「だからさぁ、トカゲも爬虫類もトラップも全部、先生の場所のチョイスが悪すぎる所為ですって」

目の前に出された湯気立つ緑茶に触れて、小春はその手を引っ込めた。
あぁ、まだ熱いな。猫舌のあたしにはまだ厳しいな。
薄くなった湯気の向こう側で、真田先生があたしを見た。不服そうな目で、じっと睨むかのように。

「っでもさぁ!毎回だぞ毎回!シュミレーションが佳境に入ると必ず!」
「先生、シュミレーションじゃなくてシミュレーションです。シュじゃなくてミュ」
「そんなこと今関係ないだろぉぉっ!!」

頭を抱えて泣きそうな声を出す、目の前の27歳。独身教師。いい加減堂々巡りになりつつあるこの恋愛相談会に、あたしは大きく溜め息をついた。
この熱すぎる湯飲みが机に置かれてから、かれこれ10分ほどは経つだろうか。真田先生の恋愛暴露会、もとい突発的に開催した真田先生の恋愛相談会は、それより少し前から続いている。会は予想以上に長引いてしまい、小春は気付かれないように窓の外を見た。
……秋の夕焼けがとっても綺麗です、先生。

「マジメに聞いてくれよ旭来!マジなんだってこれ!」
「聞いてますよっ。だから言ってるじゃないですか、場所が悪いって」

必死に机を叩いた真田先生に向かって、同じ言葉を繰り返す。

「人気のない所って言ったって所詮は校内でしょう。妄想なら家でやってください!」
「妄想って言うなよ!!」
「先生、シミュレーションって言葉使えばカッコつくと思ってんですか。傍から見てたらかなり痛いですよ、先生の妄想」
「〜〜〜っ!!!」

また頭を抱えて机に突っ伏した真田先生。今度はすこしショックが大きかったようだ。ちょっと、言い過ぎたかな、そう思わないでもないけれど。でも、今のあたしのイライラはそんな小さな同情で抑えられるほど可愛いものじゃない。
あぁ、もう。テンション下がるなぁ。まったく、なんであたしはこんな不愉快な相談を受けてるんだろう。

よりによって真田先生の恋愛相談、なんて。

「はぁぁ……俺ってやっぱダメな奴だよなぁ…」
「挙句生徒に相談してるようじゃまだまだですね〜」
「それはお前から声かけてくれたんだろ!」
「…………」


『先生、なんか悩み事ですか?』

遅れていたプリントを提出しにきて、真田先生の小さな溜め息に気付いた。「今度は遅れるなよ」と、いつもの笑顔で言って背を向けたとき、すこしだけその背中が丸まっているのに気付いた。

『何ならあたし相談に乗りますよ〜?嫌なことは全部吐いちゃってください!』

次の瞬間には、そんな言葉が口から飛び出した。振り向いた真田先生が少しだけ目を丸くして、それがちょっと可愛いな、と思った。
そのあと、おずおずとあたしに椅子を勧めてお茶を注いでくれて、真田先生はあたしの向かい側に座った。面と向かい合って、2人きりで話をしてるんだと思ったら、ちょっと嬉しくなった。けれど、真田先生の口から出てきた言葉に、そんな幸せもしゅるしゅると小さくなっていった。

『……南先生の、事なんだけど』


「……だって、恋の相談だなんて思ってもみなかったですもん」

肩をすくめて、あたしは心底呆れた顔で真田先生を見た。目の前の真田先生は「う、」と言葉を詰まらせて視線をずらす。まぁ、教師が生徒に恋の相談なんて普通はありえないから、気まずい気持ちはあるんだと思う。
けれどそうやって先生が恥ずかしそうに視線を泳がせる度に、あたしの気持ちはどんどん落ち込んでいった。

嘘。思ってなかったなんて、そんなの嘘だ。
真田先生が南先生を好きなことなんて、学園のほぼ全員が知ってる。周知の理由は、真田先生の分かりやすい行動であったり、瑞希君主催「真田先生を邪魔する会」の裏工作であったり、色々だけど。
もちろんあたしだって知っていた。真田先生が南先生を本気で好きなことも、その所為でからかわれたり、鈍い南先生には伝わらなくて始終悩んでいることも知っていた。
だってあたしは、誰よりもずっと真田先生を見ていたんだから。

「B6はもちろんだけどさ、最近他の先生たちまで南先生のこと狙いだしたから気が気じゃなくってさ〜…」
「あぁ、だから”南先生Getへの道☆大作戦!”の、シミュレーションにも熱が入るってわけですね」
「……旭来、ネーミングセンス微妙」
「うるっさいです先生」

眉間にしわを寄せて睨んでも、真田先生は落ち込んだまま顔を上げようとしない。見えるのは先生の茶色い髪と、つむじと、後頭部だけ。その目も表情も、あたしの目には届かない。…それが、悔しかった。
今の真田先生には、きっと南先生(と、その恋路を邪魔する敵共)しか見えてなくて、あたしは単なる愚痴と不安の捌け口。
所詮、先生の目指す場所にあたしはいない。あたしに出来るのは、後ろでその背中に渇を飛ばすことだけで。後ろから見えるのはやっぱり、先生の後頭部だけで。
あたしがどれだけ先生の視界に入っていないかを、自覚してしまう。

「おまけに、俺は完全に弟的な扱いだし…」
「瑞希君が真田先生のこと子犬子犬って言うから、南先生も完璧洗脳されてますね」
「なっ!!あのヤロー!!!」

握った拳を震わせて、真田先生が立ち上がった。がたん、と椅子が揺れる。こうやっていちいちリアクションとるから、幼く見えてしまうんじゃないかな?と思いながら、あたしはそんな先生を見上げてた。
今にでも走って瑞希君を探しに行きそうな勢いだ。単純明快猪突猛進。…果たしてこれは、先生の長所なのか否か。答えはおそらく後者だろう。けれど、あたしはそんな先生が好きだった。

「……いいじゃないですか、そこが先生のいいところですよ」
「へ?」
「弟上等、下に見られたっていいじゃないですか。ギャップがあれば引き立つし、そこはポイント高いですよ」

あぁ、いっそくだらないと、馬鹿らしいと跳ね除けてしまえれば楽なのに。本気で真田先生の恋を応援できたら、さぞ楽しいだろうに。
けどあたしは今、真田先生とたくさん喋る機会が欲しくて、プリントを忘れたフリなんてして。語学実習室まで足を運んで、聞きたくないと分かっていながら先生の恋の相談なんかに乗ってる。まったくどこまで馬鹿なんだと、誰かに笑って欲しいくらいだ。
恋する女の子は、どうしてこんなにも健気なんでしょうか。

「一度格好いいとこ見せちゃえば、かなり高感度アップですよ。恋なんてどこから始まるかわかんないですから」
「……お、大人の意見だなぁぁ……」
「伊達に花盛りの乙女たちの相談受けてません」

真田先生の恋の成就なんて、死んでも祈ってやりたくない。でも、ここが一番複雑なところなんです、先生。先生には絶対不幸になって欲しくないから、だからこうして、あたしはアドバイスなんてしちゃってるわけです。
恋敵の南先生を、真田先生が落とすお手伝いなんかしちゃってるわけです。

そうやって感動して、真田先生があたしを見ていてくれるときは嬉しい。でもそれは、所詮尊敬の眼差しだから。あたしの欲しいものじゃないんですよ。

「ま、そのギャップを見せるチャンスを先生が逃さなければの話ですけどね〜」
「お……おぅ!頑張るよ!」

拳を握った真田先生は、少しだけ元気がわいてきたようだ。それを見て、あたしは笑った。きっと先生は何があっても諦めないんだろう。何度失敗しても、ドジを踏んでも、子犬だと言われても、瑞希君に見下ろされても、「邪魔する会」に何度妄想シミュレーションを遮られても、きっと。
なら、あたしだって。

「あたしも、チャンスは逃さないようにしなきゃなぁ」
「お!旭来も恋か?お互い頑張ろうな!」
「先生……意味分かって言ってるんですか?」
「は?何が?」
「……まぁ、いっか」

今は。今だけは。
相談乗ってくれてありがとな、そう言って笑う先生を見ながら、あたしも決意しました。まだまだ、諦めないこと。
いつか絶対見返してやるから、今はただ、先生の後頭部を見るだけにしときます。
あたしがチャンスを捕まえる日まで。






レモン水の愚痴
=====080926
 真田先生好きだけどこんな話しか書けないorz