風が冷たい。
秋の夜風は暗い夜道を吹きぬけて、木々をざっと揺らした。纏うもののない肩を抱いて、冷たくなった自分の体を手のひらで擦る。見上げると、雲一つない空に大きな満月が浮かんでいる。その月に、久しぶりに違和感を覚えた。

もう何度も繰り返し見上げてきた空なのに、今唐突に、懐かしい景色が脳裏に蘇ってきた。この明るい秋の夜空よりも更に明るい夜。この場所よりも澄んだ空気。そして、3つの月が浮かぶ空を。


「……寒い」

背後から低い声がして振り返る。座るあたしのとなりで、布団がもぞもぞ動いた。枕の上の茶色い髪がさらりと流れて、布団の下から不満そうに細められた目が現れた。

「ごめん、起こした?」
「窓閉めろって……風邪ひくぞ」

言われるがまま、窓を閉めて鍵をかけた。布団の中から出てきた彼の手があたしの腕を掴んで、ぐっと自分の方へと引き寄せる。苦笑いで布団の中に戻ると、彼はあたしを抱きしめて少し唸った。

「すっげー冷たい」
「拓也、冷えちゃうよ。もうちょっと離れて」
「アホか」

狭いベッドの中で距離を取ろうとしたあたしを捕まえて、拓也はさらに腕に力を込めた。夜風で冷やされた体が、彼の体温を奪うように温かみを帯びていく。しばらく抵抗してみたが彼の力に敵うはずもなく、大人しく彼の温度に包まれることにした。

月明かりの差し込む室内は静かだ。
目を閉じると、隣にいる彼の体温以外、何も感じない。……以前、あの場所でも一度だけ、こうして眠った覚えがある。あのころはお互い幼くて、距離の無い距離にいるだけでドキドキしたのを覚えている。
それはまだ、彼に好きだと伝える前のこと。拓也の胸に額を預けて、あたしは懐かしさに頬を緩めた。

「あのね、」
「んー……」
「久しぶりに、あっちのこと思い出してたの」

閉じていた目を少し開ける。視界に、布団の中の心地よい暗闇が写る。あたしの言葉に、拓也がほんの少し笑ったのがわかった。

「懐かしいな」
「もうずいぶん経つもんね。無謀で無鉄砲だった拓也も、少しは大人になりました」
「そりゃな」

顔を上げて、あの頃より大人びた顔つきの彼と視線を合わせる。少年だった拓也も、少女だったあたしも、随分と成長した。小学生だったあたしたちが中学へ上がり、高校を卒業してから、もう幾年か経つ。
それでも色濃く残るあの冒険の思い出は、いまも仲間との絆を繋いでいる。

「最近みんなと会えてないね」
「つっても年始に集まったじゃねーか」
「半年以上前じゃない……あ、でも、輝一にはこの前会ったよ。駅で」

紺の髪をかっちりまとめて、スーツ姿の彼を思い出す。
中学を出てから目が悪くなったという彼は、思いのほか黒縁の眼鏡が似合っていた。

「あいつ、今大学院だっけ?」
「それは輝二。輝一は就職組」
「あー……そうだっけ」

寝起きで頭が回らないのか、拓也は眉を寄せてまた目を瞑る。布団の中で首を伸ばして、目の前の首筋に軽くキスをした。
目は閉じられたまま、抱きしめる腕に少し力が入る。近づいたあたしの額に、彼は同じようにキスを返した。

「泉とは?先月ぐらい会ったって言ってなかったか?」
「会ってないよ、電話しただけ」
「どうだって?」
「体調もいいし、順調みたい。もう安定期に入ったって」

電話越しでも伝わってくる、幸せそうな泉の声を思い出す。新しい命を宿した彼女は、これまでにないほど穏やかで、愛おしい声で笑っていた。

荒れた大地を駆け回った魔法のような冒険の日々から、これほどの時間が経った。こちらの世界に帰ってからの日々はあっという間で、成長していく身体に追いつこうと必死になって、気付けば拓也もあたしも、いつのまにか大人になっていた。
それでも、ともに冒険した仲間たちと顔を揃えれば、あのころの思い出は色鮮やかに蘇る。

「……なんか、みんなそれぞれ進んでんだな」
「何、急にしみじみして」
「いや、なんか不思議でさ」

目を閉じたまま懐かしそうに笑う拓也を見上げる。あれから10年以上、一番多くの時間を共に過ごしてきた彼はまだ、あのころと同じ顔で笑う。
この笑顔は、ずっと好きなままだ。

「あの時、ホームには他にも沢山人が居ただろ?けど、進化したのは俺たちだけだった」
「運命感じちゃった?」
「……俺さ、いつお前の事好きになったか、覚えてねーんだよ」

からかうつもりで言ったのに、拓也は真面目な顔で目を開けた。視線は窓の外の夜空へ向いてはいるが、その声はとても穏やかだった。まるで面と向かって好きだと言われたような気がして、思わず視線を逸らした。彼の、こういう真っ直ぐな言葉には、未だに弱いのだ。

「だからもしかしたら、初めからそうだったのかなーとか思って」
「…………」
「ほんとに運命だったのかもなー」
「ああ、もう、そういう恥ずかしいこと平気で言うところ、変わってないよね」
「そうか?」
「……あたしは覚えてるよ」
「え、何を」
「いつ好きになったか」

顔を上げると、目を丸くして赤くなった拓也と視線がぶつかった。その顔に自然と笑みが零れる。吹き出して笑うと、少し恥ずかしそうな拓也があたしの頭を後ろから小突いた。
こういうところが、好き。知るたび、また好きになっていく。これほど時間が経った今でも、まだ。

「お前だって似たようなもんだろ……」
「お互いそんなに変わってないってことですかねー」

赤い頬を近づけあって、笑いながらキスをした。
互いの唇が思った以上に冷たくて、また笑う。そして同時に目を閉じた。
願わくばこの先も、この絆が続きますようにと祈りながら。






未来の君に、また恋をする

===2013.05.06