神様、神様、失恋をしました。



いらない気持ち処分セール


特別美形でもなくて、ただちょっと人より優しい、大好きな人がいました。
2年で同じクラスになって、それ以来ずっと思っていた人でした。少し背が低くて、バリバリ理系の髪の短い子でした。挙げ連ねれば切がないけれど……現国の時間は必ず寝てるところとか、家が学校から遠いらしく、いっつも遅刻ぎりぎりで校門に滑り込んで、先生に向かって苦笑いする顔とか。そんなところが好きでした。

ところが、最近噂で聞きました。どうやら彼にはとっても素敵な彼女がいるらしいのです。別の高校の子で、噂によるととってもいい子らしいのだとか、そんなよくある話です。恋話好きの友達が楽しそうに語っていて、それに混じって笑顔を作りながら、心の中は喪失感でいっぱいでした。

それからは、午後の授業もまともに耳に入りませんでした。放課後の掃除時間も、遊ぼうと誘ってくれた友達の誘いを「夕飯の買い物が」と断って近所のスーパーまで歩いてくるまでも。どこか虚無が巣食って、かごを持ったまま、ボーっと歩いていました。
一人暮らしで、夕飯を作ることすら億劫になってしまって、ああ、もう冷凍かレトルトでいいや、とさえ思った。冷凍食品をひとつ手にとって、ぼやりとした頭で考える。
……あ〜あ。なんだか、気が抜けて泣く気にもなれない。


「……もう、いいや」

きっと時が解決してくれる。いつかあたしはまた恋をするかもしれない。それだけのこと。悩むことすら馬鹿らしくて、口に出して呟いた。声に出せば、吹っ切れる気がしたから。
けれど神様、そんな一人失恋劇場に、なんと言葉を返す人がいました。

「よくない!」
「!?」

突然後ろから大きな声が聞こえて、あたしは反射的に振り返った。それは、明らかにあたしの呟きに対する言葉だったから。
振り返りると、そこには制服姿の男の子が立っていました。なんとも整った顔立ちで、長い髪はとっても綺麗な赤色だ。あたしと同じ、食品売り場のかごを持っていて、そのかごが言葉にならないほど彼のビジュアルとアンバランスだ。
そんな見ず知らずの男の子が、鋭い目であたしを見ていた。あたしは驚いて、思わず冷凍食品を持ったまま固まってしまった。

「貴様、よく見ろ!それは3割値引きされていないだろうが!」
「は?え、……値引き?」

綺麗な眉を吊り上げて、男の子があたしの手元を指差す。訳が分からなくて、あたしはぽかんと口をあけた。冷凍食品を持った右手が、そろそろ冷たくなってきていた。

「冷凍なんだぞ、2,3日中に食べるのなら1日くらい賞味期限が切れても平気だ。それを置いてこっちにしろ」
「えっ、え?」

急にあたしの手から商品を取り上げて、男の子が身を乗り出した。あたしが持っていた物と同じ商品をひとつ取って、それを再びあたしの右手に持たせる。戸惑うまま右手に視線を落とすと、さっきのより賞味期限が一日短いものだった。「3割引き」の赤いシールが張ってある。

「あ、……冷凍食品の話……?」
「それ以外に何があるんだ。見ろ、こっちのが92円も安い」
「はぁ…どうも」

呆気にとられたまま、あたしはとりあえずお礼を言った。…なんだ。タイミングが良すぎたから、心を読まれたのかと思ったよ。
ほっと息をついて、あたしは冷凍食品をかごに入れた。そして、目の前の男の子をもう一度見上げる。
整った顔も、赤い髪も、見覚えがなかった。制服は(かなり改造してあるけど)、たぶん聖帝学園のものだと思う。
もちろん、平々凡々一般的な高校生のあたしは、あんなブルジョア高校に知り合いなんていない。

「え〜と……どこかでお会いしましたっけ?」
「いや。貴様のあまりにも勿体ない買い物の仕方が気になってな、つい口出ししてしまった」
「は?」

言いながら、その人はあたしのかごの中をちらりと見た。その目があまりにも真剣で、あたしはつい身構える。恐ろしく中身と外見が違う人だな、と思った。
そうでなくても、聖帝学園の生徒がこんな小さなスーパーに(しかも値下げ時の夕方に)いるだけで不思議なのに。

「これだ!このレタス!葉の先が変色して鮮度が落ちている!取り替えろ!」
「はっ、はい……」
「いいレタスは切り口を押すとへこむんだ……よし、これにしろ」
「あ、ありがとう」
「それから、あと4分で卵のタイムサービスが始まる。卵は戻してシールを貼ってもらえ」
「はい……って、あれ、もうそんな時間!?」

慌てて時計を確認すると、確かに6時4分前だった。5時前にはここに着いていた筈なのに。失恋のショックが大きすぎたせいか、あたしの脳は想像以上に働いていなかったらしい。ああ、今日は課題がたくさんあるのに。
そんなあたしに、目の前の男の子は盛大に溜め息をついた。その溜め息があからさまにあたしを馬鹿にしている感じがして、ちょっとムカッときた。

「時間は有効に使え!時は金也だぞ!」
「はいっ、すいません」

あれ。何であたし謝ってるんだろ。
思わず頭を下げてから改めて思った。なんで見ず知らずの超カッコいい人に買い物のダメだしされてるんだ、あたし。
けれどそんなあたしの気持ちなど知らないこの人は、ひとつ頷くとさっと踵を返した。

「よし。……邪魔したな、それじゃ」
「あ……えっと、どうもありがとう?」
「別にいい。卵を忘れるなよ!それから鶏肉だが、ここより3丁目のスーパーのが安いぞ」

去り際まで完璧に「出来る主婦」の台詞を貫きながら、その人は見えなくなった(おそらく卵のタイムサービスに行ったんだと予想されます)。あたしはかごの中に残された冷凍食品とレタス、その他諸々を見つめて、呆然とその場に立っていた。
神様神様、なんだか今日は不思議な経験をしました。失恋して落ち込んでるときに、とっても格好いい、でも中身主婦っぽい男の子にレタスの見分け方を教わりました。
嵐のように一瞬の出来事で、あたしはまだ状況がよく掴めていなかったりします。けれど心はさっきより晴れやかで、元気も少しだけ沸いてきました。かごの中の「3割引き」シールに視線を落とすと、ちょうどよく6時を告げる音楽が店内に響き渡りました。
……冷凍食品はまた今度にして、今日はオムライスでも作ろうか。歩き出しながら、そう思いました。


ついでに、帰りに3丁目のスーパーに寄って行こうと思います。





=====081002