く続けばいい。オロチには短くて、七海には長い夫婦生活を想って、オロチはその耳に小さく口づけたのだった。