僕は今日この日の全てが、今日この時の為、そして今日から起こる奇跡の物語の為に用意された前置きだったのではないかと思った。

勿論そんな訳はないのだけど、友人の佐久間に誘われてバイトをした事も、その場所が部活に精を出す生徒の集まる学校だったという事も、休憩時間昼食の調達に行ったコンビニの帰り憧れの先輩が部活に専念している姿を見れた事も。あとそれから僕がへこんでいた事だったり、コンビニに向かう途中にあるラーメン屋さんが一月以上前から出している“冷やし中華はじめました”の看板だったり、コンビニの帰り道端にあったのに気付かず左足で踏んでしまった犬の糞だったり、それを見た子供達に笑い逃げられた事だったり。
とにかく今日見た事、起こった事、全てがそう、今この瞬間からの為にあったのだ。きっと。


「ねぇ!バイトしない?」

前置きが長くなったが、本日は夏休みが始まって間もなくの事。憧れの夏希先輩の言ったこの一言で僕、小磯健二の一生忘れられない夏は始まった。

「募集人員、1名なの」



どたどたどた!適当に靴を脱ぎ捨て乱暴に部屋に駆け込む。その音を聞きつけたらしい妹の螢がいつもの事ながらノックもなしに部屋の戸を開けた。

「お帰り。忙しなくしちゃって何々?どうしたの?」
「うん、ただいま。ちょっとね!」

振り返りもせずに返答をする僕に「答えになってないなあ」と呟くような声。螢は今不機嫌に口を尖らせているのだろうか、それとも面白いものでも見つけたように笑っているのだろうか。その答えは振り返っていないので、分からない。

「帰宅してすぐパソコン向かわないなんて珍しいね。数学オリンピックへの未練は解消したの?夏休み早々お泊まりの準備?私になんにも言わず?私ほっぽって行っちゃうの?」

家は親が共働きで、父親は単身赴任。母親は一緒に住んではいるものの、僕達の活動時間=勤務時間に等しく平日なんかはほとんど顔を見ない状態だ。
そのせいか休日や祝日の1日予定のない日に黙って家を空けたりなんかすると、螢から圧力をかけられる。今みたいに。ちなみに本人にその気はないらしい。

「で、どこ行くの?佐久間君家?」
「別に良いだろ、どこでも」
「……気のせいじゃないと思うの、なんか顔の筋肉が緩んでる」
「えっ」

時たま螢はほんの少し面倒な言い回しをする。今回のそれも同じで、要約すればにやけてるよ、だ。対してニコリと笑みを張り付けた螢、これが無自覚というのだから末恐ろしいったらない。

「どこ行くのかな?」
「……夏希先輩のご実家に数日お邪魔させて頂きマス」

うっすらと浮かんだ気がする冷や汗にゆっくりと白状。片言な上敬語なのはこの際気にしちゃいけない。が、ふと見た螢の表情の意外な事。

「えっ……えっ夏希先輩ってひょっとしてまさか篠原夏希先輩!?」
「知ってんの?」
「知ってるも何も昔行ってた剣道場の先輩!そっかあ健兄の先輩でもあるんだ」

私も久遠寺高校目指そうかなあ、とか言い出した螢は今年の春中学生に上がったばかりである。螢が久遠寺に入ろうともその頃には夏希先輩、ついでに僕もとっくに卒業している。

「ねえ、でも何で?先輩と仲良しなの?佐久間君しか友達いないと思ってた」
「失礼だな!でも別に仲良いとかって訳じゃなくて。バイト引き受けたんだよ、バイト」
「ふぅん。……ねー健兄、私も行きたい」
「……言うような気はしてた」
「さっすが!だって家にいたってつまんないし、私も夏希先輩に会いたい。夏希先輩のご家族にも会う!ね、ダメ?」

螢の友達はみんな家族旅行に行くらしく、つまらなさそうにしていたのを思い出した。もう中学生とは言え、まだ中1の妹を家にひとりは酷かもしれない。

「……分かった。でも勿論先輩に許可もらったらだからな」
「やったあ!」

そしてこんな感じで、僕の妹、小磯螢の夏も始まった。


小磯家の夏、はじまりました。


2010.09.12.sun

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