雰囲気

 今日は気持ちのいい朝だった。気のせいかもしれないけれど、本部へ向かう足取りはいつもより軽い。天気も良いし、道に咲く花も増えて綺麗だ。私は揺れるリュックを片手で抑えながら、小走りでビルを目指していた。

「あ、」

 丁度、遠くの方で赤井さんが駐車場から出てきた。やっぱり今日は運がいい。赤井さんは私と同じくリュックを背負いながら、そうして太陽の眩しさに目を細めている。

「よしっ」

 まだ気づかれていなさそうだったので、こっそりと背後からの接近を試みた。上手くいけば思いっきり驚かしてみようかな。建物の陰になるように徐々に赤井さんまでの距離を詰めていくと、ようやく残り数メートル。ここで大きな声を出したら、赤井さんは。

「っ、あ、」
「……どうした?」

 声を出す直前に彼は振り向いてしまった。あまりにもナチュラルな動作だったので、思わず躓きそうになってしまう。

「っ、おはようございます!やっぱりバレちゃいましたね」
「ん?」

 赤井さんの顔を上手く見れなくて、私はそっと横に並んでいた。

「驚くかな?と思ったんですけど、すぐに気づかれちゃいました」
「ああ……だが、君も本気で隠れていなかっただろう?」

 何かする気だったのは見え見えだったと、赤井さんは言いたいのだろう。声だけで分かるこの独特なニュアンスが心地よくて、少し気恥ずかしい。もちろんあの赤井さんを本気で驚かそうとするなら、相当用意しなければ上手くいかない。そんなのは分かりきっていて、私はただ、少し話すきっかけが欲しかっただけなのだ。

「ギリギリまではいけるかなって思ったんですけどね!」
「駐車場を出た時にはもう、気づいていたよ」
「っ、え……?こっち見てなかったですよね?」

 そう言って見上げると、赤井さんは意味ありげな目線だけを私に向ける。

「ええー、そんな!」
「君の動きは遠くからでもよく見える」
「……それ、まずいじゃないですか捜査官として」
「そうは言っていない」

 ふーん、とやや腑に落ちないままだったけれど、そういえば今日は来る途中、私は不審な動きが多かったかもしれない。つまり、私が赤井さんを見つけるよりも先に、赤井さんが私を見つけていたということか。

「じゃーあ、これは仕方ないとして……」

 赤井さんが驚くものって何だろう。考えてみるけれどすぐには浮かばなかった。いつも冷静に、何事にも動じず余裕で対処していく赤井さん。一緒に仕事をすることが増えても、大きく表情を変えたり慌てて動揺を見せるような所は見たことが無い。

「そもそも赤井さんが驚くことって、もうほとんど無なそうですよねー」
「……いや?あるな、割と」
「そうなんですか?全然そうは見えないです」
「……」
「じゃあ、例えば最近どんなことに驚きました?」

 赤井さんが驚くことってなんだろう。言葉の続きを待っていると、赤井さんの歩みが遅くなっていく。私も歩調を合わせるように立ち止まると、赤井さんが口を開く。

「君のような捜査官がいることには、いつも驚いているよ」

 最初は、その言葉の意味が理解できなくて眉を顰めていた。実力不足だと言われているのだろうか。思いもしなかった答えに、上手く返事が出来ない。

「悪い意味ではない。その柔らかい雰囲気を保っていられるのは稀だということだ」

 赤井さんは私をフォローするようにそう付け加えた。もちろんそう在れない時だってあったのに。それでも、今が良いなら良いという意味なのかもしれない。

「えっと今、私、褒められていますか?」
「……っ」
「わー、朝から赤井さんに褒められちゃ……って、ちょっと待ってくださいよー」

 何も言わずスタスタと歩き出してしまった赤井さんの背中を、私は小走りで追いかけていく。

 彼が発する言葉は、いい意味でも、悪い意味でも頭に残る。今は、こうして赤井さんの隣にいられるだけで充分だと思うようにするしかない。これからもっと経験を積んで、腕を磨いて、今よりももう少し彼の背中を守れるような捜査官になりたい。

 改めて自分の目標を噛み締めながら、私たちは一緒にオフィスへ入っていった。