さて、色々衝撃的だったものの上田での初日にも夕方がやってきた。とは言え真夏の夜はまだ当面明るいけれど。

「じゃ、お邪魔な私はお手伝いして来るのでお二人で散歩でも行って来たらどうですか?偽、恋、人、さん」

少し前まで健二に対し罵詈雑言とまではいかないものの言いたい放題だったのが嘘のように、螢はもうこの状況に慣れたらしく、何か企むようににひひと笑った。健二は直感でもなんでもなく確信をもって思う、面白がられている。
確かに少しでもふたりきりでいないと、恋人関係を怪しまれるかもしれないというのは尤もだ。オマケで泊めてもらうんだから、夕食の支度とか、何か力になってくる!と意気込んだ螢と、少し罪悪感があるものの健二達が二組に別れて1時間以上が経過した頃だ。健二が夏希との名目デートこと散歩散策を終えて、夕食の為大広間に戻った事でそれは発覚した。

「あれ……螢は?」

そこにはおばあちゃんを含め陣内家の人間が既に大勢集まっており、その全員が囲めるであろう大きな机にはたくさんの手料理が所狭しと並べられている。夕食の手伝いをしに二人と別れたはずの螢はしかし、そこにはいなかった。
これで最後だろうか。ちょうど台所から大皿を持ってきたらしい万理子おばさん(昼間大おばあちゃんと間違え健二が大失態を犯した相手である)に、他に会話をした事のある人が部屋の正反対に位置する大おばあちゃんくらいしかいない事を見て健二がおずおずと声をかける。

「あぁ、あの時の妹さん?てっきり貴方達と一緒にいると思ってたわ」
「いえ。夕飯の準備を手伝うからって別れたんですけど」
「台所には来てないですよ」
「おかしいなぁ……どこ行っちゃったのかな?」

新参者がいるのに気付いたのか、大家族の視線が集まる。会話の内容を受けて各々が女の子なんて見かけた?と情報を集めようとするが、見てないとかどうだろうとか結果は期待できない。

「どうしよう。私達が本当に二人で行っちゃったから拗ねちゃったとか……」
「ははっいくら何でもそんな小さい子でもないんですから…………あぁっ!」

健二はさぁっと顔から血の気が引くのを感じた。己の失態に顔がひきつる。一体どうして、今まで忘れていたんだ。
ざわざわとしていた室内の全員が次の言葉に耳を傾けていた。それに応えるように健二は口を開く。それはもうゆっくりと、随分長い時間に感じた。

「螢、すっごい方向音痴なんです」


***


「えーと、ここはどこ」

健兄と夏希先輩に半ば無理矢理デートをさせ、私螢はお家の手伝いをする。どうせ他所のお宅で勝手に出来る事は限られているし、これで二人が本当に仲良くなれば良いと思う。そしてもしそうなった時妹である私の株を上げておく事は健兄の為でもある。私の存在は二人にも、ご親族にも疎まれないはず。
何より本当に二人がそういう関係になれば、絶対に一度ご親族の皆さんの健兄への株は下がる事になるから。何故って、本当の恋人になってからも偽恋人の出来過ぎな設定の事を白状せずに騙し続けるなんて不可能だから。
そんないいこな私は足取り軽く、廊下を進む。しかし暫くしてそれはぴたりと止まった。

さっきからなんかずっと似たような場所をぐるぐるしてるような感覚。広い昔のお屋敷だからそれはしょうがないのかもしれないけど、よくよく考えたら私一度も台所なんて案内されてない。
というかそれに今まで気付かなかった私って。というか気付かせてくれないこの家のとんでもない広さって。
夏希先輩は道順を教えてくれたけど、それもなんだか覚えきれなかったし。もし分からなかったら誰かに聞いて、と言われたけど、その誰かがさっきから一人も見当たらない。

そもそもたった今思い出した事がある。どうして今まで忘れてたのか甚だ疑問でしかないけれど。私って確か、すごい方向音痴なんだ。しかも連絡取る為の携帯電話はさっき案内されて4日間過ごす事になる部屋に荷物ごと置いてきてしまった事も思い出した。私、迷子だ。
おにいちゃーん、なんて呼んだりしないけどさ。

「ハァ……」

自分の間抜け具合にほとほと呆れる。それでも歩き出すのはここにいても仕方がないから。
いつもはぐれたりするとすぐに探してくれる健兄は……はぐれた訳でもないから夕方まできっと気付かないだろうし。あんまり勝手に室内へ入るのも気が引けて、さっきからひたすら廊下を歩いているんだけど。

どうしよう。私よく迷子になるクセして、一人とか未だに無理なんだよね。正直なところそれが理由で着いてきたっていうのもあったりする。いや、迷子になってばかりだから一人が嫌なのかも?
ここにはたくさん人がいたはずなのに、今はまるで誰一人いないかのように、蝉の鳴き声しか聞こえない。どうしよう、このまま一生見つけてもらえなかったりしたら。
あぁダメだ。私一人の時悪い事考え出すと止まらないんだよね、すぐ泣いちゃったりなんかして。ほら、考えてる内にもっと不安になってきた。ほらほら、もう目の奥がじぃんとしてきた。

「け、健兄ー……せんぱぁい」

そして、極みはこれだ。泣いちゃうと言動まで幼い子のそれになってくる。中学生にもなって、と自分で本当にそれを自覚するのは泣き止んだ後だ。

「え……ちょっと、何泣いてんの」

と、蝉の声を押し退けて聞こえたヒーローの声。いつもの健兄とは違うけれど、私のピンチを救ってくれるのは昔から問答無用でヒーローと決まっている。

「……佳主馬君?」

黒っぽいノートパソコンを小脇に抱えて、首に大きなヘッドホンをぶら下げている。スポーツブランドマークのついたランニングシャツに、ハーフパンツというラフな格好。たまに片目を隠してしまう長めの前髪に、よく日に焼けた黒っぽい肌の色。
それらは割と最近見た風貌で、ここに来て初めて見つけた同年輩の男の子、佳主馬君だった。その表情は私の情けない顔を見てぎょっとしている。

「何してんの、こんなとこで」
「えっと、その……台所に行くつもりが、迷っちゃって」

いやだって、さっきここに初めて来たばかりで土地勘はもちろん屋敷内も全然分かんないし。方向音痴だし、携帯忘れたし。
無言の視線がアンタ馬鹿?と言っている。佳主馬君の登場により一気に冷静さを取り戻した私は既に先ほどの自分を恥じていた。涙はぴったり止まっている。そんなこんなで必死に言い訳を連ねる私は、それはそれで滑稽かもしれない。

「いいよ。連れてったげる」

ここで泣かれてても困る、という皮肉は螢には通用しない。なんたってこのタイミングで登場した佳主馬はヒーローなのだから。

「ありがとー佳主馬君!今からなら何とかお手伝いできそう」

台所に着いても夕食の準備が大半できていたりすると元も子もない。きっとこれは偏見だろうけど、田舎の夕食はとても早いような気がするから余計に焦っていた。けどこの時間ならまだその心配はないはず。けれど安心していた私とは違い、佳主馬君はそれを良しとしなかった。

「なんで」
「へ?」
「アンタ、部外者でしょ?なんで手伝いなんかすんの。客人は客人らしく接待されてれば」
「されてればって……」

うーん、なんだろうこの状況。部外者で、客人。佳主馬君の言葉に間違いはないのだけど。なんで私、お手伝いしようとして責められてるの?道案内の方もほんの3歩くらい歩いて止まっちゃったし。

「さっき男の人と一緒にいたじゃん。あの人はどこ行ったの?」
「あぁ、健兄なら夏希先輩とデート」
「何それ、妹が手伝ってんのに?ってか夏希姉彼氏いたんだ」

初対面の時と随分違って思ったより喋る子だなぁ。
でもこれってもしかして、責められてるって言うより、心配してくれてるんだろうか。言葉はちょっと悪いけれど。

「ありがと、優しいね」
「……は?」
「でも私、健兄に引っ付いてきただけだからもてなされるような立場でもないし、タダで4日もお世話になる訳にもいかないし、健兄達の邪魔もできない。デートだって私がほとんど強引に提案したんだし」

私の言った優しい、が意外だったのかぽかんとする佳主馬君に、苦笑いを漏らす。だから、これで良いんだよと付け足してこの件は解決、もう何も言うまいと台所に向かったりなんてしないかと少しだけ期待してみたものの、当然といえば当然ながら佳主馬君は私の考えに沿って動いてはくれない。動いてはくれないのだけど。

「……なんだった?」
「え?」
「名前。なんて言ったっけ?」
「……小磯螢です。兄が健二で」

あ、私名前も覚えられてなかったんだ。そういえばさっきからアンタって呼ばれてたけど、あれは何て呼べば良いか分からないとか、そういうんじゃなくて単に名前が出てこなかっただけで。友達気分ももしや一方的に私だけ?
普段クラスメイトの男子と話したりもしないし、健兄と佐久間君くらいしか周囲に男の子がいない私には佳主馬君の考えがよく分からない。ちょっとこれは悲しいかも、と思い始めた私をよそに、佳主馬君は一言。

「分かった、螢ね。……うん。覚えた」

前言撤回です。やっぱり仲良くなれる……かも?


13年目に現れた、第2のヒーローくん


2010.09.12.sun

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