「俺は二十年以上の月日、前世を一切思い出す事なく''轟焦凍''として生きてきた」
膝の上で握り締められた拳は微かに震えていた。ぽつぽつと話し始めたショート様は俯いていて、その表情は伺えない。
「そうだな、前世を思い出したというよりは別の人格がある日突然自分の中に入ってきた感覚だった」
「別の人格ですか」
「本来一つになる筈だったであろう俺とショートの意識は交わらず、分かたれた。だが……王子としてのショートは確かに俺の前世だ。俺である事に変わりはねえ。ナマエ、お前をこの手で殺した事も、自身の最期の瞬間も、全て鮮明に覚えている」
「けれど今私がお話している貴方は、この世界で生きてきた''焦凍さん''という事で良いんでしょうか?」
「……っ」
ようやく顔を持ち上げてくれたショート様、いや、焦凍さんの表情は憔悴しきっている様に見えた。先程までとは大違いだ。
「信じるのか」
「どうして?信じない理由がありません。では貴方の事は焦凍さんと呼んでも?」
「……」
「あの?」
「あ……あぁ。すまない。それでいい、大丈夫だ」
「では、焦凍さんと」
噛み締めるように名を呼んで微笑めば、焦凍さんは色の違う瞳を大きく見開いた。
「し、焦凍さん?」
「ッどうしてそんな風に笑顔を向けられる!自分の身勝手な感情でお前を殺し、お前に呪いを掛け、こんなッ……こんな形で無理やり犯すような男に!」
「っ落ち着いて下さい!」
喉奥から絞り出す様な声で唸った後、焦凍さんは渾身の力を込めて地面に拳を叩きつけた。血反吐を吐くのでは無いかと心配になる程の叫び声に思わず身を寄せてその背を撫でてしまう。再び私の顔を見上げた焦凍さんの瞳には薄っすらと膜が張っていて、私は言葉に詰まった。
「止めたかった。こうなる前に、ショートがお前を見つける前に」
「……」
「俺はお前の事を思い出した時、前世の事なんて忘れてどうか普通に生きていて欲しいと思ったんだ。この世界の何処かで幸せでいて欲しいと……そう、思ったんだ……な、のにっ……俺自身がまたお前を、」
「あの、泣かないで下さい。私は大丈夫ですから」
「ッ大丈夫な訳ねえだろ!」
「大丈夫ですよ。貴方に前世の記憶があるなら知っているでしょう?私にはこれくらいなんて事無いのです。……そうですね、''そんな事''よりもショート様を傷付けていた事の方がよっぽど……」
鈍く重い下腹部の痛みは数日もすれば癒える。けれど、あんなにも優しかったショート様を変えてしまう程に傷付けた事実が消える事は無い。私を殺し、カツキを殺し、……そして、あろう事か王子である自分自身までも。
私はやはり−−XXX、だったのだ。
無意識に瞼に触れている自分に気付き、痛みを誤魔化すように焦凍さんに微笑みかける。
「私の罪は、私が償うしかありませんから」
「何を、言ってんだ……?」
「前世の私は騎士としてショート様の隣に立つ事が出来ましたが、今世の私は何の力も持たない非力な少女なのです。だからショート様もこの身を蹂躙する事を選んだのでしょうね。……大丈夫、ショート様もすぐに気付く筈です。この世界では何も価値を持たない私など、構う事すら無駄だと」
「ナマエ……どうして自分を卑下する様な事ばかり言うんだ」
「あの、焦凍さん。出来れば私の事はナマエでは無く、なまえと呼んで頂けると嬉しいです」
「……なまえ、か。いい名前だな」
「ありがとうございます」
噛みしめるように今世での私の名を呼ぶ焦凍さんに、眉を下げ唇を小さく持ち上げた。
−−私はもう、ナマエでは無いから。油断すると感傷に浸りかける自分自身に緩く首を振り、努めて明るく声を出した。
「焦凍さんはヒーローをやっているのでしょう?」
「ああ。……でも、ヒーロー活動もいつまで続けられるか分かんねえな」
焦凍さんが自嘲じみた笑みを浮かべる。
「ヒーローを志したのは俺で、アイツじゃない。ショートにとってはどうでも良いんだ、ヒーローである事なんか」
「……」
「こうして表に出て来れるのはアイツが眠っている時だけ。その時間も徐々に減っている。恐らく直に''俺''は消えて、居なくなるだろう」
「消える?」
「ショートに浸食されているのが自分でも分かるんだ。少しずつ、自我が消えていく。指先からさらさらと溶けていくみたいに、俺が、俺で無くなっていく」
「そんな……」
「……いや、俺が消える事なんてどうでも良いな、」
そう言いながらも、指先がカタカタと微かに震えているのが視界の端にうつった。ショート様と同じ顔をしていながら、焦凍さんは表情も、言動もまるで別人だ。前世を思い出すまで、どのように生きてきたのだろう。
手を伸ばし、震える指先に手のひらを重ねる。少しでもこの震えが治れば良い。
「……ヒーローである事は焦凍さんのすべてなんですね」
「……ああ。俺は、ヒーローに……」
「消える事がどうでもいい、なんて言わないで下さい……ショート様の意思で貴方が消えるというなら、私がショート様に何とか……焦凍、さん?」
「……はっ……ッ、う、……ぐッ……!」
「し、焦凍さんっ?大丈夫ですか!?」
「……っ、ショー、トッ……く、そ、」
ガクン、と力の抜けた体を咄嗟に支える。尋常ではない様子だった。今の一瞬で焦凍さんの身に何が起きたのか−−汗で張り付いた前髪を指で退け、「焦凍さん?」と必死に呼び掛ける。苦しげに顰められた眉と、震える睫毛。暫くしてその双眸がゆっくりと開いて安堵したのも束の間、私はその瞳の色が自分にとって馴染みの深いものだと気が付いてしまった。
「''焦凍さん''と閑談するのは楽しかったか?ナマエ」
いびつな心を表すように酷く歪められた口元にあっと声を上げる間も無く、強い力で手首を掴まれ押し倒される。再び私の上に馬乗りになったショート様に脳が警鐘を鳴らすも、私には彼の下から逃れる術も、力も無かった。