彼女が、僕の――僕たちの前にふたたび現れるまでに、魔物といえどもみじかくない時間がすぎた。
めずらしく静かなゴビで、ハンガーにかけた商品をラックへならべていく彼女の後ろ姿を、ちらりとぬすみ見る。
最近では、九浄くんにくわえて志萬くん、さらには魔女の二人がいつくようになり、ここはすっかりにぎやかになっていた。
凶祓いに、鬼に、魔女に、薬。戦争だというときなのに、こうも穏やかでは、すべてが夢まぼろしのような気がしてくる。
「白狐さん、この商品はどこにかけますか?」
彼女がワンピースを手に、カットソーをたたむ僕へふり返っていた。
「そうだね……それはそこのラックにお願い」
入り口右手のラックを指させば、彼女は「はい」という返事とともに、背中をむける。僕はまた、彼女のうしろ姿に目をやる。
僕はまだ、彼女が生まれ変わったことを、はっきり実感できていない。
それは、彼女に生まれ変わる前の記憶がないせいかもしれないし、その姿かたちが僕の知るものと少し違うせいかもしれないし、はたまた、ずっとずっと待ち続けていた存在が急に現れ、どうしたらいいかわからないせい、かもしれなかった。
ワンピースをかけたついでに、ハンガーにさがる商品の色がグラデーションになるよう、ととのえていく彼女の横顔の線をなぞる。
浄阿弥とおなじく五百年の時をへて、もう一度僕の前にあらわれた彼女は、すべての記憶をなくしていた。それどころか、自分が魔物の生まれ変わりだということさえ、知らなかった。
あどけない横顔は、五百年前とはまるで違っていて、そのくせふとした時に見せる面影はまさしく彼女そのもので、わからなくなる。
「白狐さん?」
いぶかしげな彼女の声で、はっとした。カットソーをたたむ手もとめて、彼女を見ていたらしい。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないよ」
言いたいことでもあると思ったのか、首をかしげる彼女に、笑みをつくってこたえる。
「次は、どこをやりましょう」
店内をぐるりと見わたす。ラックも、棚も、商品はあらかたととのえられている。商店街のなかに位置する小さな店では、量販店のように、ひんぱんに商品が手にとられることは少ないのだ。それほど店内が荒れることのないゴビは、閉店後の仕事もすぐに終わる。
「じゃあ、ここをたたむのお願いしていいかな。ほとんど終わっているけど」
僕は自分がたたんでいた棚をしめす。あと二、三枚カットソーをたためばおしまいだ。
「僕は、鈍を寝かせてくるね」
うしろに目をむければ、ソファでうとうととまどろむ鈍。弁天は二階の居酒屋にいるし、いつもなら鈍の面倒をみてくれる九浄くんや魔女の二人は、あいにく今日はいない。
「たたみ終わったら、ゆっくりしてていいから」
鈍を抱きあげて言えば、彼女が「はい」とうなずく。
「鈍くん、おやすみ」
「おやすみなさい、園希おねえちゃん……」
閉じてしまいそうなまぶたを持ちあげる鈍に、彼女がやわらかな笑みをうかべる。それは昔とはちがう笑いかたで、あのころの彼女ではないということを、はっきりと感じた。
――表情は、おなじなのに。
寝間へと歩きながら、五百年前の彼女と、いまの彼女が浮かんでは消える。背かっこう、しぐさ、声、しゃべりかた。そのどれもが少しずつ、ずれている。
けっして、いまの彼女を否定するつもりはない。けれど、日に日に違和感はつのっていく。はじめていまの彼女を目にしたとき、確かに五百年前の彼女の生まれ変わりだと、身のうちが焼け焦げそうなほどに感じたというのに。
「なんなんだろうねえ……」
鈍に布団をかぶせてやりながら、小さくつぶやく。
「……なんにせよ、女々しいね」
僕の悩みなど露しらず、すやすやと眠る鈍の頭をなでて、部屋をでる。
いまの彼女はいまの彼女で、とても好感をだいているし、彼女はあのときの彼女の「生まれ変わり」であって「黄泉還り」ではないのだから、違っていて当然だとはわかっている。
五百年もの時がたてば、魔物だって変わる。少なくとも、それだけの時間は、自分を隠居させるには十分だった。変わってしまったのは、自分自身にだって当てはまるのだ。
もしかしたら、浄阿弥があまりにも昔と変わっていなかったから、咀齬を感じるだけなのかもしれない。
遠い昔、死に際の彼女が言った言葉は「また会える」だった。「黄泉還る」ではなかったのは、つまり、その言葉は、彼女であって彼女ではないけれど、という意味だったのだろう。
考えても詮がない。小さなため息ひとつで、思考を頭のすみにおいやる。
「お待た……せ……」
店の入り口を一歩ふみこんだところで、思わず足と声がとまった。
きれいにととのえ終えた店内で、こちらに背中を向け少しうつむいた彼女の首筋に、はっとしたのだ。
それが、まぎれもなく、むかし見た彼女の線に、肌の色だったからだ。僕のなかの、彼女と彼女が、急速にかさなりあう。外見の年齢はいまのほうが幼く、彼女のもつ、線と肌の色は、まだあどけないものなのに。
――彼女は、彼女であって彼女ではない。けれど、どうしようもないほどに、彼女は彼女だ。
そんな当たり前のことを理解するのに、僕は少し時間をかけすぎたかもしれない。商品であるブラウスを身体にあてる彼女は、服に夢中で僕に気づいていない。
次から次へと、商品を手にしては身体にあて、ラックへ戻していく、彼女の指。ほんの今さっきまでは、過去と現在が二つ重なって見えていたそれは、いまではもう、一つになっている。
「園希ちゃん」
びくり、と。名前を呼べば大げさなほどに肩をゆらして、彼女がふり向いた。驚きと、少しの恥ずかしさの色をした瞳には、僕の姿が映っている。
「後片づけ、ありがとう」
「あ、は、はい」
恥ずかしさに加えて、少し罰が悪そうな顔をした彼女が、手にしたチュニックをさりげなくラックへとかける。
「気になる服があれば、試着してもいいよ」
キセルを取りだしながらそういえば、彼女の頬が、うっすらと赤みを帯びる。
「いつも手伝いばっかりで、ゆっくり見る暇なかったよね」
にこりと笑って見せれば、彼女がうれしそうにはにかむ。
「じゃあ、お言葉にあまえて」と商品を見つくろう彼女を、目を細めて眺める。その様は、いまどきの女子中学生のもので。遠い昔、衣を贈ったときのことを思いだした。
――紺之介。
――こんなに良いものを、私に?
――とてもうれしいわ。ありがとう。
脳裏に浮かぶのは、なつかしい日々。おそらく、しあわせであったのだろう、時。
彼女のよろこぶ姿が見たかった。笑う顔が見たかった。その想いは、五百年の時をへても、彼女が違う彼女へ生まれ変わっても、おなじだった。
紺之介、と呼んだ声と、白狐さん、と呼ぶ声が、頭の中で混ざりあう。
まぶたをあけてゆっくりと吐きだした煙は、過去と現在が重なった彼女の姿を、やわらかく包んだ。
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