どうしても、寝付けない夜だった。カルデアであてがわれている部屋の、飾り気のないベッドに潜り込んではや二時間。両の目は冴えたままだった。
眠れなくなるほどの悩みがあるわけではないし(いや、いつまでたっても貯まらないQPや集まらない素材については永遠の悩みと言えるけれど)かといって、夜が明けると遠足や遊園地に出かけるわけでもない。
ベタながら羊を数えてみても、無駄だった。草色の髪の羊飼いの顔がどうしても頭をよぎり、ダビデを数十人数えていたところでハッとして、なんだかどうでもよくなってしまった。そんな、ただただ、寝付けない夜だった。
「……」
そうして、もうどうにでもなれとあきらめたのが今。枕元のデジタル時計が、素っ気なく深夜二時を回ったことを教えてくれる。
もぞり、と身体を起こしてベッドから降りる。素足に床がひんやりと冷たかった。雪山にある施設だからか、カルデアの空気はいつも、澄んでいる。
スリッパにつま先をつっこんで、ぺたぺたと足音を鳴らしながら扉へ向かう。壁際のパネルを操作し、空気の抜けるような音を立てながら扉が開くのと──
「──きゃあっ」
小さな悲鳴が上がったのは、ほとんど同時だった。
「あ、あ──マスター──さん」
扉の向こう、常夜灯でうっすらと明るい白い廊下に、くまのぬいぐるみを抱えた少女が立っていた。腰を覆ってもなお余る長いブロンドヘアーに、透き通った湖の瞳。長い袖で指先を隠し、黒とオレンジのリボンで彩られた、アビゲイル・ウィリアムズ。彼女だった。
「アビー? どうしたの、こんな時間に」
深夜も深夜、真夜中だ。齢十二歳の女の子が起きていていい時間ではない(サーヴァントなのだからそんな常識は適用されないかもしれないが、どうしても外見につられて考えてしまう)。
「あの、私……その」
華奢な少女は口ごもり、視線をさまよわせ、最後にはうつむいてしまった。いつもならちょこんと乗せられている黒い帽子をかぶっていないために、丸い頭が無防備にさらされている。すぼめられた肩が、ぬいぐるみを抱く腕が、強張っているのがわかった。
「……アビー」
「は、はいっ」
「私と一緒に、わるいこと、しようか」
にやりと笑うと、顔を上げた少女は青い瞳を丸くした。その肩に手を回しながら、部屋から出る。スライド式の扉は自動で閉まり、廊下には私とアビーの二人だけが立っている。常夜灯の弱々しい光を白が反射するのか、廊下は思った以上に明るく、壁に二人の影を薄く伸ばしている。
「保存食」
「──え?」
「今から、食堂へ行って、保存食を漁ります。カップラーメンとかが見つかれば一番いいんだけど、難しそうだから缶詰とか、カンパンとかでもいいかなって。それくらいはあるはずだから。まあ、要するに夜食を食べようってことなんだけど──」
戸惑っているアビーに向かって、とっておきの「悪い顔」をしてみせる。
「エミヤにバレたら、間違いなく叱られます。ブーディカなら『しかたないなあ』って許してくれるかもしれないけど、エミヤには絶対小言を言われるね。保存食は有事の時に食べるものだから、当然といえば当然なんだけど──」
肩に回していた手をするりと離して、そのままアビーの前に差し出す。
「マスターと、わるいこと、しよう?」
「──」
アビーが、泣き出しそうに目を細め、喘ぐように「ああ──」とつぶやいた。ふるえた声は、二人だけしかいない真夜中に、あっさりと溶けて消えてしまう。
「──いけないわ、マスターさんは、ほんとうにわるいひとだわ……」
差し出す私の手を、闇と同じ色の長い袖に包まれた手がつかんだ。ひとまわり小さく、細い、子供の手。
「うん。だから、二人だけの秘密ね」
その手を強く握りしめると、それよりもきつく、握り返される。あいている方の手で頭を撫でてみると、はにかむようにして、ようやく笑ってみせてくれた。
「それじゃあ、わるいことしに、行こっか」
「──ええ!」
離れないよう手をつなぎながら、私たちは夜の廊下を抜き足差し足、歩きだした。
←back
自慰/手淫/オナニズム