土井先生と柚子さんが怪しい。

最初にそんなことを言い出したのは伊作だった。
実習帰り、学園に向かって歩いていた時のことだ。彼にしては珍しく下世話な話だったが、だからこそ、その場にいた全員が少なからず興味を抱いた。

柚子さんはここ数年学園に薬を卸している薬師だ。学園長のご友人の知り合いだとかで、多い時は月に何度か姿を見る時もある。薬師としては新野先生も諸手を挙げて認める程の腕で、治療士としてもかなり出来る人、らしい。

彼女が仕事をしている姿など保健委員以外はほとんど見たことがないが、学園の校門で小松田さんと談笑していたり、薬箱を抱えた新野先生と廊下を歩いていたり、食堂でおばちゃんやシナ先生と笑顔で会話をする姿を見るうちに、自然と生徒たちとも馴染んでいった。下級生やくのたま達からは特に慕われているようで、まるで彼女を取り合うように生徒達に囲まれている様子もたまに見る。

「柚子さんと、……土井先生?」

伊作の言葉に、同学年の忍たまたちは顔を見合わせた。
確かに、廊下で話しているのをたまに見る。きり丸も随分懐いているようだし、もしかしたら学園以外での接点もあるのかもしれない。けれど学園内での様子を見る限り、特別親しい、と言った様子もない。会話の内容も当たり障りない世間話だし、逆に言えば彼女は誰とでもにこやかに話すので、特別土井先生とだけ親しいと感じたこともない。むしろ接点の多い新野先生や保健委員会の面々の方が、よほど仲がいいように見えるが。

「なんだ伊作、柚子さんに惚れたか!」
「年上か〜。伊作、保健委員で仲良いもんなぁ」
「違うよ!」

小平太と留三郎のからかいに少しだけ頬を染めた伊作が、そりゃ気立てはいいし淑やかだし腕もいいしすごくいい人で尊敬してるけどとごにょごにょ言い出したので、これは本格的に惚れてるのか、と周りが心配になった頃、伊作も自身の失態に気づいたのか、ハッとして、とにかく!と語気を荒げた。

「僕は惚れてないし、ちょっと怪しいような気がするんだよ」
「そうかぁ?」
「なんで急に土井先生と柚子さんなんだ?あんまり接点なさそうに見えるが」
「……この前柚子さんが来た時なんだけど、一瞬、聞こえたような気がしたんだよなぁ」

「半助さん」って。
面白半分に聞いていた面々が、少しだけその顔に下世話な真面目さを滲ませた。心做しか、皆少しだけ顔が赤い。

「それは……怪しいな」
「だろう!?」
「聞き間違いじゃないのか」
「そう言われると自信ないんだけど……でもあの場にいたの土井先生だけだったし、確かに柚子さんの声だったし」
「ふむ……」

考える様に黙り込む面々を横目に、視線を上げた仙蔵が最初にこう言った。


「……かま掛けてみるか?」
「「「「「えっ」」」」」

その言葉に、ほかの六年全員が声を揃えた。





揺さぶりをかけるなら、まず柚子さんだ。
土井先生は忍だし、第一教師という立場上、生徒相手にボロを出すか怪しい(いや、土井先生なら或いは簡単に引っかかるんじゃ……なんて失礼な意見も一応出たには出たが)。その点、学園に出入りしているとはいえ柚子さんは一般人だ。本心を引き出す術なら年下とはいえ忍たまの我らの方が上のはず。
何だかんだ紆余曲折したが結局そう話はまとまって、次に柚子さんが来た時に、仕掛けれる奴が仕掛けよう、と全員が同意した(文次郎だけは途中から「くだらん」と言っていなくなってしまったが)。

そしてついに、その時が来た。

校門向かいの廊下を歩いていた時、小松田さんの声に振り向くとそこに彼女の姿があった。入門表にサインをして、小松田さんと数言交わし、そしてこちらに向かって歩いてくる。いつもの大きな薬箱を背負った姿で校庭を横切り、その途中で彼女がこちらを見つけた。

「こんにちは、立花くん」

愛想のよいいつもの微笑みに、こちらも笑顔で「こんにちは」と返す。
さあ、ここからだ。仙蔵は笑みを貼り付けたまま、普段の会話と変わらぬトーンでこう続けた。

「これから医務室へ?」
「ええ、そう。いつもの……」
「ということは、土井先生に会いに来られたんですか?」

さも当然と言わんばかりにそう尋ねると、柚子さんは笑顔のまま少しだけ首を傾げた。

「土井先生?いいえ、今日は新野先生とお約束をしていて」

おや、引っかからないな。
土井先生の名前を出しても、彼女の態度に不自然な点は見つけられなかった。普通、年頃の恋する娘が脈絡なく突然意中の相手の名前を出されたら、多少の反応はありそうなものだけど。
やはり年下の生徒相手に、そこまでわかりやすい反応はしないか。
そう思って更に追い打ちをかけることにする。

「そうなんですか。医務室に行かれるのなら、土井先生かとばかり」
「土井先生、今日は医務室にいらっしゃるの?」

勘違いしてすみません、と謝ると、柚子さんが不思議そうな顔をした。この疑問も自然だ。違和感はない。
やっぱり伊作の勘違いだったんだろうか。そう思いつつも、最後に大きいかまをかけてやろうと仙蔵は渋い顔を作った。

「ええ。ほら、土井先生、昨日の実習で生徒を庇って大怪我して……聞いていませんか?」

けれどその言葉で、彼女の雰囲気が変わった。
一瞬、本当に時間が停止したかのように思えるほど小さく、彼女が息を止めた。
そしてこちらが「お、」と思う間もなく、踵を返して走り出した。大きな薬箱を背負ったまま小さくなっていく背中を、私は口を開けたまま無言で見送った。

……勘違いじゃなかったぞ、伊作。心の中でそう伊作に語りかける。けれど疑惑が解消しても心晴れやかな気分になれなかったのは、去り際の彼女の泣きそうな顔を見たからだろうか。

「……あの顔は、反則だろう……」

誰もいなくなって廊下で、仙蔵は一人ポツリと呟いた。





医者の不養生とはまさにこのことで、その日の昼過ぎ、新野先生は梯子から転げ落ちてしこたま腰を打ち付けた。
立ち上がることも困難な様子で、医務室に敷かれた布団の中で丸まっている新野先生を見て、伊作は土井先生と同時にため息をついた。

「無理なさらないでくださいよ新野先生。あんな重いもの普通ひとりじゃ無理ですよ」
「いやぁ〜、すまない、ったたたた……」
「まあまあ善法寺、用具室の医療棚に予備の忍具なんか詰め込んでた小松田くんにも非はあるし……」

そう、棚の一番上から救急用具を取り出そうと梯子を登っていた新野先生の上に、鍵縄やら手裏剣やら(危険なことこの上ない!)忍具の詰まった箱が落ちてきたのだから、無事だっただけでもよかったと言えるだろう。
たまたま通りかかった土井先生が何とか救出してくれたものの、新野先生は動ける状態ではなく、保健委員長の自分と土井先生でやっとここまで運んできた次第だ。

「いやいや、ふたりとも、迷惑をかけた。幸い今日は柚子くんが来てくれる予定だし、しばらく休んでいればすぐ動けるようになるよ」

そう言いながらも「まいったなぁ」と呟く新野先生は、相当痛みがあるようだった。
けれど不誠実なことに、新野先生がその名前を出した瞬間、伊作は無意識に土井先生へ視線を向けていた。土井先生はおや、と言った顔で、新野先生に布団を掛けながら会話を続ける。

「柚子さん?彼女、今日みえる予定なんですか」
「ああ、いつもの薬の補充だよ」
「そうですか。それは不幸中の幸い、ですね」

遠慮がちに笑う土井先生に、不自然な点はない。もちろん生徒の手前、教師である土井先生がボロを出すとは考えにくいが(いや、それでも6年の間では、土井先生ならもしかして……という失礼な気持ちが払拭できないのも確かなのだが)、しかし余りに自然で違和感のない対応に、やはり自分の勘違いだろうか、と結論を出す。
となると、この間ことは僕の空耳だったんだろう。そう思った時だった。バタバタと騒がしく廊下を走る音がして、次の瞬間医務室の戸がこれでもかという勢いで開かれた。


「っ土井先生!!」


姿を見せるや否やそう叫んだのは、渦中の人物、柚子さんだった。普段の穏やかな彼女からは想像も出来ないほどの慌てぶりで、僕も土井先生もただ驚いて目を丸くして驚いた。

「柚子さん!?ど、どうしました?」
「えっ……!?」

彼女は目の前の土井先生を見て、不安な顔のまま眉を寄せた。そしてその後ろにいた僕を見て、布団に寝かされた新野先生を見て、そしてもう一度土井先生に視線を向ける。その表情がゆっくりと、不安から困惑へと変わっていった。

「あ、あの、土井先生お怪我は……」
「え?」
「えっ」

顔を見合わせて二人で首を傾げる。
傍から見たら面白い光景だったが、二人は至極真面目に困惑しているようで、どちらも何とか状況を把握しようとしているようだった。

「私、ですか?いえ、私ではなく新野先生が、」

ちょっと腰を痛めたようで、と続いた土井先生の言葉は、どうやら柚子さんには届かなかったようだ。
暫く目を見開いて土井先生を見ていた柚子さんが、開け放った戸に体重を預けるように、ズルズルと崩れ落ちた。

「えっ、柚子さん!?本当にどうしたんですか!」
「い、いいえ!ごめんなさい……」

心配して彼女の肩を揺する土井先生の焦りとは裏腹に、柚子さんは気の抜けた声を出して顔の前で片手を振った。続いて、大きなため息。疑問符だらけの土井先生を他所に、彼女は少しだけ顔を上げた。
恥ずかしそうな笑顔、少しだけ赤い頬。こういう柚子さんの顔を見たのは初めてだった。そう思うと同時に、先日の同級生との会話を思い出す。
……まさか。

「ちょっと勘違い、というか……どうやら遊ばれてしまったみたいで……」


    仙蔵のやつ、ほんとにやったのか……!!


「は……すみません、話が見えないんですが……」
「あ、あははは……」

渇いた笑いを零す柚子さんは、赤い顔のまま。伊作の脳裏に浮かんだのは、当然同学年の立花仙蔵だった。

医務室に土井先生がいることを知っているのは、今ここにいる自分と新野先生。事情を聞いて肩を怒らせ、要因である小松田さんを捕まえに行った吉野先生。それに、土井先生が自分を呼びに来たときに一緒にいた、仙蔵だけのはずだ。
となればここへ柚子さんが駆け込んできた理由も、恐らくは仙蔵から何か嘘を吹き込まれたからで(大方土井先生が生徒を庇って大怪我、とでも言ったのだろう)、当然土井先生は怪我などしていない健常体なのだから、嘘などすぐにばれる。

まずい、仙蔵の嘘がバレたとなれば、芋ずる式に自分たちの思惑もバレることに……。正直、阿呆な話だとは思うが、かまをかけた後のことなど六年の誰も考えていなかった。
ズズ……と、思わず後ずさりした伊作を、けれど土井先生は見逃さなかった。

「……善法寺?」
「うっ……!」

土井先生の低い声に、びくっと肩を震わせる。ともな言い訳でも言えればいいが、正直なにも思いつかない。

「お前ら!なんか企んでるな!」
「わっ、わっ!すっすすすみませんーー!!」

思わず逃げ出した伊作がすぐにとっ捕まり、同じく逃げようとしていた仙蔵が復活した柚子さんに目聡く見つかり、くどくどと土井先生の説教を受ける羽目になるのが、この直ぐ後の話。






こぼれた仮面
「あー恥ずかしかった」
「柚子……仮にも現役の忍が、生徒に翻弄されんでくれよ……」
「だって、半助さんが生徒を庇って大怪我なんて、説得力ありすぎですもん」
「…………」

===20180602