「ストーカー、ですか」

私はほとほと参っていた。
ここ最近ひとりの時に限って感じる悪意ある視線。無言電話なんかはお手伝いさんも大層気味悪がっていたし、仕事の邪魔でもあるだろう。これはそろそろ手を打たなければと考えていた時だった。

思わず溢した愚痴の相手は昔から気の合う発明家のおじいさんこと阿笠博士で、知り合いの探偵を紹介された。都合の良い事に隣のお屋敷に住んでいるらしいその人はなんと近頃世間を騒がせている高校生探偵、工藤新一だったのだ。自己紹介と握手をして、すぐに本題に入る彼はビジネスを理解しているのかどうなのか。前者という事にしておこう。
本当は自分で策を労して犯人を見つける予定だったが、私じゃ見つける事はできたとしても捕まえる事まではできない。その一連の事をしてくれるようなら、お言葉に甘える事にしよう。何より是非ともお手並み拝見させてもらいたい。

「この工藤新一にお任せを!」

親指で自分を指した彼の決めポーズは新聞の一面でも見た記憶がある。大船に乗ったつもりで!と言う雰囲気を醸し出している感じだ。確かになんとかしてくれるような気分にさせる力はある。気分だけじゃ全く解決はしないのだけど、それにちゃんと結果を結ばせる彼は立派だ。

「ではまあ……宜しくお願いしますね」

とにもかくにも2人でだらだら話していたって仕方がない。感じる視線は決まってひとりになってからだし、電話なんかはたいてい夕食前後くらいの夜にかかってくる。まだまだ日の高い今恐らくは当分は何も起こらないだろうから、一先ず今日のところはお開きだろうか。
そう思ったけれど、一息ついたところで彼にひとつ言い忘れていた事に気付く。

「新一君確か同い年ですよね。依頼主だからって無理に敬語使わなくて良いですよ。私はこれが地なんでお気にせず」

口を挟む間も与えずにそう伝える。ついでに言えば苗字を呼ばれるのはあまり好きでないので、差支えなければ名前にしてもらいたい。そう付け足せばビジネスライクな表情を崩してぽかんな顔の彼は次に、相好を崩して年相応の男の子っぽく笑った。

「そりゃ助かる。仕事だから使うけど、本当は堅苦しいの好きじゃねーんだ」

さっそく砕けた口調はまるで初対面特有の警戒までも取り払われたように感じさせた。その雰囲気の変化に世間が思うより彼は結構普通なのだと気付かされる。……なんというか、一々見ていて面白い。

「ところでこれ、誰の曲?」

彼の言葉に部屋の隅にあった年季者のCDプレーヤーを思い出したように見遣る。少し不都合な雑音が出始めている辺り、気に入っていたけどそろそろ買いかえ時だろうか。

「興味おありで?ポポラーレっていう少し古いアーティストなんですけど」
「聞いた事ないな。……元から音楽は詳しくねえけど」

彼の言葉に口の端が上がったのが分かった。
売れてませんからね、もうとっくに解散してるんですよ。そう説明すると新一君は少し意外そうな顔をした。

「売れてない?ポポラーレなのに?」
「なのに、です」

Popolare―簡単に言えばポピュラーをイタリア語で言った言葉だ。庶民的、大衆の、民間の、人気のある、などの意味がある。
名前にそぐわない頓珍漢な芸名に受けたのか、くつくつと笑った彼はやはり賢い探偵なのだと感心できる。私がこの言葉の意味を知ったのは、その芸名あってこそだというのに。

「良いな。ちょっと気に入ったよ」

その内CD貸してくれよ、と冗談半分かも知れないけれど言われて私は素直に嬉しかった。なんと言ってもこの世間に名のない歌手はその当時出されたCDを探すのも一苦労。にも関わらず目の前の彼以外にもう一人、一番の親友がそれを探し持ってきてくれたのが今日だというのだから、なんて運が良いのだろうか。

「あ。でも、まだしばらくはダメですよ。ちょうど今朝、友人が譲ってくれたばかりなんですから」

実はこれが再生1回目だったりする。と言っても彼女が昨日電話越しに確認の為に一度聴かせてくれたのだけど。結局人から譲り受けたと言っても随分探した分、もう少しこの音楽を堪能したいところだ。

冷め気味になった珈琲を前にして、思いのほか長く依頼に関係のない事まで話し込んでしまっていたらしい事に気が付いた。いくら同じ年と言ってもあちらは仕事の為に来たというのに、一応初対面にも関わらず失礼してしまった、と心中考えつつも珍しく同級生男子との会話を中々楽しんでいる自分がいた事に気付く。
話のネタも尽きたと思われ、今度こそお開きかと思っていたら、何とも素晴らしいタイミングでノック音が聞こえてお手伝いさんが入室した。どうやら来訪者らしい。

「玄関口で鐘敦様が待ってらっしゃるようなのですが……」

仕事とは言え使用人の彼女もいい加減この台詞にはうんざりしている事だろう。なんたってその報告を受ける度に私は機嫌を損ねてしまうのだから。
遠慮がちに開かれた口先から出た言葉は、最後まで聞くまでもない。その名前だけで用件からやり取りの全てを把握する事ができた。急激にさっき感じた高揚感が自分の中で萎えていくのが分かった。ああ、もうそんな時間か。というか今日がその日だったっけ。

「ごめんなさい、新一君。少しここで待っていて下さい」

1分で済みますから。そう言い残してほとんど返事を聞くと同時に早めの歩調で玄関へ向かった。



「こんばんは鐘敦君。約束、守って頂けてるようで何より」

扉を開ければすっかり見飽きた光景。いつも同じような空の色、それを背景にしていつも同じように立つ同じ人物。2週に1度の光景。ちなみに私にとってはそれでも多すぎる頻度だ。というかもう金輪際会いたくない。無茶を言えば人生一度も会わずに過ごしたかったくらいだ。
日に日にその表情から元々少なかった“申し訳ない感”が消え“我が物顔の傲慢色”が増してくるその顔は、私にとってもうとっくに正常な人間とは思えなくなっている。

「今日はお客様がいるんで、貴方の相手をしてる暇はありません。これでお引き取り下さいな」
「おう。いつも悪ぃね」

その顔の一体どこに悪いと思う気持ちが隠されているのやら。指で挟んでいた数枚の紙を抜き取ると、満足そうな顔で帰っていく。この男は、本当にこれまで会った中でも最低な程度の下種だと思っている。正体現すまで見抜けなかった自分が憎いくらいに。
慣れたものだ、馬鹿みたいなやりとりにも、適当なあしらい方も。そう感じる自分すら憎々しい。
はあ、と大きめに一息ついて客間に戻る為踵を返す。俯き加減の私の視界3歩先に歩き入ってきた男性の足に、何なんだと疲れ気味に顔を上げると、そこには新一君が立っていた。気を抜いていたせいか柄にもなく少し驚いてしまった。



「渉、一応聞いとくけどよ」

ああやっぱり見ていたのか。何となく視線は感じていた。一応客間で待っておくよう言った筈だけど、やっぱりそうもいかないか。
探偵の癖というより、今回の依頼内容はストーカーなんだから、人間関係を探るのは当然、そして訪問者やその様子を確認するのは必然と言っても良い。見るからに今のは要注意人物だろうから。

「今の男性は恋人か?」
「気持ち悪い事言わないで下さい。有り得ませんよ」

結構本気で鳥肌が立ったんだけど、どうしてくれるの。
「じゃあ、何か脅されてるとか?」その言葉を皮切りに質問攻め、なんてのは勘弁してほしいところだ。

「今、渡してたのは現金だろ?2万くらいだったか……それもお互い随分手慣れた様子で。約束ってなんだ?」

残念ながら正確には3万だ、なんて事はわざわざ私から言う事でもないので黙っておく。眉間の皺は良からぬ現場を目撃したせいだろう。新一君の射抜くような鋭い視線はなんとか回避できないものだろうか。いや、余計な質問さえ躱せれば問題ないのだけど、恐らくそういう訳にもいかない。

「彼が今回の件、犯人の可能性は?」

ほらきた。それにしても直球な捜査方法だ。ここまで来たらほぼ自動で最後まで言う事になるだろう。残念ながら。奴の事は嫌いだけど、冤罪に関わるなんて真っ平ごめんだ。無駄に捜索期間を増やすのだって勘弁だ。それにあれが犯人なら私も苦労せずとっくに警察に突き出せている。だから、言わざるを得ない、本当に不本意だけど。

「違うと思います。彼はオープンなストーカーですから」
「はぁ?……確証でもあんのか?」
「まぁ、真面目に答えますと、別件で彼にちょっと盗聴機を仕掛けてまして。その音声とストーカーの気配とが一致しないので白と言いますか」

ストーカーは若干誤弊があるかもしれないが、まあ私の中では同じようなものだ。私のぱっとしない説明に納得する事はないだろうけど、言いたい事はおおよそ伝わってくれただろう。というかこれで少しも伝わらないようなら新聞の一面を飾る資格なんて彼にはない事になる。汲み取ってくれるかは全く別として。

「なるほど……と言いたいとこだけどよ、その別件って?」
「それはプライバシーに関わってくるじゃないですか」
「プライバシー以前に盗聴は犯罪だろ。言っちまえばストーカーのやる事だしな。アンタが悪人じゃない事を前提にしてるから聞いてんだ、それを仕掛けるなんてよっぽどじゃねーか」

やっぱり正義感の塊みたいなキャラクターなだけに汲み取ってくれはしないようだ。それはつまり私が悪人として盗聴してる場合はすぐにでも警察行きって事。まあ当然の判断か。しかし脇に置いただけでないとしたら、一応信用してくれてるって事なのか、私は事情が無きゃしない人間だって。
ひとつ深めの息が漏れた。依頼したのは私だ、阿笠博士を紹介と扱うなら。どちらにしても彼が勝手に首を突っ込んできた訳じゃない。話す義理は、それなりにある。

「……まあ、新一君に話したからと言って私の知り合いに広がる訳じゃないですからね」

お話しします。
そう言った瞬間、彼の表情にあった気がする不審の色が消えたように思うのは、気のせいだろうか。


平成のホームズ少年


2011.05.25.wed

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