両親、兄弟姉妹、なし。ついでに言えば、友人もなし。
 わかりやすく言ってしまえば天涯孤独な私は、とおい親戚の義理情け体面によるささやかな援助によって、つつましく日々をおくる健気な女子高校生。
「だったんだけど、なあ……」
 私は夜の人気のないうす暗い街灯のした、絶命したお姉さんを見て、がっくりとため息をついた。
「なんで殺しちゃったんだろう、私……」
 両手両足を投げだして、かたいアスファルトのうえに横たわるこのお姉さんを殺したのは、まちがいなくこの私だった。スカートが大きくめくれてて、黒いタイツにつつまれた太ももが寒そうだ。
 そもそも、どうしてこんなことに。今日一日のできごとをふりかえってみても、私が見ず知らずの人を通り魔的に殺してしまうような要素は、なに一つ見あたらない。
 いつものように、目覚ましのアラームをとめて、すこしだけ二度寝して。それから嫌々ながら布団から抜けだして、制服に着がえてから簡単な朝ごはんをつくった。それからふつうに登校して、まじめに授業をうけて、放課後は図書室で本を読んで。冬は日が暮れるのがはやいなあ、なんて思いながら、ぐるぐるまいたマフラーに鼻先をうずめて、家まで帰る途中で――前を歩いていたお姉さんに、後ろから襲いかかって、首をしめた。
「……我ながら、どうしてこんなことをしたのかわからないよ!」
 小声で叫びながら、私は頭をかかえた。ほんとうに、どうしてお姉さんを殺したのかがわからない。だって私は、今日も寒いなあ、晩ごはんはなににしよう、なんてぼんやり考えながら歩いていただけで、誰かを殺したいだなんてことは、ちっとも考えていなかった。
 前を歩いていたお姉さんだって、お仕事の帰りかな、としか思わなかった。そう思ったすぐあとに、私は駆けだして、お姉さんを襲っていたのだけど。
「……」
 私はお姉さんの横にしゃがんで、めくれたスカートをそっとなおした。ちらりと目を向けた顔は、苦しそうにゆがんでいる。
「……自首、しなきゃ」
 立ちあがりながら、私は小さくつぶやいた。なにはともあれ、私がお姉さんを、人を殺したことはたしかなのだ。人を殺すのは、いけない。いけないことをしたのなら、正直に警察の人に言わなきゃいけない。
「すみませんでした」
 寒いなか、かたいアスファルトに身を投げたお姉さんに、頭をさげる。苦しみもがくお姉さんの首を、自分でも驚く腕の強さでしめた感触が、しっかりと手のひらにのこっている。
 それなのに、なぜだか自分が人を殺してしまったという事実には、なんの感慨もなくて、それが不思議だった。多少の驚きはあるけれど、罪悪感や恐怖といったものが、ちっともない。
 ほんとうに、自分でも動機がわからない。しいて言うならば、それは明確な動機というよりも、ただ。そう、殺したかったから――。
「――ん? ん、ん、ん、んん? なんだお前、そいつ死んでんじゃねえか」
 人気のないうす暗い夜道の、私と、死んだお姉さんだけの世界を、別の声がとうとつに切り裂いた。
 目を向ければ、すこし先の角から小柄な男の子がでてきたところだった。
 軽い足どりで近づいてくる彼が、電球の切れかけた街灯ですこしずつ浮かびあがる。男の子にしては小柄な身体に、まだらに染められた髪。近くで見てわかったけれど、私よりすこし年上のようだった。
 左耳からぶらさがっているのは、携帯電話のストラップだろうか。服装は、ゴツくてポケットの多いベストに、 やっぱりゴツくて重そうなブーツで、いわゆるミリタリーファッションというやつだ。
 でもそういったものよりも一番目をひいたのは、顔面にほどこされた、いれずみだった。右頬いっぱいをおおう、変わったデザインの刺青。絵というよりもマークに近いそれに、縫いとめられたように私は動けなかった。
「おー、しっかり死んでる。しかも今どき絞殺かよ。おまけに素手とはな。かはは」
 男の子――いや、お兄さんは、お姉さんの身体の向きををごろりと変えて、首に手をあてるとそう言った。
「あ、やっぱり死んでますよね」
 もしかしたら、なんて思ったけれど、お姉さんはやっぱりしっかり死んでいるようだった。私はもう一度、すみませんでしたと頭をさげた。
「かは、謝っても意味ねえよ、死体の耳に念仏ってな――ん?」
 腰をあげたお兄さんが、私の顔を見て、動きをとめた。私はつい、じろじろと顔面のいれずみを見てしまう。普通の人なら考えないようなところに、どうして彫ったのだろう。
「おいおいおい、あんたまさか、もしかして、いや嘘だろおい」
「え、な、何がですか?」
 ずずい、と身を乗りだしたお兄さんに、私は一歩あとずさる。
「微妙な気もすんだけど、この感じはなあ。兄貴がいたらわかるんだろうけど……なあ」
「は、はい」

「あんたもしかして、零崎に目覚めちゃった感じ?」

「……ぜろざき……?」
 ためつすがめつ、上から下まで私をながめていたお兄さんは、そう言うと、かははと、とても楽しそうにわらった。
「まじかよ、もしかして零崎誕生の瞬間に立ち会ったのかよ? ツイてんのかツイてねえのか知らねえけど、とにかく傑作にちげえねえ」
「あの、さっきからなにを」
 とまどった私の声に、お兄さんはにやりと顔をゆがめると、ゴツいベストから、おもむろに鋭いナイフを抜きだした。
「まあ細かいことは後だ。それよりあんた、このナイフ貸してやるから、もう一人、人を殺してみてくんねえか?」

 ――両親、兄弟姉妹、なし。ついでに言えば、友人もなし。わかりやすく言ってしまえば天涯孤独だったけれど。

 はじめて人を殺した日、私に家賊ができました。



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