「健兄ごめんなさいぃ!」
「えぇえうわっ!螢!?」

兄妹の生き別れからほんの小1時間。長いようで短い時間の流れが終わり、これにて感動の再会、完了だ。

「あぁぁ、結局泣いちゃった。また目冷やさなきゃ」
「螢、今日すごい泣いてるよね」
「お兄さんがいない間も泣いてたよ。結構すごいブラコンだよね」
「何よー、健兄いない間のは佳主馬君が泣かせたようなものだもん」
「うわ、ばか、何言って……!」
「佳主馬、女の子泣かせちゃダメよ」
「……へえ、仲直りできたんだ?」
「うん!」

無邪気ににこにこと笑う螢に夏希がつられて笑う。一方佳主馬はというと、健二の笑顔に危機感を感じた瞬間であり、ひとり引きつった顔をしていた。
翔太も一歩離れて着いてきている。話の中心が夏希ではないからか、いつも突っかかってくる割に会話には参加する気配がなかった。

大所帯で向かう先は佳主馬のテリトリーである納戸で、到着後手際良く立ち上げられたパソコンは真っ先に東京にいる佐久間と回線が繋げられた。

「AIだよ、AI。いわゆる人工知能ってヤツ」

画面越しの佐久間はパソコンの前にたくさんの資料を広げて何か調べものをしている様子だった。内容は夏希に電話で知らせたように、犯人の正体だろう。分厚い一冊の本に目を通しつつこちらをちらりと見て、話し出す。
どうやらそのAIというものは海外で開発されたハッキング用のもので、開発中に研究所を脱走したらしい。佐久間から今朝見た姿と同じ観音のような、しかし雄々しい体格をしたアバターのような資料がいくつも送られてくる。与えられたその名も

「ラブマシーン」

横文字の名前が、外見や開発された趣旨とは相当不似合いに思えた。それは話を聞けば聞くほどである。
昨晩健二の解いてしまったパスワードを好きに使って、ラブマシーンは今も悪事を働き続けている。OZ内のアカウントももうどれほど奪われているか知れない。
全国での混乱はそれによる、ラブマシーンの仕業だ。と断定する佐久間にいまいちピンと来なかったらしい夏希がアカウントの重要性について問う。アカウントとはインターネット社会における身分証明であり、事OZに関してそれを奪われるというのは非常に重い。何故ならOZは現実社会にも多大に影響していて、アカウントはその人自身と同じ権限を持っているに等しい。簡単に言えば、こういう事になる。

「大統領のアカウントを盗めば、核ミサイルだって撃てるかも」

眼鏡を上げながら告げた佐久間に全員の顔から血の気が失せる。とは言えこれはあくまで“かもしれない”の域であり、実際に大統領レベルの人間がOZに身を置いているのかすらも謎だ。
しかしそれを真に受けてか、事の重大さに気付いてなのか健二が頭を抱えた。

「ぼっ僕のせいだ!僕の!」
「やっぱり逮捕だ!」
「ちょっと待って下さいよ翔太さん!」
「どうにかならないの!?」

一気に画面の先が騒がしくなる事は佐久間にも予想はできていた。ただし状況は深刻だ。
OZのエンジニア達が今現在も管理棟に入れないでいる。ラブマシーンが書き換えてしまったセキュリティを破るには、暗号化されたパスワードを破る他に方法はない。そう、昨日のように。とは言え今回は昨夜解いた2056桁を遥かに下回り、512桁である。
OZの内部の人間ならそれを解ける者だっているはずなのだが、自分達が設定したのではない暗号はその答えに確実さがない。もしも間違えでもしたら、内部の人間のアカウントをラブマシーンに盗られてしまう。そうなれば、それこそ終わりだ。また、ユーザー達の中にもそんなリスクを背負ってまで率先して解こうという者は今のところ現れないままだ。

「急いだ方が良いよ」

絶対に間違えるな。その言葉は数学オリンピックでミスして代表を逃した人間には重かった。
絶対だなんてそんな事、こんな僕にできるだろうか。尻込みする健二に冷静に画面を見つめていた佳主馬が声をかける。
状況が目に見えて悪化しだした。一部の企業から情報が流出しだしていた。個人情報の漏洩。例えば、電話会社の通話ログが今まさに飛び立とうとしている。その情報を眺めていた夏希がひとつのマーク、正しくは家紋であるそれを見つける。見慣れた家紋は、まさにこの家のものだった。

「頼彦!くじけないで一軒でも多くのお年寄りの家を訪問するんだ、いいね?」

もしかして、大おばあちゃん?
夏希のぽつりと呟いた言葉に全員が書斎に向かう。こっそりと覗いたそこは手帳や電話帳、手紙に年賀状なんかが散らばっている。その中心で古風なダイヤル式の電話に向かっていたのは紛れもなく陣内栄その人だ。

「へこたれるんじゃないよ!意地を見せな」
「渾身戦えば悔いなし!ここで頑張らないでいつ頑張るんだい?」
「これはあんたにだから頼んでるんだ」
「お前さんにしかできない事だろう」
「諦めなさんな。諦めない事が肝心だよ」

数えきれないほどの言葉で、ダイヤルを回す度に大おばあちゃんは相手を元気付けていく。その姿に揃ってぽかんとしていた中、健二の表情に段々と決意が宿る。

「そうだよ、その意気だ」

取り出したのは使い慣れたルーズリーフとシャープペン。向かうは画面に映し出された数字の羅列。

「あんたならできる!」

床に置いた紙面にペンを走らせる。これが、今の健二に「できる事」なのだ。
そうして何枚もの紙を使用し、途中何度か止まった手と思考はそれでも答えを導きだした。

「――できた!」

皆が見守る中PCに飛びついた健二が、パスワードを入力していく。打ち間違えのないよう、丁寧に。キーボードを叩く指は勿論、全身がべたりと緊張の汗を滲ませていた。
生唾を飲み込んだ健二がゆっくりとエンターキーに指を置く瞬間、誰もが閉口し一緒に緊張を味わった。
さあ、いざ――……

カチ、と小さく納戸に音が響くのとほとんど同時に、管理棟へのゲートが開いた。成功したのだ。開いたゲートへ一斉にOZのエンジニア達が進出する。
一拍置いて歓喜の声が納戸に沸きあがる。

「健二君スゴイ!」
「やった!健兄、名誉挽回!」
「これで汚名返上だな。……あれ?」

緊張感から解放された健二が深く息を吐いた。そこに佐久間から更なる朗報が届いた。昨晩のパスワードを解いた人間は健二だけでなかったという事だ。画面上に表示された正解者リストにはズラリと名前が羅列されている。正解した者だけでも全国でその数なんと、55人。

「だがしかし、その中になんとお前は含まれていなーい!」

愉快そうに笑う佐久間がカメラに顔を近付けているので画面内にあるひとつのブラウザは現在彼のドアップである。しかし今はそんな事より、その言葉の真意が全員気になっている。
パスワードを解いて返信してしまった為に健二は指名手配され、散々な目にあっているというのに一体それはどういう事なのか。今に噴き出しそうな佐久間の死刑宣告。

「最後の一文字が間違ってまーす!」

ブブーッとクイズ番組の不正解を示す音を口で真似る。一気に真剣モードを投げた佐久間はすっかり健二をからかう態勢になってしまっている。
返信してしまった者はその時点で区別なくアカウントを奪われた訳で。不正解だった健二の場合は瀬戸際とは言え犯罪者になってしまう心配は気苦労に終わったというべきか。

「チッ、犯人じゃねーのかよ」
「よ、良かったじゃない!今のは正解したんだしっ」
「そうそう、もう捕まる心配いらないよ健兄!」

人としては結構でも、数学好きとしてはちょっとこのショックは拭えない。石化してしまった健二だが、まあ、結果オーライである。


無罪放免御役御免


2010.09.19.sun

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