張り込み

 赤井さんはホテルのルームキーを差し込むと、私の腰に手を添えて中へ入るよう促す。触れられた手は心なしか温かく、胸の鼓動が僅かに早まっていく。部屋のドアが閉まると、ほのかに煙草の香りが鼻を抜けていった。ここはシンプルで手狭なダブルルーム。小さな机に椅子、ベッドだけが置かれた空間はまさに寝るためだけの場所。こんなに緊張しているのは私だけだろうか。

「楽にしろ」

 そう言われて、ゆっくりと深呼吸をする。赤井さんはジャケットを脱ぐと、ソファーの背へ投げ置いていた。確かにこの部屋は暑い。空調を探すと、赤井さんが既に冷房を付けてくれている。

「ありがとうございます」
「ああ、」

 質素なやり取りだ。背後ではジッパーの音が聞こえてくる。今日は一体どれくらい、掛かるだろう。

「……よしっ!」

 高性能のサーモグラフィーカメラを設置し終え、私は一人気合を入れた。赤井さんもライフルを組み立て終え、今は窓際へ行ってスコープの中を覗いている。

 赤井さんが帰国してから数日後、私たちは何と同じチームになっていた。しかも、ほとんどバディのような形で行動を共にしているのだから驚きだ。今日は、このホテルの向かいに住む男を監視するのが目的。予定では男の取引相手が現れるという。ライフルの出番はないはずだけれど、念の為の用意は欠かせない。

「どうだ、いけそうか?」

 三脚の上に置いたカメラを操作していると、赤井さんが私の背後に立った。

「はい、大丈夫そうですよー」

 最新式のこのカメラには今、黄色で一人の男の姿が表示されている。赤井さんもそれを確認するように、私の顔の横から左手を伸ばしてカメラに触れた。三脚の高さは赤井さんにとっては低いようで、少し屈むように液晶画面をのぞき込んでいる。

「ホォー?悪くなさそうだな」

 図らずとも耳元で言われて、耳の奥がぞわりとした。私にとっては近いと感じるこの距離も、赤井さんにとっては普通なのだろうか。一緒に仕事をし始めて感じる距離感の違いには少し驚いたけれど、これもその内慣れていくのかもしれない。

「名前、」
「はい?」
「……いいか、吸っても」

 準備を終えて、あとは男の動きを待つだけになった頃、赤井さんは煙草を一本指で挟んだ状態でそんなことを聞いてきた。

「え、いいですよ全然……どうしたんですか急に?」
「外とは訳が違うだろう?今日は一日ここで過ごすんだ、気になるようならと思ってな」
「と言いつつ、吸う気満々だったじゃないですかー。火、つける寸前だったの、ちゃんと見てましたよ?」

 そう言うと、赤井さんは息を漏らすように笑った。まるで悪戯がバレてしまった時の少年のよう。でも、慣れた手つきでマッチに火をつける姿は様になっている。ついその姿を眺めてしまっていた。

 そうして各々別の仕事をしつつ、交代で見張りを続けること数時間。ようやく男の部屋に動きが出始める。一人目は宅配業者。そして今度は訪問者だ。

「これは……っ!」
「女だな」

 サーモグラフィーカメラに映された新たなシルエットは小柄で、柔らかな曲線。男の恋人だろうか。その女性はしばらく部屋をうろつくと、どこかに腰かけた。

「恋人、ですかね?」
「情報とは違うがな」
「今日はハズレでしょうか……?あっ、」

 丁度、画面には男女が、顔を重ねているようなシルエットが映し出されている。これはキスだ。ああ、きっと彼らはこのまま。そう思った通り、男は女性を押し倒すように横になった。

「どうした?」

 私が発した声に反応して、赤井さんがまたカメラに視線を向ける。ああ、き、気まずい。どうしよう。見張っている相手がそういうことになるのは張り込み時にはよくあることだけれど、赤井さんと二人の時にこういう状況になったことは初めてだ。普通にしていればいいのに、その普通が分からなくなる。

「ああ、」

 二人が絡み合うような動きを目にした赤井さんは、そのまましばらく画面を見続けていた。え、そんなに凝視、するものなのかな。私はどう反応したらいいのか分からなくて落ち着かないのに、赤井さんは変わらず画面を見つめたまま。ちらりと画面を覗くと、案の定、上に乗っている男性が腰を大きく上下に揺らしている。これは親とラブシーンを見る時以上に恥ずかしいことこの上ない。

「名前、見ろ」
「え、っ……?」
「これはフェイクだ、俺たちの情報が漏れているな」

 赤井さんは私の肩を抱きながら、手短に説明してくれる。フェイク、の意味が分からず首を傾げてしまう私を他所に、アパートの大家と宅配業者を調べろと仲間へ伝えていた。

「赤井さんっ、どういう……?」
「しているフリをして、俺たちを足止めする魂胆だったんだろうな。だが、熱の上がり方を見れば明らかだ」
「……熱?」
「女もだが、男も……見ろ。動かしている筋肉が熱くなっているだけだ」
「っ……へ、へぇ、」
「それに、動きも甘い」

 動きが、甘いって……。その意味を考えて言葉に詰まった。顔を隠したくなる気持ちを抑えて、私も急いでジャケットを羽織る。この知識はいつ使うのか分からないけれど、覚えておくべきなのだろう。

「あ、待ってください、赤井さん!」

 そうして私は、先を行く赤井さんの後を追うようにホテルの部屋を出ていった。