「ひっく…………ぅ……っく」

人様の家の廊下を歩きながらボロボロ涙を流す私って一体なんなんだろう。一体私が何をして、何が悪かったと言うのか。幸いな事に人に見られる事は無かったものの、それでも必死に涙を止めた。
しゃくりあげながらもようやく少し落ち着いてきた頃、いつの間にか来ていたのは大広間の近くだ。そこからはテレビの音と複数の声がして、自分の目元が赤い事くらいは容易に予想できた私は少し手前の廊下で立ち止まる。

テレビから流れる音は野球中継でよく聴く音楽で、かと思えばそれは速報を知らせる男性ニュースキャスターの声に変わった。同時に、広間にいた人達の声も応援からブーイングに変わる。


「指名手配されているのは都内の男子高校生で」
「少年は昨夜外部からは不可能と言われるOZの内部へと侵入し」

しん、と静まった室内に、螢の脳も急速に冷える。佳主馬君の事、かず姫の事、その衝撃が大きすぎて、どうしてか私は忘れていた。そんな自分がとてもおかしい。自分の兄が今、全国に指名手配されているのだ。

「……っ」

動揺と困惑で大広間に駆け寄ろうとして、そうじゃないと直前の角を曲がりかけて止まる。しかしそこは縁側に腰掛けていた侘助さんからはしっかりと見える位置で、一瞬の瞬きの後、にたりと意味があるのかないのか笑われた。
私はなんだか居た堪れなくて、踵を返して走り出す。後ろで侘助さんが独特な笑い声を漏らしたのが聞こえた。



どたばたどた!がたがたんっ!
落ち着きもなく元来た廊下を駆ける。途中で子供達がユカイ犯がどうだとか言いながら反対側へ駆けていくのが見えたけれど気にしている余裕はない。

「――っ健兄!」
「螢!?」

納戸に戻るとそこは珍しく扉が閉まっていて、ノックも力加減もなしに開けた先の室内はやっぱり暗かった。そしてなんだか、室内の空気も暗い。そんな事を認識する余裕もなく、私は一直線に健兄に目を向ける。
もうパソコンから手を離していた佳主馬君がちらりとこちらを一瞥したが、互いに声はかけない。

「健兄、逃げて!皆さんに……」

どたどたどた!さっきの私と同じような足音が複数こちらに向かってくるのを感じて、必死に声を出しながらも少し遅かった事を理解する。
閉め直していた扉に文字通り体当たりで入室してきたのは、警官姿で手錠を片手に持った翔太さんをはじめ、それを止めようとしたであろう夏希先輩、直美さんや理香さん達だった。

「……ばれちゃったみたい」





「全く、なんでこんな嘘ついたのよ!」

万理子おばさんを前に、健兄と夏希先輩が正座をしている。そこには大おばあちゃんもいるけれど、嘘に荷担していた私も今はあまり顔を見れないだろう。
そんな私はと言うと、納戸から連行された健兄と共に重要参考人として連れて来られたのだが、その時気の利く女性陣が目の腫れている事に気付き、今は隣の部屋で応急処置として保冷剤やらタオルやらを渡されて目元を冷やしている。隣にいる直美さんは多分、監視役だと思う。反対側の部屋にはテレビを囲みながらも二人を気にする素振りを見せる由美さんや子供達もいる。佳主馬君は来ていない。

「……ごめんなさい」

消え入るような夏希先輩の声が壁1枚隔てた先で聞こえる。健兄への心配が無駄に終わってしまい、再び頭の中はかず姫や佳主馬君でいっぱいになる。ぼんやりと聞いていた隣での会話がいつの間にか説教からからかう口調に変わっていて、話の中に侘助さんが登場する。
旧家出身の東大出身留学経験者。あぁ、あのハードルの高すぎる偽恋人の役にはそんな裏事情があったのか、とこれまたぼんやり思う。
昔の作文のタイトルを暴露されたところで、夏希先輩の必死の悲鳴が響いた。

「どーでもいいよ!そんな事!」

一瞬夏希先輩の黒歴史が暴露された事で和んだ室内が、翔太さんの声で再び修羅場へと戻った。

「それより問題は、こいつが犯罪者って事だ!」

ガシャン、と金属のぶつかる音。さっき翔太さんが納戸に押し入って来た時に持っていたのはなんだったか。そうだ、確か。

「……手錠ッ!待って!健兄は、」
「やめときなって。兄貴が連行されんのなんか見たくないでしょ。それに」

腫れた目なんかお構いなしに隣の部屋へ駆け込もうとした私を、直美さんが静止する。どうせ健兄がここを去れば、私なんかこの家にいられなくなる。

「アンタまで犯罪の片棒担いだって勘違いされたくないでしょ?」

やけに冷静な声が脳内を圧迫して、思考回路を停滞させる。そんなの今はどうだって良いのに。動かなきゃいけないのに。全身が凍りついたようだ。でも、健兄が。何とかしないと、何か言わないと、健兄が。また私は、何にもできないで終わるの?今度は大事な家族を失うの?佳主馬君の言葉がちょうど胸に閊えた。
“泣き見るよ”

「あのテレビでやってるのは、本当にお前さんなのかい?」

目尻がもう一度熱を帯びて来た頃、聞こえたのは大おばあちゃんの声だった。ぴたりと出かけた涙が引っ込む。大おばあちゃんの声が胸に浸透して、安心感が緊張を紐解いていく。

「あの!ここにきて、すごく楽しかったです」

手錠を引っ張る翔太さんにはじめて抵抗をして、健兄がおばあちゃんに向き直る。その恰好は酷く情けないけれど、皆それを驚いたように見つめていた。隣の直美さんも私と同じように襖からそれを覗いている。

「大勢でご飯食べたり、花札で遊んだり……こんな賑やかなのははじめてっていうか」

ああ健兄も花札誘われたのかな、と端にいる大おばあちゃんに目を移す。その人はしゃんとした姿勢で老眼鏡の奥から健兄をじっと見つめている。

「ちょっと戸惑ったけど、でも楽しかった。螢も多分同じで、あんなにはしゃいでる姿は久々に見ました」

隙間から覗いていれば穏やかな表情をした健兄と目が合う。どうして今、こんな状況で私に笑いかけられるのか、それが不思議でならなかった。一番辛いのは健兄のはずなのに。あの表情は私が迷子になった時、宥める時によくする顔だ。

「夏希先輩に頼ってもらえたのも、嬉しかったんです」

健兄がゆっくりと頭を下げる。おばあちゃんは健兄以上に穏やかな表情をして、「そうかい」と短く返事をした。

「お世話になりました」

その声を聞いてハッとする。健兄が連れて行かれてしまう。指名手配されて、連行されて、健兄と次会えるのはいつになる?

「お世話ついでに、ひとつだけ良いですか。今回の事と螢は一切関係ないので、妹だけは煙たがらないで、東京に帰れるまでの間ここにいさせてあげてほしいんです」

それは私にとって死刑宣告も同じだ。今度こそ、熱くなった目尻からは涙が零れた。


少年Aの身柄、確保完了。


2010.09.18.sat

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