皆のいる練習場を出て、家までの道を気が付けば全速力で駆け戻っていた。
家の中には出かける前に自分が作った夕飯の匂いが充満している。それを振り払うかのように、急いで階段を駆け上がって自室へ飛び込んだ。
噛み殺し損ねた声が時々嗚咽に混じって体外に出る。声を出して泣くほど子どもじゃない。そう思っていたのかもしれないし、別の理由かもしれない。
電気も冷房もつけてない部屋は暗くて暑くて、時々カーテンを揺らす風も生暖かくて気持ち悪いと思った。
今日はほんの短い間に、色々ありすぎたんだ。



次の日の朝、階段を降りているとふと苦いコーヒーの香りが鼻をついた。普段は私が支度している間に起きるお父さんが、既に身なりを整えて食卓に着いていた。
料理の苦手なお父さんもやる気があれば朝食くらい自分で作れる。トーストのちょっと焦げた匂いがするのは気付かぬフリだ。

「彼氏がいるなんて、聞いとらんかったぞ」

無言で私の分の食パンをトースターへ突っ込んだお父さんに、マグカップに牛乳多めのコーヒーを淹れながらおはようといつもよりちょっと小さいかもしれない声で挨拶すれば、そんな言葉が返ってきた。
えっ?というより、どちらかと言うとはっ?という声が出そうだった。

「そんなの、高校生にもなって親に逐一報告しないよ」
「悲しい話だな。昔はお父さんお父さんとよく引っ付いてきた娘も、18にもなるとすっかり親離れか」

パラパラに固まりきったスクランブルエッグが豪快に乗せられたトーストを渡されて、私も朝食を開始する。ちょっと卵、使い過ぎじゃないか。なんて今日は言わないでおく。
今日のお父さんはなんとなく色々変だけど、とりあえず話がしたい雰囲気なのは伝わってきた気がする。

「当たり前でしょ。大体私そんな甘えただった覚えないよ。それいつの話?」
「10年くらい前か?」

まさかの私、10年前は8歳だよ。
年頃の娘と父親の関係と言ったら「お父さんの洗濯物と一緒に洗わないで!」がテンプレのイメージだけど、うちではそんな険悪じゃないのだから良い方なんじゃないだろうか。
そんな事思っていても、2人家族だから別にするなんて電気代が勿体なくてできないんだろうけど。

「それに、私が親離れしてもお父さんには可愛い小学生の子ども達がずっといるじゃない」

勿論今の言葉は、桃山プレデターに所属する子達を指している。
可愛い子ども達、というのは私からしても変わらないけれど。いや、可愛い弟妹達と言うべきか?

「私はただの代表で、監督でもない立場だ。よく面倒を見てやってるお前と違って好かれも何もしとらんだろうよ」
「そう?最近の特に6年生チームなんかは、お父さんの事結構信頼してくれてるんだと思ってるけど」

自分では思ってもない意外な答えだったんだろうけど、コーヒーを啜りながらぼんやりとどこも見てないようだったお父さんの目と、突然ばっちりと目があった。
居た堪れない気分になってまだ少し残っていたマグカップの中身を慌てて空にして立ち上がった。

「ごちそうさま。後で私が片すから、洗い物置いといて」
「待ちなさいあずさ」

いつもは私より遅く起きるし、いつもは朝食なんて作らないし、いつもは新聞を読むか世間話とかたまにその日の事を話すくらいで、あんまりこんな風に話題作りなんてしないお父さん。
なのに今日は珍しい。熱でもあるのかもしれない、と考えてみたくなる程度に、積極的に話しかけてくる。

「お前ももう18だ。大学受験も控えている」
「うん?勉強もしてるよ?」
「親があれこれ指図する年でもないしお前はしっかりしてる方だろうから、いう事でもないとは思うが」

じれったい。勿体付けるような言い方に、何が言いたいのかと少し不信感を感じる。
そんな言い方をされるような、例えば犯罪だとか。私が危惧されているとでも言うんだろうか。
夜遊びも非行も考えた事もないけど、彼氏の存在があったくらいでもしかしたら変に自立してしまったと思われてしまったんだろうか。だとしたら、私が思ってたよりお父さんって堅物だ。

「今になって彼氏がダメなど言わんが、相手が小学生となればさすがに良いとは言えんぞ」
「!」

まさか昨日の話題がここで来るとは。そういえば昨日サッカー対決となった時には、お父さんはその場にいたのに介入なんて一切なかった。
あれは状況に着いていけてなかったんだろうか。それとも、私の出方を伺ってたとか、はないか。
とにもかくにも、分かったのはただひとつ。どうやらお父さんには観察力がないらしい。昨日あの場に立ち会っておいて、その警告はどう考えても見当違いだ。

「それ青砥君のこと?やだなお父さんまで。当たり前でしょ、6つも違うのに」

一笑するのは発言の馬鹿らしさからでもあり、有り得ないと言葉以上に示す為でもある。
それがやっと伝わってきたのか、「それなら良い」と言って今度こそお父さんの用事は終わったらしい。
私は首を捻りながら、ひとまず自分の部屋へ戻るのであった。


2013.02.11.mon

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