「実戦経験なんて、学年が上がれば嫌でも増えていくよ」

言うと同時に、柚子は持っていた笛を咥えて吹く。
たった今ゴールを決めた団蔵が拳を上げ、チームメイト達が歓声を上げた。逆にゴールを決められた虎若は悔しそうに眉を下げ、行くぞと声を張り上げて手に持ったボールを蹴飛ばす。高く宙を舞ったサッカーボールを見事胸でキャッチしたのは金吾だった。
柚子は持っていた枝で右の足元に横棒をひとつ書いた。ドリブルをしながら反対側へと走るは組の子達を視線で追いながら、つい先程、審判はこれ吹いてね!と元気よく渡された笛を首元に落として言葉の先を続ける。

「今の五、六年生だってそうでしょう?座学より実習の方がずっと多いって、この前伊作くんが泣いてたもん」

潮江くんと七松くんは喜んでたけど。
そう続けると、柚子の数歩後ろで石壁に凭れかかっていた四人は、眉を下げて視線を落とした。

「そりゃそうですけど……」

伝七の呟きは尻すぼみになってそのまま消える。
ちらりと後ろを見た柚子は、普段は自信に溢れた彼らの珍しく愁傷な姿に目を細めた。こういう彼らを見るのは新鮮だ。

自他共に認める成績優秀ない組の彼らは、アホだマヌケだと罵るは組に対してどうしても拭えない劣等感を持っているらしかった。聞けばそれは「実戦経験不足」。深刻な顔で、ぽつりぽつりと零すように言った彼らにいつもの自信は見られない。
どうも本気で悩んでいるようで、柚子は目の前の試合に視線を戻しながら小さくため息をついた。

「うーん……寧ろ異色なのはは組であって、君たちは順調に段階を踏んで成長してると思うけどなぁ」
「あ……それ、厚木先生にも同じことを言われました」
「ね?先生がそう仰るなら尚更、気に病む必要はないよ」

言いながらも、気にするなで済めばわざわざ私に相談になんて来ないよなぁ……と、柚子は直前の言葉を反省した。案の定、先生そして薬師の同意を得ても尚、彦四郎は眉を下げたまま、ですかね、と力なく口角を上げただけだった。
    この子達のこの劣等感の原因は、きっとは組ではなく安藤先生の影響だろうな。ふとそう考える。
あの方もよい先生だ。自分の生徒をよく見ているし、素質を引き出す目をお持ちだ。おかげで彼らの勉強に取り組む姿勢には目を見張るものがある。真面目にコツコツ、そんな言葉が似合うクラスだと思う。
現場経験豊富で実践叩き上げ型のは組の担任たちとは根本的に違うタイプで(ちなみに柚子も徹底的に実践叩き上げ型だ)、だからこそ意見の衝突も多いのかもしれない。……が、それがここまで生徒達に影響するとなると、大人達には少し自重して頂きたいものだ。
当然、教育の事など何も知らない柚子に口を出す権利はないのだが。

未だ浮かない顔の四人を横目に、柚子は再度笛を咥えた。ピィーと高い音が響き、同時に今度は反対側のゴールで歓声が起こる。
い組の彼らも、は組の子達のように充実した休み時間を過ごせないものだろうか。目の前の、年相応に輝く笑顔を見てそう思う。そしてその為ならばと、柚子は言葉の端にほんの少しだけ色をつけて話すことにした。

「一年生の頃は、とにかく基礎知識を沢山学ぶことと体力を付けること。大切なのはこれだけって聞いたわ。い組は、基礎知識量の豊富さならは組なんて目じゃないでしょう?」
「そりゃあもちろん……」
「あとこれは内緒だけど、私が知ってるここ数年の中では、君たちダントツで優秀だと思う」
「えっ、そう思いますか!」
「本当に!?」
「本当本当。い組に保健委員の子がいたら弟子にしたいくらい」

あ、今のはちょっと脚色しすぎたかもしれない。
一瞬そう考えたが、ようやく顔を上げた彼らの目を見て、まあいいかと思ってしまった。少しだけ光の戻った目を見て、漸く彼らの中に年相応の部分を見つけた気がした。大人振ってはいても、まだまだ他人に褒められたい十歳の子供なのだ。

「だからね、ライバル相手に向上心を持つのはいいことだけど……」
「あっ、アイツらがライバルなんて!!」
「アホのは組相手に優秀な僕達が!」
「……うーん、その優越感と劣等感のバランスはちょっとややこしくて面倒くさいねー」

元気を取り戻してくれたのはいいが、どうも彼らは極端だなぁ。思わず溜め息がこぼれるが、同時にくすりと笑いも零れた。いつの間にか横に並んでいた彼らを見て、すぐ隣に立っていた佐吉の頭に片手を乗せる。

「とにかく、引け目を感じるのなんて今だけだよ。優秀な君たちなら、きちんと努力すれば必ず追いつくし、追い越す」

数年後、成長した彼らを想像する。は組の子達もそうだが、柚子も彼らの将来はとても楽しみに思っているのだ。それだけは、安藤先生や半助さんとも同じだと言いきれる。

「五年後が楽しみだね」





足取り軽く手を振る彼らの後ろ姿を見送る喜び

==2019.01.01(一年い組の日)