ねころきくんはきすがしたい
「ご主人、おかえり」
「ん、ただいまショート。いい子にしてた?」
「今日はずっとてれびを見て過ごしていたぞ」
音を聞きつけて玄関までお迎えに来てくれたショートの頭をぽすぽすと撫でてパンプスを脱ぐ。今日は外回りで一日歩き回ったからくたくただ。ぎゅーっと爪先を伸ばして、それから足首をぐるりと回す。はー、開放感。わたしの背中にぴとりとくっ付いてそれを眺めていたショートが「何してるんだ?ご主人」と不思議そうな声色で問うてくる。
「足が疲れたから軽ーくストレッチしてたの」
「すとれっち……ご主人、いっぱい歩いたのか?」
「うん、今日は沢山歩いたよ。だからもうくたくた……ってきゃ、シ、ショート?」
「疲れてるんだろ。俺は元気だからご主人の足代わりになってやる」
「……ふふ、ありがとう」
「ん」
座り込んでいるわたしを抱き上げたショートにぎゅ、と抱き着いて身を委ねる。わたしの飼い猫、大変優秀である。心地よい浮遊感。あー、楽ちん。ぱたぱたと両足を動かせば「ご主人、あんまり動くと危ない」と咎められてしまった。
「ごめんね、思わず楽しくなっちゃって」
「楽しい?ご主人は疲れてるんじゃなかったのか」
「うん、そうなんだけどね。ショートにこうして抱っこされてたら、疲れてるのとかどうでも良くなってきちゃった」
「……俺はご主人の力になれてるって事か?」
「勿論だよー。いつもありがとう、ショート」
愛猫のショートが家で待っていてくれるからどんなに仕事が辛くても頑張れる。すり込みに近い感情とは言え、純粋に好意を示してくれる存在を愛おしいと思わない訳がない。
あの日、道端に捨てられて弱々しく震えていた子猫は、今ではわたしを軽々と抱き上げられる程に立派に成長した。急に感慨深くなって、思わず至近距離にあるショートの顔をじいっと見つめた。いやあ、それにしてもショートって本当に美形……。
「ご主人、」
「ん、どうしたのショート」
「きすがしたい」
「へ?」
「今日、見ていたてれびで、男が女にきす、をしていた。男が言うには、きす、は''可愛い''と思ったらするものらしい。だから今俺はご主人にきすがしたい」
「いや、えっとごめんねショート。わたし全然ついていけない」
「?ご主人が可愛いからきすがしたいんだ」
最近交尾ではなく、せっくすという言葉を覚えたばかりの我が家の飼い猫ショートくん。せっくすしようご主人、と伸し掛かってくるショートをメッ!ってするのは日常的な出来事になりつつあるけどこんな風に口付けを強請ってきたのは初めてだ。端正な顔でわたしをじっと見つめながら「ご主人可愛い。きすしよう」と甘えた声を出すショートに心臓が変な音を立てた。やだ、うちの子がこんなに可愛い……と動揺してる間に寝室のベッドの上に丁寧に降ろされてハッとする。何でベッドに連れてこられてるの!?
「ちょ、ショート、わたしベッドに連れて来て欲しかった訳じゃ」
「きすはベッドでするものだろ。後せっくすも」
「何で服を脱がせようとしてるのかなショートくん!?って、しない!キスもセックスもしないから!」
「この前はいっぱい舐めさせてくれたのにか……?ご主人、気持ち良さそうだっただろ?また舐めてやりたい」
「駄目って言ったのにショートが勝手に舐めたんでしょうが!」
シュン、と明らかに落ち込んだ様子のショートは「きすも駄目なのか?」とわたしの唇を見つめてくる。垂れ下がった耳と心なしか潤んだ瞳がわたしに罪悪感を与えてくるんだけどどうしたら良い?……キ、キス、ねぇ……うーん、ペットとの戯れだと思えばいけなくもない……?ショートがぺろぺろと執拗に舐めてくるのも、戯れついてるだけ。キスとかセックスとか名を付けるから恋人同士の営みみたいに感じるのであって、あくまでもわたしとショートは飼い主とペットの関係だ。そう、そうだよね!(言い聞かせ)
すっかり元気を無くしてしまったショートの頬を両手で包み込んで顔を寄せる。「ご主人、どうし」ショートが何かを言い切る前にちゅう、と薄い唇に唇を押し当てた。長い睫毛に彩られた瞳をぱちぱちと瞬かせているショートに「どうだ!」と言わんばかりに口角を持ち上げる。わたしはやる時はやるご主人様なのだ。ファーストキス?そんなの知ったことじゃない。だってこれはキスじゃないんだか、
「っ〜〜〜〜んんんん!」
勢い良く飛び付いてきたショートの目の色を見たわたしはひいい、と心の中で悲鳴を上げた。ヤバい目をしていた。見間違いじゃなければ瞳の中にハートマークが浮かんでいた。そして何で心の中でしか悲鳴を上げれないのかと言うと現在進行形で濃厚なちゅーかまされてます、本当にありがとうございました。いや違う、これはキスじゃなくてあくまで戯れ。そう自分に言い聞かせようとした瞬間、唇をこじ開けてにゅるん、と入り込んできた舌の感触で思考が停止した。どう考えてもディープキスです、本当にありがとうございました(五秒ぶり二度目)
「ん、んゃ、しょ……っんむっ」
「はぁっ、ごしゅじんかわいいっ、かわいいかわいいかわいい!ん、んっ、ごひゅじん……」
「(喋る隙も与えてくれないんですけど!?)」
「ご主人ときすするの気持ちいいっ……なあ、ご主人も俺が可愛いからきすしたのか?俺もご主人が可愛いからいっぱいする。ご主人、かわいい、すき、かわいい……はぁっ、結婚したい……」
喋る隙どころか息をする暇すら与えてくれない、助けて誰か。何とか鼻で息をする事を覚えたわたしは息も絶え絶えになりながら必死にショートの体を押し返そうとする。けれど成人躯体のショートに女のわたしの力で敵う訳もなく、離れるどころか口付けは深まるばかり。ひえ、舌吸われた……!好き勝手に人の咥内を舌で弄りながら「ご主人可愛い」と恍惚としているショートくんが怖い件について。可愛いのゲシュタルトが崩壊しそうだ。可愛いって何だっけ。あとスルーしそうになったけど結婚したいって言った?ショート、ちょっとテレビに影響され過ぎでは?
「ん、っ……しょーと、もうおしまいっ……」
「嫌だ、折角ご主人からしてくれたんだから、たくさん、する……んぁ」
「〜〜〜っ」
ぢゅうぅ、じゅる、ちゅうっ。聞くに堪えない音を立てながら舌を吸われている。もういっそ気絶してしまいたい。
結局ショートに解放されたのは数分後だった。腰砕け状態のわたしの顔にキスの雨を降らすショートは今まで見てきた中でも一番幸せそうだ。飼い猫のキスで腰砕けになるご主人ってどうなの?わたしは駄目だと思います。
「ご主人好きだ……」
「うんうん……わたしも好きだよ……」
最早訂正する元気も無い。そう言いながら頭を撫でればピーンとショートの尻尾が垂直に立ち上がる。その反応が可愛らしくて思わずふにゃりと笑ってしまった。
「じゃあ結婚するか?」
「結婚はしないし出来ないよ」
「!!!」
「(あ、尻尾が萎れた)……というか結婚しなくてもわたしとショートはもう既に家族だしなぁ」
関係性は飼い主と飼い猫だけどね。「かぞく……」と小さな声で呟いたショートがまじまじとわたしの顔を見て、端正な顔を幸せそうに綻ばせる。
「じゃあ、俺とご主人はこれからもずっと一緒って事か?」
「そうだねぇ」
「病める時も健やかなる時も?」
「ねえショート本当に何のドラマ見たの?」
危うく誓いを立てさせられるところでした。
恐るべし、ショート。
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