預けるキズナ

「はあ?!引っ越すだってー?!」
「ちょっ…サトシ声大きい!」


だんっと勢いよくテーブルを叩いて、サトシが立ち上がった。しかし周りの視線が厳しかったことに気づき、慌てて取り繕うように椅子へと戻る。以前だったら、ポケモンセンターの中だろうが外だろうが、どこでも猪突猛進だったのに、少し空気を読む力をつけてきたらしい。その辺り、今回の旅でまた少し大人になったのだなと思う。久しぶりに会うサトシは、確かに身長も少し伸びていた。

私は、そんな少し大人になったサトシと向き合った。彼はとても難しい顔をしている。やはりタイミングが悪かったかもしれない。


「ナマエ、どう言うことだよ?!俺今日カントーに帰ってきたばかりなのに、引っ越しって!」
「だから、親の都合なんだって。こればかりは私にもどうしようもできないの」
「しかもよりにもよってアローラ地方?!遠いよ!!」


「ポケモンに乗ったってすぐに会いに行けないじゃないか〜!」サトシが頭を抱えるのも最もだった。私たち幼馴染にとって、アローラ地方はもはや外国なのだ。今までのように気軽に会える距離ではない。片道だけで何時間かかるのだろう。

サトシがいろんな地方へ旅に出る度、私は彼の背中を見送ってきたけれど、今回は私が見送られることになる。
彼はいつか、カントー、そして『私』は「帰る場所」だと言っていた。けれどいくら彼が駄々を捏ねたところで、我が家の引っ越しが覆ることはない。私の両親がオーキド博士の親戚の研究所で働くことになったのだ。そして私自身もそこで働くことになるのだから。


「確かにね、遠いし気軽に会えないけど、連絡が取れなくなるわけじゃないでしょ?」
「俺は直接会いたいの!」
「そ、そういってもらえるのは嬉しいけどさ、親の都合だし…」
「それにナマエは大丈夫なのか?!今まで自分のポケモン持ったことないだろ!」


これにはぐっと口を閉じざるを得なかった。彼の言うとおり、私は今まで自分のポケモンを持ったことがない。というのもサトシとは違い、私はもう一人の幼馴染シゲルと同じ研究者を志すものなので、あえて持たなかったのだ。だから「そんな知らない地方にいって、知らないポケモンに襲われたらどうするんだよ?!」と口を尖らせて言う彼のことはとても的を得ているのである。


「まあ…なんとかなるよ」
「なんとかって。なんとかならなかったら?何かあってからじゃ遅いんだからな!」


まさか私がサトシに言いくるめられる日が来るとは思いもしなかった。
もう、どうしてもサトシの怒りは収まらないらしい。何を言っても無駄だとわかれば、私は黙るしかない。ただ、サトシもサトシで自身が理不尽なことを言っていると理解しているようで、一度大きくため息をつくと、何かを考えこむように腕を組んだ。

私たちの間に沈黙が落ちる。周囲の会話がやけに大きく聞こえた。


「……わかった」


どれほどの間、沈黙していただろう。それは数秒だったのかもしれないし、数分だったのかもしれない。けれどもそれを破ったのは、私ではなくサトシだった。


「俺のゲッコウガを、ナマエに預ける」


しかも、まさか予想だにしなかった台詞でもって。


「え…ごめん、今何て?」
「俺のゲッコウガを、ナマエに預ける!」
「えっ…えー?!」


サトシのゲッコウガ。
彼が今回の旅で、ケロマツから大事に育ててきたポケモンだ。ストイックな性格で、私も何度か会わせてもらったことがある。その度に、彼とゲッコウガの絆の強さには感心したものだった。

サトシがカロスリーグで準優勝できたのも、ゲッコウガがいたからこそ。そんな大事なポケモンを、私なんかに預けるなんて。


「いや、ムリムリ!ダメだよ!だってゲッコウガは、」
「出てこい、ゲッコウガ!」
「ちょ、話聞いてー?!」


私の台詞を遮るように、サトシはゲッコウガを呼び出した。軽快な音ともに、いつもの忍者ポーズで現れる。前回会った時よりも、醸し出すオーラに迫力があった。


「ゲッコウガ!悪いんだけど、今日からナマエと一緒にアローラ地方に行ってくれるか?」
「コガ?」


突然呼び出されたゲッコウガは、話の意図が掴めなかったらしい。不思議そうに首を傾げた。
サトシとゲッコウガには、とても強い絆がある。だから彼が私にゲッコウガを預けるだなんて話、ゲッコウガなら了承しないと思っていたのに。


「ナマエのやつ、手持ちのポケモン持っていないくせに、引っ越すらしいんだ!お前が一緒なら安心だから、頼む!」
「コガ!」


まさかの二つ返事であった。
しかも任せろ、とでも言うように、拳を握った状態で。


「行ってくれるか!ありがとな、ゲッコウガ!」
「え、待って、ゲッコウガ?!それでいいの?!サトシと離れちゃうんだよ?!」
「コガ!」
「いやいや、そんなあっさり頷いたらダメなんじゃ…!」
「ナマエ、ゲッコウガもナマエについていってくれるっていってる!これがゲッコウガのボールだから。一時も離すなよ」
「コーガ!」
「ええー……」


そうして、私はゲッコウガのボールをサトシから押し付けられたのだった。
サトシの体温が移ったモンスターボールは、軽いはずなのにどこか重さを感じる。ゲッコウガが私に近付いてきて手を差し出してきたので、おずおずと反対の手で握り返した。


「…えと、よろしくね、ゲッコウガ」
「コーガ!」


確かにゲッコウガがいるなら、きっと私はアローラ地方でもうまくやっていくことができるだろう。そして、自身の大事なポケモンを預けてくれるサトシという存在は、私にとってとても大きなものだった。「サトシ、ありがとね」そんなサトシとも離れてしまうことに、少しずつ寂しさが溢れてくる。けれども私は行くのだ。まだ見ぬアローラ地方に。


「ナマエ、無理すんなよな!何かあればゲッコウガを頼れよ!」
「うん…」
「お前は結構ボーッとしてるところがあるからな〜ゲッコウガ、ナマエに変な虫がつかないように見ててくれよ!」
「コガ!コーガ!」
「変な虫って…大丈夫だって」
「いーや。ナマエが気付いていないだけで変な虫はウジャウジャいる!頼むぞゲッコウガ!俺も後から追いかけるから!」
「コガ!」
「…え?」
「楽しみだな〜アローラ地方!俺もワクワクしてきたぜー!」
「え、ちょ、サトシさん…?」


──今何て?

私の聞き間違えでなければ、サトシもアローラ地方に来るというふうに聞こえたのだが。


「さすがに今日の今日は行けないけど、俺もアローラ地方に行くことに決めた!今度旅はアローラ地方!!目指せポケモンマスター!」
「えっ、サトシ?!」


今までのシリアス展開はどこへ?!そしてそれならゲッコウガを預けてくれなくていいのでは?!

ゲッコウガが、ぽんと肩を叩いてくる。これはどういう意味の「ぽん」なのだろう。ただ一人で盛り上がっているサトシを見て、私はため息をつくしかなかった。
やっぱりサトシは大人になったようでまだまだ子どもなのだった。

こうして、私のはじめてのポケモンは、サトシのゲッコウガで決まったのである。