「ドラコ・マルフォイ」


彼の名前が広間に響いて、私はとっさに左手をきゅっと握った。壇上の真っ黒い帽子へと向けられていた視線を、自分の隣へ移す。
同じタイミングで、彼も私を見た。青に近いグレーの目と視線が絡まって、彼が少し口角を上げる。


「スリザリンのテーブルで待ってる」


一言そう言って、彼は私の左手を一度だけぎゅっと握った。私が頷くと、彼は前へと進み出る。壇上中央に置かれた背のない丸椅子に腰掛けると、彼のプラチナブロンドの髪に帽子が触れ、その瞬間、帽子が高らかに叫んだ。


「スリザリン!」


左奥のテーブルがわっと歓声を上げて、彼は満足そうに目を少し細めた。
スリザリンのテーブルへ向かう彼が一度振り返って、私に笑いかける。私はほっとしたように笑い返した。


「あなた、ラジアルトでしょう?」


テーブルについたドラコが隣にいた在学生と握手を交わすのを見ていると、後ろから高い声がした。振り向くと、私より少し背の低い女の子が立っていた。その子がにこりと笑顔を見せる。あ、可愛い子。そう思って、私も小さく笑い返した。
私の笑みを質問に対する肯定と受け取ったらしく、彼女は「やっぱり!」と言ってくすくす笑った。


「あなたの事、同じ学年だってパパから聞いてたわ。私、パンジー・パーキンソンよ」


よろしくね、と小首を傾げた笑顔で言われて、私もよろしくね、と返す。さっきまで彼が立っていた位置にパンジーが進み出て、私の隣に立った。
そのまま、私の視線に流されるように彼女もスリザリンのテーブルへと視線を向ける。


「彼、マルフォイね?彼の事もパパに聞いてるわ。あなたと仲がいいのね、家が近いの?」
「ドラコは幼なじみよ。生まれたときから一緒にいるわ」



そう言うと、パンジーは「へぇ!さすがね!」と目を丸くして私と彼を交互に見た。
さすが、とは多分家の事を言っているんだろう。マルフォイ家もラジアルト家も、魔法使いの家系ではそこそこ有名な名前だ。そう思ったら、私は少し自慢したい気持ちに駆られた。
少し胸を張って、でも威張り過ぎない様に気をつけながらパンジーに向かって笑みを向ける。
私は少し声を落として、ひっそりと「それにね、」と呟いた。パンジーは頷きながら私と同じように背中を曲げ、耳を寄せる。


「…本当はまだ秘密なんだけれどね。私は、ドラコの      」
「パンジー・パーキンソン」



広間に響いた透き通る声に、2人同時にびくっと肩を震わせ、瞬時に背中をピッとたてる。一瞬遅れて、パンジーが進み出た。私に向かって「また後でね」と笑顔を向け、壇上へと上がる。
スリザリンのテーブルに視線をやると、彼が私を見てにやりと笑った。どうやら、今のパンジーとのやり取りを見られていたらしい。私が肩を竦めてみせると、彼は喉の奥でくつくつ笑った。

もう、ドラコったら。顔に熱が上がるのを感じながら少し口を尖らせると、彼の口が「ごめん」の形をとった。けれどその表情はまだ笑顔のままで、私はまた肩を竦める。


「スリザリン!」


わっとスリザリンテーブルが沸く。彼も一緒になって手を叩き、パンジーを迎え入れた。いいなぁ、と笑顔で彼の隣へ着いたパンジーを見ていると、ふとパンジーが私に視線を向けた。そして彼と少し会話をして、すっと右側へずれる。

彼とパンジーの間に、1人分のスペースがぽっかりと空いた。首を傾げて2人を見ると、私に向かって笑顔を見せ、空いたスペースを指差す。彼の口が、「早く来いよ」と私を呼んだ。
私は途端に嬉しくなって、口元が緩むのを抑えきれずに勢いよく頷いた。


「アリア・ラジアルト」


ぴくん、と肩が震える。私は前へ進み出ながら、周りに気付かれない様に小さく深呼吸した。柄にもなく緊張しているらしい。自分の鼓動を耳の奥に感じながら壇上へ上がり、中央に設けられた丸椅子へ腰かける。視界の端に、彼の姿が見える。頭の上に軽い何かが乗った感触があって、私はすっと背筋を正した。


「ほう…これは……」



突然頭の中で声が響いて、私は思わず少しだけ上を見上げた。けれど視界に映るのは、真っ黒い帽子のつばのみ。きっと、組み分け帽子の声だ。
そう思った私はふっと息を吐いて、声に出さないよう口を堅く閉ざしてからこう考えた。


「(ぐずぐずしないで、私はラジアルトなのよ。入るところは決まっているわ)」
「ラジアルトか……いや、しかしこれは……」
「(ドラコの時はあんなに早く叫んだじゃない。ねえお願い、早く言ってよ)」



思った通り、声の主である帽子は私の考えに答えるような物言いでまたう〜ん、と唸り始めた。
スリザリン!と叫ばない帽子に眉根を寄せて、私はまた少し上を向いた。


「アリアと言ったな。お前、なかなかに……うぅむ、なかなかに数奇な存在じゃ」



深みのある低い声がそう言って、私は首を傾げた。……数奇な存在?それって何のこと?
けれど私の疑問などお構いなしに、帽子は淡々と話し始めた。


「確かにラジアルト家の者はスリザリンだった。これまでも、おそらくこれからもな」
「(解っているならそう言ってよ。早くドラコのところに行かなくちゃ)」
「いや、しかしお前は別だ」



この言葉には、私も思わず閉じていた口を開けて「え?」と呟いた。
視界を覆う真っ黒いつばの中から、声は静かに私に話しかけた。その落ち着いた声色が、何故か私をさらに不安にさせる。


「ラジアルトには珍しい、裏のない純粋さがある。お前のそれは、勇気とも言えるものじゃ」
「何を……」
「よし、決めたぞ。お前には酷な事かもしれんが……」
「ちょっと待って、何を言っているの?私は     



段々とはっきりしてくる帽子の声に、私は声に出して抗議した。押し寄せる不安が波となって鼓動を速めていく。
真っ黒な視界の向こう側で、彼が不安そうに私を見ている。帽子の声以外何も聞こえない暗闇の中で、私は思わず彼を探した。
ドラコ、お願い、助けて    
椅子から立ち上がって帽子のつばを両手で掴み、ギュッと握る。お願い。お願い。私はスリザリンに入るのよ。彼と一緒に……生まれた時からそう決まっているのよ!

けれど、無情にも叫ばれたその寮の名は、非情にも私を彼の元から遠ざける結果を招いた。



「グリフィンドール!!」
























    っ!!!」

アリアは自分の発した声ならない声を耳にして、勢いよく起き上がった。
天蓋から垂れたカーテンが捲った毛布にあたって、ゆらゆらと揺れる。荒い呼吸で目を見開いたままアリアは胸の前でギュッと拳を作った。肌触りのいいシルクのパジャマに皺が寄った。

「……っは、…」

握った拳を額にあてて目を瞑り、呼吸を整えようと息を吐く。
目を開けるのが嫌だった。開けた途端目に飛び込んで来るであろう色を拒絶するかのように、ただひたすら目を閉じて眉を寄せる。ホグワーツでの朝はいつもこうだ。

「アリア?」
「!」

カーテンの向こう側から聞こえた声に、アリアは一瞬肩を強張らせ、反射的に目を開けた。途端、視界に飛び込んで来る憎々しい色。体中を嫌悪感が駆け巡っていく。アリアは小さく舌打ちをした。
声がした方へ視線を向けると、赤い天蓋カーテンが揺れてゆっくりと引かれていく。ホグワーツに来てからこれまでの4年間、ベッドを覆うこのカーテンの色に慣れることはなかった。

「魘されていたようだけど、大丈夫?」
「グレンジャー……」

心配そうに顔を覗き込むグレンジャーを、アリアは鋭い目で睨んだ。夢に魘されていた自分の声が聞こえてしまったらしい。眉を寄せて視線をそらすと、グレンジャーは尚の事心配そうに顔を歪めた。

「別に。何でもないわ」
「でもわたし何度も起こしたのよ。なのにあなた、何度呼んでも起きなくて……」
「グレンジャー、」

声量を上げて刺すような声で名前を呼ぶと、グレンジャーは曲げていた腰を少し伸ばしてアリアから離れた。

「あなたも大概お節介ね。いいから放っておいてくれる?あなたの様な人と話していると余計に気分が悪くなる」

吐き捨てるようにそう言うと、グレンジャーの表情が先程とは違った歪み方をした。心配するような表情が消え、ショックを受けたような顔で一歩離れる。アリアは、今度はそれを追いかけるように腕に力を込めて身を乗り出した。彼女からの心配など、吐き気がする。

「この4年間、ずっとそう言い続けてきたはずよ。少しは学習したらどうなの?優等生が聞いて呆れるわ」
「ちょっと、そんな言い方ないでしょう?私はあなたを心配して…!」
「だから何度も言っているじゃない!!」

アリアはあらん限りの大声で、グレンジャーに向かってそう叫んだ。反論しようとグレンジャーが口を開くよりも早く、アリアの言葉がグリフィンドールの女子寮に響いた。

「いい迷惑よ!私はあなたみたいな穢れた血と馴れ合うつもりは一切ないわ!!」
「っ!」

瞬間、頬に痛みが走った。
痺れるような熱を感じながらグレンジャーを見上げると、彼女は怒りとも悲しみとも取れる表情で目に涙を浮かべていた。赤くなった頬に指先で触れ、アリアはゆっくりと口角を上げて目を細めた。
妖艶な、優しささえ感じ取れそうなその笑顔が不覚にも綺麗で、グレンジャーは思わず見とれた。けれどすぐに、アリアのその笑みには優しさなど全く見えないと気付いた。くすくすと笑うその目は、石のように冷たい。

「なに……?私はそんな言葉使わないとでも思っていたのかしら。お優しい"グリフィンドール生"は?」
「……あなたもグリフィンドールよ」
「あら、そう認めてくれるの?」

ありがとう、と言葉にするアリアの声に、感謝の気持ちなどない。
赤い頬から手を放して、アリアはグレンジャーの赤いネクタイを強く引っ張った。

「残念だけど、ネクタイの色で人を判断しない方がいいわよ」

低い声に、グレンジャーは一瞬怯えを見せて、そしてアリアの手を振り払った。アリアは払われるままにネクタイから手を放し、そしてその手をもう一度胸の前で握りしめた。
その表情が、先程の余裕の笑みなど感じさせない程に苦しそうで、グレンジャーは言葉を飲み込んだ。


「私の心はスリザリンにあるの。……お仲間遊びのグリフィンドールと一緒にしないで」























「そんな……」



端のテーブルから上がる歓声も耳に入らないまま、私は帽子を被ったまま立ち尽くした。マクゴナガル副校長が私の頭から帽子を外そうとして、思わず無意識のうちに帽子のつばを掴んで引き留める。
私を諌めるような副校長の声を遠くに聞きながら、私は声に出して帽子に語りかけた。


「うそ…嘘よ!!私はグリフィンドールじゃない!馬鹿な事言わないで!もう一度    
「席に着きなさい、ミス・ラジアルト!」
「嫌よ!私はスリザリン!!スリザリンなのよ!もう一度やり直して!!」



大広間がざわついた。歓声が少しずつ止み、広間にいる全員の視線が私に向けられる。ギュッと目をつぶって、視界を真っ暗にする。彼の顔を見るのが、怖い。
力任せに帽子を握ってそう訴えても、帽子は痛いともやめろとも言わずにただ落ち着いた声で私に語りかけた。


「組分けは変わらん。お前の寮はグリフィンドールだ」
「嘘よ!!」
「すまないな……だが、必要な選択だ」



絶望の中、とうとう帽子を奪われて私は壇上に立ちつくした。副校長が私を赤い旗の下へと追いやるのが信じられなくて、私は涙さえ出ないまま数歩後ずさる。彼の方を見る勇気などなかった。

壇上の奥、教師たちのテーブルの中央から、こちらを見つめるブルーの瞳と視線が合った。この絶望さえも見透かすような透き通ったその目が、悲しげに、細められた気がした。





===20110815