出発日の早朝。いつもなら大抵螢がなかなか目を覚まさずに僕が起こしに行く事になる。一方アラームの音に毎朝起こされている僕は、今日に限って食欲をそそる朝食の匂いで目を覚ました。
ぺたぺたと汗っぽい足の裏と程々に掃除のされた廊下が地味な音を奏でる。疑問に思いながら自然と足を運んだ台所に立つ後ろ姿は、正に螢のそれだ。ちなみに妹の料理は一体いつ仕込まれたのか、母親の味付けにそっくりだった。おかげで兄妹で暮らしていても親の料理を食べている気分だったり、最近ではむしろたまの母親の手料理の方こそが螢の作ったものとそっくり、とすら思えてきた。
昨夜忙しなく旅行用の準備をしていた螢は、明日きっと起きられないだろうと予想していたのだけど。夏希先輩と会うのに遅刻なんてできますか!と威張られたけど、いつもこうならばどんなに良いか。

今日は早くに家を出て、東京駅で夏希先輩と待ち合わせだ。
昨日の内に妹同行についての許可はもらっておいたけど、先輩を驚かせたいだとか言った螢の我が儘で、まだその“妹”が螢だという事を夏希先輩は知らない。快くOKを出してくれた先輩に感謝だ。
そんな訳で待ち合わせ場所に向かえば、当たり前と言えばそうだが制服でも胴着でもなく、私服のラフな格好をした夏希先輩がそこにいた。どうやって女子一人でここまで運んだのか、周りに大量の荷物を並べて。

「夏希先輩!お久しぶりです覚えてますか?私以前道場でお世話になった螢です」

先越された。最初の感想はそれだった。
適当な挨拶をして、あとは螢の事だなと考えた時には妹の方は既に口を開いていた。一瞬ぽかんとした後、まるでじんわりと来る内からの歓びとでも言うようにゆっくりと笑顔を取り戻した夏希先輩は「本当にあの螢ちゃん?」と聞き返した。

「久しぶりだね!健二君お兄ちゃんだったんだ」
「ええまあ……すみません。内緒にしろって言われてて」
「だって感動の再会だよ。びっくりしてもらいたかったんだもん。それであの、夏希先輩。私本当に着いてって良いんですか?」
「へ?」
「健兄だけなんてズルイです!私も夏希先輩と遊びたいです」

でも、迷惑じゃありませんか?捨てられた子犬みたいに先輩を見上げた螢は道場に通っていた頃にもそんな風にしていたのだろうか。
なかなかにアクティブだが運動は出来ない螢が興味本位で剣道を始めて、一時期本当に楽しそうに剣道場に行っていたのはもしかしたら、剣道が楽しかったというより夏希先輩みたいな人が仲良くしていてくれたからなのかもしれないな。僕は心の中で一人自己解決をした。

「うんうん。迷惑な訳ないよ。皆にももう言ってあるし。っていうか私がお兄ちゃん取っちゃったんだもんね」
「きゃー夏希先輩サイコー!」

なんだかんだ考えている内に妹の上田行が再決定した。その後1分程歓喜の声を絶やさなかった螢だが、夏希先輩の「いけない、そろそろ移動しないと」という呟きに機敏に反応した。

「と、その前にお弁当買わなきゃ。売店今混んでるかなあ」
「あ、僕買ってきます」

先輩と螢には先に新幹線の席で待っててもらおうと申し出れば、夏希先輩は少し申し訳なさそうにお礼を言ってくれた。よしよし、役に立ってるぞ、僕。

「何が良いですか?」
「じゃあ、夏野菜弁当かな」
「私、噂のポケットサンド食べてみたい!」
「はいはい」



「妹か……良いなぁ。私も欲しかったな」
「私ひとりっこなの。だから兄弟ってちょっと羨ましいな」
「あ、でも代わりに親戚の子がたくさんいてね、あんまり会わないけど会った時は皆兄弟みたいに仲良く遊ぶんだ」

何とか目当ての駅弁を調達するミッションをやり遂げ、新幹線に乗り込む。そこでは既に夏希先輩と螢が会話に花を咲かせていた。
それを小耳にはさみながら、空いてる席に腰を下ろす。並びは左から螢、僕、通路を挟んで夏希先輩だ。後から来る僕が通路側でも何の不思議もないが、このメンバーだと僕がひとり外れた席で仲間外れ状態という事も大いにあったのに。もしかしたらこれは螢がさりげなく気を使ってあからさま過ぎず、けど話し易い夏希先輩の隣を空けておいてくれたのかもしれないな。いやいやいくらなんでも考えすぎか。
数年振りの再会はやっぱり話も弾むのだろうか。二人じゃないのは残念だけれど、口下手なのを自覚している僕だけじゃ夏希先輩の止まらないおしゃべりに着いて行けるか少し不安だったので、螢がいたのは幸いだったのかもしれない。



「そうだ。言ってなかったんだけど、実はその、もうすぐ大おばあちゃんの誕生日なの」
「お祝いの為に日本中から親戚が集まるから、その子達にも会えると思うけど……」

僕が席に着いて、今しがた買ってきたばかりのお弁当を広げだした辺りで急に会話の雲行きが怪しくなった。それは螢も思ったようで、やっぱり僕よりも先に疑問を口にしていた。

「夏希先輩。それって、私達がその場に行っても良いんですか?」
「そうですよ!ご親戚の集まりに、僕らなんかが……」
「いいのいいの!」

そんなかしこまったものでもないし!と両の手を横にぶんぶんと振った夏希先輩は明らかに無茶な話題転換をした。

「そっそれよりねっ!聞いたよ、健二君、何の日本代表?あとちょっとだったのに惜しかったんだって?」

昨日の夕方から忘れかけていた事項が再び急激に脳内を占拠した。そう、あとちょっとだったのだ。あとちょっとで数学オリンピックの日本代表になれたのに。
昨日佐久間にも散々言われたように、できることならそろそろ他に目を向けたい。しかし諦めるにしても、そのあとちょっと、がわだかまりになって結局昨日夏希先輩がきっかけを持って現れるまで引きずってしまっていたのだ。

「へぇ、凄いんだね健二君。頭良いんだ」
「ていうか、それしか出来ないだけなんですけど」
「謙遜してますけどホントに凄い事なんですよ。どうですか、夏希先輩。なり損ねたって言っても日本代表に近しい彼氏なんて!」

妹からも推薦しときますよっと語尾に弾みを付けた螢の言葉に意図せず駅弁を吹き込む。中々、調子付いてる螢の発言は心臓に悪い。

「何言ってんの!螢!」
「良いじゃない、バイトって言っても一緒に旅行行くって事は健兄気があるんでしょ。こーいうのはグイグイいかないと!私も夏希先輩みたいなお姉ちゃんいれば嬉しいし?」

最後以外夏希先輩には聞こえないようにした螢に、さっきの話の続きと思ったのか先輩は軽くクエスチョンマークを浮かべながら「私も螢ちゃんみたいな妹がいたら嬉しいな」と笑ったのだが、ぶっちゃけ腑に落ちない。何故かって?答えは結構簡単で、言うなれば嫉妬に近い。

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