トリプルフェイス
先程、和空が発した名前は決して間違いからではない。
庵とは色生の本当の名前であり、中川色生は偽名だったのだ。
本当に2人っきりの時にしか、セックスの時にしか呼ばない名。
家族以外では和空だけにしか許してない、特別なもの。
中川色生の本名は佐野庵である。
seyco entertainment所属俳優のioriの正体とは色生もとい、庵の事なのだった。
トリプルフェイスの持ち主で、ioriは俳優としての顔。
色生は用務員としての顔。
庵は本当の姿。
この3つを使い分けていたのだった。
芸能界を引退した庵はトリプルフェイスを止め、それでもダブルフェイスとして生きる事を選んだ。
身分を隠すひとつ目の理由として、家族や故郷を守りたいから。
両親の営む惣菜店をioriの実家だと知られたくなかった。
両親達は国際結婚であり、正直、両家の親から祝福された関係ではない。
半ば勘当、または絶縁のような形で、駆け落ちをし、一緒になった苦労人なのだ。
ioriの実家だと知られれば、知られたくない内容までリークされる。
父親が中国人ってだけで騒がれるだろうし、両家の親にもその情報が行く可能性さえあった。
父方の両親により別れさせられ、連れ戻されるだろう事は容易に想像出来る。
だが、両親同様、庵は田舎町にある惣菜店をいたく気に入っており、あそこだけが故郷なのだ。
近所の人達、町の人達、みなが大切な家族。
そして歳の離れた弟がおり、その小さき存在も守りたかった。
自分の弟だと公表すれば、きっと平和な日常からは遠のく。
最悪、ioriだけでなく環すらも跡取りにしようと父方の両親が日本までやって来るだろう。
そして有名俳優の弟と言うだけで、物心つく前からいじめにもあうかもしれない。
そんな理不尽な事はさせたくなかった。
まさか自分の主演する昔の映画を見て、環もこの世界に来るとは思いもしなかったのだが。
しかもきっかけが役中で披露した歌だったとはあまりにも衝撃的だ。
両親に聞かされた時は何かの間違いかと何度も聞き返した記憶は今でも記憶に新しい。
別に隠していた訳ではないが、20近くも歳が離れていたら、自分の事を兄だと言われても理解に苦しむだろう。
どちらかと言えば父親だと言われた方がしっくり来る。
だから、佐野家全員が意図的に隠してたかと言われればそうではなく、大きくなってから話そう、そう思っていたら言うタイミングを逃して今に至ってしまった訳だ。
2つ目、色生としての偽名はioriを逆さまから読むとiroiとなるから、無名時代に副収入として用務員の仕事で生計建てる目的で作られた存在。
主な理由としては金銭面もあるが、1番はioriである事を気づかれずに生活する事で役者としての自分のスキルアップである。
見事成功し、この20年間誰もioriが色生などと疑った事すらなかった。
語弊はあるが、涼介にだけは見破られてしまい、貞操の危機に陥ったのは未だに黒歴史である。
あの男にはセンサーでもついているのだろうか。
環に対して物凄い執着をしている事から、兄弟とはまだバレてないものの、時間の問題だろう。
ioriの弟だと知れば、更に執着するかもしれない。
きっと環は今のままでは涼介からは逃げられないだろう。
自分には和空がいたから、あの男も深追いはしなかった。
けど、環にはいるのだろうか。
それだけが心配だった。
環の才能はとても恐ろしい。
ioriなど余裕で超える程のビッグスターになるだろう。
初めて歌を聴いた時、全身に鳥肌が立った。
まだ幼い環の才能に、同じ役者として、歌い手として嫉妬し、恐怖したのは秘密だ。
環がこの学園に来る事もわかっていて、いずれ日本を背負う歌手になる事も予想していた。
だからこそ、環がこの学園に来た時に引退すると決め、陰ながら支えると決意したのだ。
後に自分がマネジメントをすると。
3つ目、ioriとしてミステリアスで現実離れした存在でいたかった。
プライベートと仕事のどちらが本来の自分かと苦悩するのを避けるのと、引退した後に静かに暮らしたい。
それだけだった。
その3つを徹底した事により、庵にはとても大切な存在が出来たのだ。
まさか自分が恋をするなど思いもしなかった。
環のマネジメントも理由であるが、実際の所、和空と生涯を共にする為に裏方を希望したのも大きい。
共に暮らす事を夢見ているのだ。
それが現実になろうとしていた。
「え…?」
庵は目を見開き、和空へと視線を向ける。
相変わらず、呼吸は整わないし、体に力は入らななかった。
「庵、離れとうない…。同棲しよか」
2025.03.30
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