高く登った短針。冷めた夕飯たち。ドロドロ系漫画などにありそうな現状に、非現実であればと思わずにはいられない。あなたのために作ったんですよ、とテーブルの上に置いておくのが鉄板だろうか。けれどそんな露骨な嫌みはしたくない。素直に料理は冷蔵庫へと連行した。明日も学校があるから先に寝てしまう方がいいのだけれど、もしかしたら帰ってくるかもしれない。その思いのまま、ひたすらに兄を待っていた。
早くに両親を亡くした私は、年の離れた兄が育ててくれたといっても過言ではない。親戚も多くいたから、兄以外の人たちにも大変お世話になっているけれど。操兄なんかは親類には少ない女子だから、とやたらに構ってくれる。
従兄弟たちとふざけてると、いつもガミガミとお母さんみたいに注意してくるのが惇兄だった。みんなのお母さん。そして私の自慢の兄。幼い私を育ててくれた人。私を大学まで行かせてくれた惇兄には頭があがらない。
どれ程の苦労をしたのだろう。過労で左目失った時は淵兄とかにもお世話になったけど、それ以外はほとんど惇兄が稼いだお金で暮らしてきたはずだ。
そんな惇兄に恩返しというか、少しでもお礼がしたくて始めたのがこれだったと思う。疲れて帰ってくる惇兄の晩御飯はもちろん私が普段から作っていたが、月末は特別豪華にしようと思って作った料理の数々。年々レベル上がっていく料理に「旨い」と言ってもらえるのが嬉しくて結果大学生になった今まで、毎月一回、二人だけのパーティーが開かれてきた。
せめて顔だけでも、と思ってリビングでだらりとテレビを見ていた。正確にはテレビを見て気を紛らわしつつ待っていた。番組も佳境、時計の短針は一つ下へと降ろうとしていた。兄のいない初めての月末に、不安と不満が積み重なる。ソファから立ち上がって背伸びをしても、モヤモヤとしたものは消えなかった。お風呂に入る気力もなく、そのまま私たちの寝室へと向かう。
部屋に入ってからもモヤモヤは膨れていく。ああ、なんで同じ部屋にしたんだろう。別々の部屋だったら。布団を敷きながら、不自然に空いたスペースに気力をさらに奪われていく。しばらく鬱々としながらも、暫くしたうちに意識は遠退いていった。
朝、けたたましく鳴くアラームとは別の不快感が身を襲った。寝ぼけた頭では良く理解できないが、なにか、苦しい。そして異常な臭い。何が起きている。
不快感はどうも近くにいる。離れたい。不快感から遠ざかろうと、腕を前へ背を後ろへ。けれどもまったく変化はない。まだ、苦しい。苦しさに頭が少し冴えてきた私は顔を上へ向けて呼吸の改善を行った。
上には人がいた。髭面の、眼帯。昨夜はいなかった兄が目の前に、いる。回りはじめた頭が、混乱する。頭ほどにある惇兄の口が、すうすうと息をたてていることを見るに、きっと寝ている。そしてその息から酒の気配を感じた。
「(連絡くれればよかったのに)」
おおよその予測を立て、気分よく眠っている兄に消えた筈の苛立ちを覚える。兄を起こす気にもなれず、一先ず鉛のような腕から抜け出して身支度を整えよう。今日も大学へ行かなければならない。きっと惇兄も仕事だろうけど、知ったことではない。服に化粧にと整え、鞄を引っつかんで玄関へと向かう。朝食は学食にでも行こうかなんて思いながら靴を履き、立ち上がったところでふと、靴棚の上に見慣れぬ花束が一つ。そしてその横に四角い、箱。ああ、もしかしたら。
もしかしたら、操兄たちと飲んでいたんだろうと思ったんだ。さっきまでは。お酒が入るとなかなか彼らは離してくれないから、だから、連絡するのも忘れたんじゃないかと。そう、思ってた。けれど恐らく、惇兄は。
なぜか、胸が痛んだ。呼吸が、しづらい。苦しくて苦しくて、立っていられなくなって、玄関の扉に手をついた。ずるずるとしゃがみ込んで心を落ち着ける。
はやく、でよう。一心不乱に家を飛び出した。ああ、そういえば、お風呂入ってないや。