聞くつもりがなくても、聞こえてくるから聞いているだけ──のつもり、だったけれど。
 どんな顔をしているのかわからないのが、おれの知らないところでおれが見たことのない顔をしているのが、いやだった。

◆   ◆

「退屈そうだな、犬飼」
 ボーダーの広い休憩スペースの一画、間仕切りプランターを隣にした二人掛けの席に陣取っている時だった。
「荒船、穂刈」
 死角の位置、背後から声をかけてきたのは同級生の男子二人だった。
「いいか、ここ」
「どうぞ」
 空いていた隣の席を指さした穂刈に、手を差し出して促す。
「二人とも、今日は狙撃訓練?」
「ああ。終わったところだ」
「それはおつかれさま。半崎くんは一緒じゃないんだ」
「あいつなら、ゲームをするとか言って作戦室に引っ込んだよ」
「個人戦か、お前は」
「おもしろそうなやつがいたら、そのつもりだったんだけどね。残念ながら、収穫がなかったからこっちに来て休憩してるとこ」
「野菜かなんかみたいに言うんじゃねえよ」
 言葉尻を拾った荒船に、あいまいな笑みを浮かべて返す。
「カゲとか三雲くんとかいたら、絡みたかったんだけどね」
「そういうところがカゲに嫌われるんだってのに」
「おれはカゲのこと、好きだけどね」
 おれは、同級生の影浦雅人から毛嫌いされている。それはもう、露骨に。言葉にも態度にも出され、隠されもしない。
 荒船は、おれが鬱陶しく絡むからカゲに嫌われると言うけれど、おれからしてみれば、カゲがおれのことを煙たがるからいけないのだ。そんな反応をされたら、余計にちょっかいを出したくなってしまうというのに。
 もっとも、カゲの場合はもっと別の事情も関係していて、人の感情が「刺さる」せいで、好奇心や意地悪が不快でたまらないのだろうけれど。
「ほどほどにしとけよ」
「うーん、考えとく」
「随分気に入っているんだな、三雲のことも」
「三雲くん? 三雲くんもそうだね、嫌いではないかな」
 穂刈が触れた三雲修は、戦闘においては弱いけれど、知恵が回る後輩である。戦闘能力の低さをカバーする発想、機転は評価できるし、おもしろいと思っている。
「まあ、桑染ちゃんがいたら、一番よかったんだけどね。どっかで見かけなかった?」
 同級生でガンナーの、桑染ちゃん。ボーター隊員としては後輩で、おれのことが好きじゃない女の子。
「見てないな、オレは」
「荒船は?」
「見てねーよ。狙撃訓練だったって言っただろ」
「一緒にボーダーに来なかったかなって」
 尋ねると、荒船はうんざりしたような表情を浮かべた。
「桑染と一緒に来てたとしても、その後のことを知ってるわけないだろうが」
「今日は何する、とか話してたりするかもしれないじゃん」
「連絡を取ればいいだろう、桑染に」
「こいつは桑染と連絡先を交換してねえよ」
 おれの代わりに答えた荒船の言葉を受けて、穂刈が視線で尋ねてくる。
「うん。おれ、桑染ちゃんの連絡先知らないんだ」
 そう、おれは気に入っている女の子との連絡手段を持っていない。おれのことが好きじゃないのだから、当然の話だ。
 おれとしては彼女と連絡先を交換したいのだけれど、それがかなうわけがないということもわかっている。なにせ、おれのことが「好きじゃない」のだから。そんなやつと連絡先の交換をしてくれるほど、桑染園希という女の子は甘くはない。
 だからおれは、桑染とつながっている人を介して連絡を取るか、本人を捕まえるしかないのだ。
「……おまえは桑染のことが好きなのか? もしかして」
 おしゃべりではないけれど──おしゃべりではないからなのか──穂刈はずばりと疑問を口にした。
「好きか嫌いかで言うと、好きだよ」
 好きじゃないなら、構ったりはしない。嫌いな人間へ近自分から近づくような趣味はないし、興味のない人間を相手にするほど、ヒマを持て余してもいない。
 気に入っているからこそ、からかったり小突き回したりするのだ。
「だからとらないでね。荒船も」
「取るわけがねーよ」
 ばっさりと切り捨てるように答えた荒船に、同意するように穂刈もうなずいた。
 誰を気に入っているか、周りへ開示しておくことは牽制になる。同じ相手に興味を持たれる可能性がまったくのゼロになるわけではないけれど、余計な争いを好まないタイプであれば排除することができる。さらに協力も仰ぐことができるし、良いこと尽くめだ。
 実際「ほどほどにしとけ」「取るわけがねー」と言った荒船は、桑染が授業のノートで困っていることを教えてくれた。おかげで放課後を図書館で過ごすことができたし、一緒に帰ることもできた。
「そうだ、荒船にあの時のお礼をしてなかったな。何かおごるよ」
「あ? 何のお礼だ」
「桑染ちゃんが、小テスト前のノートで困ってた時のやつ」
「ああ……」
「コーラでいいよね、ちょっと待ってて」
 勝手に決めると、おれは荒船の返事も待たずに自販機スペースへと向かった。

◆   ◆

 感謝の気持ちを込めて、一番容量の多い500mlのコーラのペットボトルを片手に戻ると、おれに気づいた荒船が口元へ人差し指を立てるところだった。
 ──静かに。そのアクションに首を傾げながら席に着くと、今度は立てた親指で席の隣の間仕切りプランターを示す。
 観葉植物が壁となっている向こう側に、何かあるのだろうか。葉の隙間から見えないだろうかと視線を向けたところで、女子の声が弾けるようにして上がった。
「えー、くわしく聞きたい!」
 それは、目の前に座っている荒船、穂刈の隊のオペレーターの声だった。
「……加賀美ちゃん?」
 身を伏せながら声を潜めて確認すると、二人はそろって首肯した。
「国近はモテるからね」
 こちらには気づいていないらしく、加賀美の後に続いたのは、東隊のオペレーター、人見摩子だった。
「女子会?」
 小声で二人に尋ねると、やはり無言で首を縦に振った。
 しかし、緑のパーテーションを隔てた向こうで、同級生の女の子たちが恋愛話をしているからと言って、聞き耳を立てるようなことなのだろうか。それとも、隣の女子たちの中に、二人の好きな子でもいて、見つかりたくないのだろうか。
「でも、断っちゃったんでしょ? どうして」
 素っ気なく、でもたしかに好奇心をにじませたその声に、ぴたりと動きが止まる。黙って目の前の同輩へ視線を向けると、荒船は肩をすくめ、穂刈は神妙にうなずいた。
 ──桑染ちゃんがいる。
 荒船が静かにするようにと指示したのは、これが理由だったのかと、合点がいった。顔の見えない隣の席に、気になる女の子がいたのはおれのほうだったのだ。
「だって、よく知らない人だったし。そういうことにも、あんまり興味ないから」
「興味なくても、付き合ううちに好きになるかもしれないじゃん」
 ──最初は好きじゃなくても、知っていくうちに好きになる。それが、おれが気にしている女の子の恋愛観らしい。
「私は国近の言うことも、桑染が言うこともわかるかな。告白されたから好きじゃないけど付き合うって、だましてるような気になりそうじゃない? でもそれは人となりを知らないからで、桑染が言うように、付き合って知っているうちにいいところを知って好きになるっていうのは、あると思う」
 人見はそう、自論を語った。随分とその冷静で客観的な視点である。もしかすると、所属隊の隊長から学んだものなのかもしれない。
「どっちが悪いとかじゃなくて、考え方によるってことね」
 加賀美が神妙に相槌を打つ。
「どっちにしろ、国近は彼氏とかつくってる余裕はないんじゃない? 好きじゃないなら断って正解だったと思うけど」
「えー、人見、それどういう意味?」
「成績的な意味でしょ」
 人見の代わりに答えた桑染の言葉に吹き出してしまい、慌てて口を押さえる。A級一位太刀川隊のオペレーターは、成績が残念な方なのだ。
「私たち、受験生だからね」
「聞きたくないー! その話はやーめーてー!」
「でも国近は、ボーダーの推薦枠で行けるんじゃないの?」
「そうだよ、太刀川さんも裏口入学なんでしょ」
「──ぶッふ」
 裏口入学、という言葉に、女子トークを盗み聞きしていたおれたちは思わず吹き出してしまった。
 今のでバレたかもしれない、と耳を澄ませてうかがうが、四人ともこちらの存在には気付いていないようだった。セーフ、である。
「二人のところのオペレーター、おもしろいね。裏口入学だって」
「あながち間違ってもないだろ」
「ま、そうだけど」
 太刀川慶という個人ランク一位の男は、ひどい成績でありながらボーダーの推薦で大学へ入学したという経緯を持っているのだ。裏口入学とは、言い得て妙な表現である。
「加賀美は美大決まってるんだよね」
「うん。決まってほんとよかったよ」
「おめでとー。あーあ、私もがんばんなきゃなあ」
 憂鬱そうに言ったのは、意外にも桑染だった。
「桑染の成績なら、大丈夫じゃない?」
「まあ、このままいけば問題ないとは思うけど……絶対受かりたいから」
「あー、諏訪さんね」
 ──すわさん。
 国近から飛び出した名前に、ぴたりと動きが止まる。
「ちょっと! やめてよここでその話は!」
「ゴメン、ゴメーン」
 がたりとイスかテーブルが動くような音がして、狼狽える人の空気がここまで伝わってくる。焦りと、照れがふくまれた、そんな空気だ。
 すわさん。──諏訪さん。
 どの「諏訪さん」なのだろう。おれの知る、ボーダー隊員の、諏訪隊隊長の、あの諏訪さんのことだろうか。
 おれは観葉植物の向こう、桑染がいるであろう場所へ向けてじっと視線を送る。荒船と穂刈がそんなおれを見ているのを感じたけれど、それにどんな意図が込められているのかは、どうだってよかった。
「告白はしないの?」
 尋ねたのは、加賀美だった。
「……どうせフラれるって、わかってるし」
 すねたような表情が目に浮かぶ声だった。桑染園希という子は結構、顔や態度に感情が出やすいのだ。そこがおもしろくて、かわいいところである──のだけれど。
「……これはあんまり、かわいくないなあ」
 つぶやいたおれの独り言は、無感動で抑揚のない響きだった。
「でも、す──じゃない、あの人と、わりと仲良いよね」
「本の貸し借りとか、戦い方見てもらったりしてるんでしょ?」
「……うん。だから、仲はいい方だと思うけど──……そういう対象には見られてないよ。多分、あの人は私のこと、ボーダーの後輩としか思ってない」
 そう応えた彼女の声は、やけに平坦でのっぺりとしていた。
 どんな顔を、してるんだろう。
 そう考えた次の瞬間に、おれは立ち上がっていた。
 荒船と穂刈が驚いたような気配が伝わってきたけれど、おれは仕切られた観葉植物から顔を出して、桑染へ声をかけていた。
「桑染ちゃんは、諏訪さんが好きなんだ?」
 いきなり現れたおれに、女の子四人は驚いたようだったけれど、
「犬飼だ。なに、盗み聞きしてたの?」
 意外にも、国近がすぐに反応をした。
「うん、女子会ってどんなこと話すのか、ちょっと気になっちゃって。ごめんね」
 正直に答えると、みんなあきれたような表情を浮かべた。──桑染を、一人除いて。
「で、どうなの? 桑染ちゃん。桑染ちゃんは、すわ──」
「……盗み聞きとか最低」
 こちらをきつくにらみつけながら、さえぎるようにして桑染が吐き捨てた。
 けれど、そんな顔をされてもちっともこわくはないので、おれは反対に笑顔を浮かべて見せる。
 だめだよ、そんな怒ったような、はずかしがっているような顔をしちゃ。ますます気に入られてしまうよ。
「大丈夫だって、言ったりしないから。だから、確認させてよ」
「はあ?」
「ちょっと犬飼、桑染にだってプライバシーがあるんだから、踏み込みすぎるのは失礼だよ」
 おれから桑染をかばうように、人見が割って入った。さすが、東さんの下で、やんちゃな後輩を見ているだけある。四人の中では彼女が一番落ち着いているだろう。
「それもそうだ。ごめんね、桑染ちゃん。おれのこと、許してくれる?」
「……」
 白々しい、とでも言いたげに、彼女は吊り上げたままの目でおれを見る。
「犬飼って」
 ロマンチックさのかけらもなく見つめあうおれたちを眺めながら、再び国近が口を開いた。
「桑染のこと、好きなの?」
 食堂で注文した料理を好物なのかと尋ねるのと同じくらい、軽い口調だった。
 けれど、人見、加賀美、桑染、それにおれは面食らったように国近の方を見た。
「なに言ってんの、そんなわけがない。こいつ、性格悪いし、しょっちゅう最低なことするんだよ。私のこと振り回して、遊んでるだけだから」
 怒りたっぷりに否定する桑染をよそに、おれはすんなりと腑に落ちていた。
 ──好き。
 好き。
 ──そうか、好き、なのか。
 納得したら、すんなりとうなずいていた。好きか嫌いかという、二択で考える必要はなかったのだ。
「うん。おれ、桑染ちゃんのこと、好き」
「──うっそお!」
「告白だ! 告白聞いちゃった!」
「ちょっと、二人とも静かに……!」
 国近と加賀美が喚声をあげ、人見がその二人をたしなめる。おれは満面の笑みで桑染を見つめ、桑染は呆然としたようにおれを仰いでいる。
 視線を向けられている感じがする荒船と穂刈も、多分驚いたようにおれを見ている。それもそうかもしれない。雰囲気もなにもない状況での告白なのだから。
「桑染ちゃん」
 ──ねえ、桑染ちゃん。
「おれ、桑染ちゃんのこと、好きだよ」
 自分でも、こんな声が出るのかと思うほど甘ったるい響きだった。
 名前を呼ぶたび、砂糖かたまりのように舌の上でぐずぐずと溶けていく。糖度の高いシャインマスカットやピオーネよりも、もっとずっと、あまったるく思えた。
「……うそ、だ。また、私のことからかってるんでしょ! そういうの、やめてよ!」
 我を取り戻した桑染が、立ち上がっておれを否定する。隠しきれない動揺が合わさらない視線に現れていて、そこがまたかわいらしかった。
「嘘でそんなこと言わないよ。信用がないなあ」
「あったりまえでしょ!」
 顔を赤くして怒る桑染を、人見と加賀美が二人がかりでなだめる。きっかけを作ったはずの国近はのんきに「そうなんだ」などと言っているのだから、無責任な話である。
「国近ちゃんは、おれに協力してくれる?」
「えー、どうしよっかな」
「えー、協力してくれないの?」
「だって、桑染いやがりそうだもん」
「おれ、そんなに嫌われてる?」
「よくしらないけど、多分ね」
「それは困ったな」
 笑いながらそう言ったところで、がたり、とテーブルが音を立てた。こちら側に視線を戻すと、荒船と穂刈が物言いたげな顔をしていた。
 ──そ、こ、ま、で、に──し、て、お、け。
 口をぱくぱくと開いて、荒船が忠告する。半分は桑染のことを考えてだろうけれど、残り半分は、自分たちまで盗み聞きの非難を受けないためだろう。
 聞くつもりはなく聞こえていたのだとしても、こうなる前に止めなかったこと、離席しなかったことで二人も同罪だ。バレてしまったらきっと、加賀美に呪いの人形でも作られるのかもしれない。
「桑染ちゃん。別に付き合ってほしいとか、そういうのはないから安心していいよ。これまで通りでいいから。──じゃあね」
 満足したので、言うだけ言って女子たちに手を振る。荒船と穂刈にも視線で合図を送り、さっさと休憩スペースを後にする。
 退屈で、暇を持て余していたのが嘘のようだった。楽しくて、気分がよくて、多幸感のような万能感のような、充足感につつまれている。
 ──誰かを好き、とは、こんなに気持ちがいいものなのか。
 ほころぶ口元をキツく引き締めることは、しばらくの間は無理だろう。




←back




自慰/手淫/オナニズム