二月十四日。夜の八時五十分過ぎ。よい子が寝る時間と定められている時刻を目前に、私はベッドに横たわっていた。
よい子に寝るためではない。意気地なしな自分への失望で、起き上がれないからだった。
ベッドに伏せたまま、視線を勉強机の上へ向ける。そこには、きれいにラッピングされリボンを掛けられたチョコレートと、まったくおめかしをさせてもらえていないチョコスナックがたたずんでいた。
二つのチョコから向けられる恨めしげな視線から逃げるように、私は枕に顔を埋めた。そんな風に見られても、渡せなかったのだから、どうしようもないじゃないか。自分の不甲斐なさは、自分がよく知っている。
机上のチョコレートは、幼なじみへ渡そうと思って用意したものだった。それが九時を回ろうとしている時間になっても手元にあるということは、つまりそういうことだ。私は、糸師凛にチョコレートを渡すことができなかった。
それもこれも、幼なじみが女の子からのチョコレートをすべて断るのが原因だった。
中学三年生男子の平均身長をとっくに超している上背。真っ直ぐで艶のある黒髪。名前の通り凛としたきれいな顔立ち。長いまつ毛に縁取られた、ターコイズブルーの瞳。
年齢以上に落ち着いた雰囲気も合わさって、幼なじみの糸師凛は女の子たちからとても人気がある。それは、子供のころから知っていることだった。
凛がモテるようになったのは、兄の糸師冴と一緒にサッカーをやるようになってからだった。つまり、小学生の時からである。兄弟でチームのダブルストライカーとして活躍するようになって、女の子たちが糸師凛という男の子に気づいたのだ。
そこから人気が出るのは早かった。学校内の女の子たちはもちろん、応援に来ていた学外の女の子たちも、凛を見てきゃあきゃあ言ったり、弾んだ声でひそひそ話したりするようになった。サッカーを始めるまでは、兄のまわりをチョロチョロしている目立たない少年だったのに。
ただ不幸中の幸いというか、凛はサッカーしか目に入っていなかった。ませた女の子たち──下級生、同級生、上級生を問わず──の告白は、一切の特例もなく断られてきた。
そんな中、私だけは別だった。「家族ぐるみの付き合いがある幼なじみ」という優位的特権。それを利用することで、凛にバレンタインチョコを受け取ってもらえる立ち場にいた。
知らない子だろうが知っている子だろうが、バレンタインのチョコは全部断るのに、幼なじみからであれば受け取ってくれる。それが、私がまわりからリードを取ることができる唯一の武器だった。
──けれど。
ごろりと寝返りをうって、机の上へ目を向ける。そこには未開封のチョコレート菓子が二つ残っている。
今年は、チョコレートを渡すことができなかった。これまでなら慣例のようにできていたことができなくなったのは、私が高校生になり、少し凛との距離ができたからなのだと思う。
私と凛は、学年が一つ違う。高校へ進学したことで、私の生活の場は少し変わった。制服が新しくなり、通学のルートが変わった。高校で知り合った友人ができたし、勉強はこれまでより難しいものになっている。
そしてなにより、校内を見回しても、どこにも凛の姿がない。渡り廊下、階段、校庭に、グラウンド。中学校では、学年が違っても見かけることがあった凛の影は、今やどこにも見つけられない。
だから今年は、渡せなかった。もしかしたら、今年は女の子からのチョコを受け取っているかもしれない。そう考えたら、渡す勇気がなくなってしまったのだ。
いつまでも一緒にはいられないとわかっているのに、いざ、凛が私の目の届かないところにいると思うと、身動きが取れなかった。臆病な話だけれど、断られた時のことを考えると、渡さないほうがマシだとも思ってしまった。
凛が私のチョコレートを受け取ってくれなかったら──他の女の子のチョコを受け入れていたら──きっと私は立ち直れない。
長年胸の奥であたため続けている恋心は、気がつけばひどく傷つきやすいものになっていたのだ。
それなのに、言い訳ができるように、保険をかけるように、本命として渡せるチョコと、義理として渡せるチョコの二つを周到に用意しているのだから、笑ってしまう。
渡せるものなら、きちんと包装されたチョコレートを。それがダメでも、これまで通り気軽なチョコスナックを。
どんな状況にも合わせられるよう備えたというのに、結果はというと、どちらも私の部屋に残っている。
「はあ……」
重たいため息が、部屋の床を転がっていく。どちらのチョコも自分が食べることになると思うと、虚しかった。ネガティブな気持ちで食べられることになるチョコレートも、かわいそうだ。
できるものなら封印でもしてしまいたいところだけれど、こうなったら、チョコレートを胃の中に消して、眠って、忘れてしまうのが正解だ。触れたくないからと先延ばしにすればするほど、こういうものは気を重くしていくものなのだから。
「さっさと片付けちゃって、寝よう……」
のっそりと身を起こした時だった。部屋に近づいてくる足音がした。母さんだろうか。なんの用だろう。ぼんやりと待っていると、ドアがノックも無しに開けられた。
「──り、ん」
すぐそこだから部屋着のままで来ました、というような上下揃いのグレーのスウェットに、無骨な裸足。無遠慮に現れたのは、今まさに私を悩ませていた張本人だった。
驚いて目を丸くする私を真正面から受け止めて、凛はスタスタと部屋に入りドアを閉めた。それは勝手知ったるというような、慣れた動作だった。
「──え、なに、どうしたの、こんな時間に」
部屋の時間は、いつの間にか九時を回っていた。用があって来たにしても、訪問するには少し遅い時間と言えるだろう。
戸惑う私をよそに、凛は挨拶もなにもないまま、見下ろすように私の前に立った。ベッドに座る私に、凛の影が落ちる。
見下ろしてくる顔は、ぶすっとした不機嫌な表情だった。今や機嫌がいいことの方が少ない幼なじみだけれど、こんな顔をする心当たりがなくて、意味がわからない。
「……なんか言ったらどうなの。ていうか、こんな時間から女の子の部屋に上がり込むなんて、常識がないんじゃない」
不機嫌さにつられるように、私もむすっとした言葉を投げる。けれど内心では、動揺を隠すのに必死だった。
凛が部屋にやって来た理由がわからない。なにより、降ってわいたようなチャンスに、心臓がバクバクしていた。
どうしてこんな時間に現れたのかはわからないけれど、凛がやって来た今なら、チョコレートを渡せる。たとえ本命は無理だとしても──義理、なら。
昔と変わらない気軽さで部屋に入ってくるくらいなのだ。きっと私はまだ、凛にとって幼なじみのはずである。それなら──「幼なじみ」からの義理チョコなら──受け取ってもらえるんじゃ。
傷つくのを恐れる弱い心が、悪あがきのような計算をする。本命チョコを受け取ってもらえなかったら失恋が確定するけれど、義理チョコなら受け取ってもらえても、もらえなくても、傷は浅い。
そんなことを目まぐるしく考えていると、凛が薄い唇を歪めるように開いた。どこか吐き捨てるような物言いだった。
「ぬりぃこと言ってんじゃねぇ。俺とお前なんだからいいだろ」
その言葉にカチンと来た。「幼なじみだから」という意味なんだろうけれど、今の私の心に波風を立てる言葉だった。
凛は、幼なじみとしか思ってないかもしれないけれど。──私は、そうじゃない。
私を見下ろす、冷めた表情。口数は少なく、年下なのに小生意気。横柄な態度は、かわいげがない。
それなのに。私はこの男の子のことが、やっぱりどうしようもなく、好きなのだ。だから、些細な言葉一つでかき乱される。
そう痛感すると、胸がぎゅうっと締め付けられた。私ばかり、凛のことで苦しくなる。私ばっかりが、凛のことを好きだ。
凛は、私のことを幼なじみとしか思ってない。そのことを突きつけられ、チョコを渡せるかもという甘い期待がぽっきりと折れた。途端に、あれこれ考えていたことがどうでもよくなる。やっぱり、机の上のチョコレートは、私が食べる運命にあるらしい。
「……で、なんの用なの。用があったから、来たんでしょ」
蝕むように、胸の奥から悲しい気持ちが広がってくるのを感じながら、用件を尋ねる。凛の顔をまともに見ることができない視線は、机の上のお菓子の方へと逃げた。渡せないチョコレートたち。ごめんね、あなたたちは目的を果たせず、私に食べられる。
凛は、そんな私の視線を追うように机の方へ顔を向けた。その横顔は非の打ちどころのない稜線を描いていて、美しさとは不釣り合いな表情が浮かんでいた。
「好きなヤツいんのか」
「──え?」
視線を机の上に固定したまま、凛が低い声で唸るように言った。ぼうっとしていた私は、すぐには反応ができなかった。
「それとも、兄ちゃんにあげるつもりかよ」
「──待って、なんの話?」
凛はちらりと私の方へ目を向けた。冷たくて、それなのに業火に燃えるような瞳だった。
「アレのことだ」
ギラついた眼のまま、顎でしゃくるようにして、机の上のチョコレートを示す。どうやら凛は、机の上のチョコレートを兄の糸師冴へ贈るものと勘違いしているようだった。
たしかに、冴が日本にいたころは、凛と冴の二人にチョコを渡していた。冴は凛の二つ上で、私からは一つ年上になる。お兄ちゃんのように慕っている、もう一人の幼なじみだ。
でも冴は十三歳のころにスペインへサッカー留学に行ったため、ここ数年はチョコレートを渡せていない。私がバレンタインにチョコをあげる男の子は、凛だけになっていた。
「……冴くんにあげるチョコだとして、それなら凛に関係ないでしょ」
けれど、私はその説明をせずに挑発的な言葉を返した。勘違いしないように、という気持ちからでもあった。
まるで冴にやきもちをやいているようにも聞こえる言葉に、そういう意味が込められていないことは知っている。凛が、兄の冴のことをとても憎んでいるからだ。
サッカーのことで揉めたらしい兄弟は、昔の仲の良さの影もないくらい、ギスギスとしたものになっている。詳しいことはよくわからないけれど、冴のことを慕っていた凛が、今では憎悪を向けるようになっているほどだ。
だから、凛のこれはやきもちでもなんでもない。ただの対抗心、兄ちゃんに負けたくないとかそういう、私をすり抜けた向こうを見ている発言なのだ。
凛はきれいな顔を鬼の形相にして、私をにらんだ。その感情を剥き出しにした表情が、やきもちからくるものならどれだけうれしかったか。虚しさでいっぱいになった私は、投げやりに続けた。
「そうだよ、冴くんにあげようと思って用意したの」
発作的についた、意地の悪い嘘だった。すぐに罪悪感が襲ってくる。凛を傷つけるためだけに、冴を都合よく使ってしまった。そもそも、冴にチョコをあげるなんて、考えつきもしなかったのに。
私のことを、妹のようにかわいがってくれていた人。そんな人をこんなことに利用するなんて、私はなんて嫌な子なのだろう。
凛のことを好きでいると、私は嫌な自分ばかりが出てくる。恋はもっと、どきどきして、楽しくて、素敵なものだと思っていたのに。
実際は真逆で、ずきずきして、苦しくて、泣きたくなる。
私は懺悔するように、膝の上で指を組んでうつむいた。凛は微動だにしない。まるで、責める者と責められる者のようだった。
居心地の悪い沈黙が、部屋の中いっぱいに満ちる。動いたり、声を出したりするのがはばかられる空気だった。
その張り詰めた均衡を崩したのは、凛だった。
荒々しく踵を返して勉強机へ詰め寄ると、引ったくるようにチョコレートを鷲掴んだ。かわいらしくおめかしをされた、本命のチョコレートを。
「──ちょ、凛っ!」
私の慌てた制止は、当然のように無視された。
むしり取るようにリボンがほどかれ、乱暴に包装紙が破かれる。剥き出しにされた箱を爪を立てるようにして開けると、凛はその中身を握り潰しそうな勢いでつまみ上げた。
丁寧にデコレーションされたチョコレートが、目で楽しまれることもなく口の中へ放り込まれる。粉々に噛み砕くように凛の顎が数回上下して、喉が大きく動く。するとまたチョコレートをつまみ出し、口の中へ放る。強奪、蹂躙、冒涜、といった言葉がぴったりだった。
私は呆然と、凛がすべてのチョコを飲み下すのを見ていた。雷鳴をともなう嵐のような激しさに、どうすることもできなかった。そうして私の本命チョコは、楽しんでもらうことも味わってもらうこともなく、あっという間に消えていった。
「──フン」
手の甲で口元をぬぐって、凛が鼻を鳴らす。捨てるように机の上に投げられた空箱が立てた、乾いた音にハッとした。
「──……な、なんでっ、勝手に食べちゃうの!」
立ち上がり、凛に詰め寄る。泣きそうだった。
もらってくれるなら、食べてくれるのなら、ちゃんと渡したかった。くだらない嘘をついたのは私だけれど、受け取ってもらえるのなら「凛に」と言って差し出していた。決して、こんな風に食べてもらかったわけじゃない。
泣きたくなんかないのに、意思と反してじわりと涙が浮いてくる。食べてほしかったはずなのに、食べてもらえてうれしいなんて思えなかった。チョコレートに降りかかった出来事が、そのまま私の心にも降りかかっている。乱暴に踏み荒らされた、恋心。
「兄ちゃんにチョコなんか用意すんな。どうせ受け取らねーよ。第一スペインにいんのに、どうやって渡すんだよ。準備するだけムダだろ」
凛はぷいと顔を背けて、忌々しそうに言った。その横顔に噛みつくように反論する。
「冴くんは受け取ってくれるもん! それに国際郵便があるし!」
「お前のことだから、発送にかかる日数の計算をミスってバレンタイン当日には届かねーよ」
「ちゃんと調べるから大丈夫だもん!」
「それなら税関で止められて送り返されるか、途中で盗まれるかのどっちかだ」
「そんなのわかんないでしょ、なんで決めつけるの! 送るのが失敗するかどうかは、試してみなきゃわかんないじゃん。それに、ちゃんと渡せなかったとしても冴くんは怒ったりしないもん!」
呆れるかもしれないけれど、絶対に怒るようなことはない。冴がそういう人でないことは、幼なじみの私がよくわかっている。
「──そんなに兄ちゃんにあげたいのかよ」
次に口を開いた凛の声は、怒気をはらんで低かった。冴を引き合いに出したのがよくなかったらしい。けれど私も、その程度の威圧では臆したりしない。
「あげられるなら、もちろんあげてるよ」
「やめろ。迷惑だ」
「だから、そんなのわかんないでしょ。冴くんのことなのに、なんで凛が決めるの」
「うぜえだろ」
──うざい。その一言に、私の中のなにかがぷつんと切れた。
「そんなこと言うなら、もう凛にはチョコあげないから!」
頭で考えるより早く、感情に任せて私は叫んでいた。
私からのチョコがうざいと言うのなら、もう来年は、チョコを用意したりなんかしない。渡せるかも、受け取ってもらえるかも、なんて淡い期待もしない。うざいと言われても平気でいられるほど、私は強くない。
だから、私と凛のバレンタインは、もうこれっきり、今年で終わり──だ。
「なんでだよ。毎年用意してんだろ」
凛が青筋を立てて言い返してくる。ほとんど反射のように、私も言葉を投げつける。
「は? 私からのチョコはうざいんでしょ。なに言ってんの。意味わかんない」
「俺はうざいとは言ってねぇ」
「言ったでしょ! なに? 冴くんにはあげちゃダメだけど、凛にはあげろって言うの? 冴くんにあげちゃダメって言うなら、凛にもあげないから。凛が決めることじゃないもん」
「兄ちゃんと俺を一括りにすんじゃねぇ!」
「じゃあなんで、私が冴くんにチョコあげるのをいやがるようなこと言うの。凛は凛だけチョコがほしいの? 冴くんにはあげないでほしいの? 私からチョコをもらうのは、自分だけって言いたいの!」
一気にまくし立てると、息が切れた。全力で走った時のように、苦しい。感情がひどく昂っているせいだ。ぐちゃぐちゃにされた頭と心に、くらくらする。
「……そう言ってんだろ」
「……──え?」
短く浅い呼吸を繰り返して少しでも落ち着こうとしていると、ぼそりとした声が落とされた。
「お前のチョコは、俺がもらえば十分だろ」
「え? ……は?」
ぽかんと凛を見上げると、凛は苦い顔で続けた。
「他のヤツにあげる必要はねーだろ。兄ちゃんだとしてもだ」
──いや、だから、なんで?
混乱した私は、唇を半端に開いたまま、凛の顔を見つめることしかできなかった。
凛は、自分がなんて言っているか、わかっているのだろうか。他の男の子だけじゃなく、私が兄のように慕っている冴にもチョコをあげちゃダメなんて、そんなの。
私はグッと眉間に力を込めて、唇を引き結んだ。勘違いをしちゃいけない、ともう一度自分に言い聞かせる。凛のこれは、やきもちなんかじゃない。冴と張り合っているだけなのだ。決して、私が期待したくなるような意味はない。
「……凛には、それあげる」
大きく深呼吸をしてから、私は視線で机の上に取り残されているチョコスナックを指した。
めちゃくちゃになってしまったし、結局ちゃんと渡せるのは、義理と偽るために用意したものになるけれど。どうやらまだ、私のバレンタインデーは終わっていないようだった。
「本当は自分用だったけど、そんなにチョコほしかったなら、あげる。あ、でも! チョコ勝手に食べたことはちゃんと謝って! そうじゃなきゃ、それあげないから」
やっぱり素直な言い方はできず、私は矢継ぎ早に言葉を連ねた。少し明るくなった心を隠すためでもあった。
「……お前、たけのこ派じゃなかったか」
謝罪欲求を黙殺して、凛はきのこの山を手にしながら指摘した。ぎくりとした私は「今日はきのこの気分だったの!」と苦しい言い訳をした。
それと同時に、驚きとうれしさがあった。私がたけのこの里派であることを、覚えているとは思わなかったのだ。また、じわりと胸の内があたたかくなる。
サッカーのことしか興味がないはずのに、私の好みを頭の片隅に置いていてくれた。たったそれだけのことだけれど、この男の子にかかれば特別な出来事に思えるのだ。
「いらないなら、あげないから!」
「いらないとは言ってねーだろ」
不自然なごまかし方だったかと焦ったけれど、それ以上追求されることはなかった。凛はきのこの山を手に取ると、開け口を破る。無造作だったけれど、本命チョコのラッピングを破いた乱暴な手つきとは全然違っていた。
「……来年も、チョコ用意してほしい?」
チョコレートとクラッカーでできたきのこを、黙々と食べている幼なじみに尋ねる。生意気な聞き方になってしまったのは、凛の口から「用意してほしい」と言ってもらいたいからだった。
凛は喉仏を上下させて、無愛想に口を開いた。
「兄ちゃんの分は用意するなよ。見つけたら俺が食うからな」
それは、私がほしい言葉ではなかったけれど、私がほしがっているものが、たしかに含まれていた。仕方がないな、と呆れて見せなければ、口元がゆるんでしまうほどだ。
来年用意することになるチョコは、一つだけだ。本命と義理どちらを渡すことになってもいいようにと、備える必要はない。たった一つだけ、凛のために用意すればいい。
「──帰る」
きのこの山もさっさと食べ終えると、凛は机の側のゴミ箱に包装を投げ入れた。
ありがとうも、ごちそうさまもなかった。もう用は済んだとばかりに、幼なじみは部屋を出て行く。淡白で、最後まで勝手だった。怒涛、とはきっと今日の出来事のことを言う。
凛が出て行ったドアに向けていた目を移す。机には、びりびりに破かれた包装紙とリボンが残っている。私は苦笑を浮かべて、本命チョコの残骸をそっとゴミ箱へ送った。
なんだか疲れた。ベッドに倒れ込み、天井を仰ぐ。振り回されてしっちゃかめっちゃかだったのに、ふわふわと軽い気持ちだった。
寝返りをうって、身体の向きを変える。視線の先、勉強机の上は、すっきりとしていた。
自分で食べることになるはずだった、チョコレート。その二つが姿を消したことが、今はうれしかった。
──来年は、どうしよう。小学生の頃みたいに、手作りなんかしてみようかな。一年先の話なのに、そんなことを考えてしまう。
でも一つ、たしかなことがある。来年は、今日のようにいじいじしたり、不安になったりすることはない。
どんなものを用意しても、凛は受け取ってくれるのだから。
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