お使いの帰り道、乱太郎はよく行く茶屋の前に柚子さんの姿を見つけた。
けれど喜び勇んで声をかける前に思わず足が止まったのは、一人で茶屋に寄ることなど滅多にないと、前に本人から聞いたことがあったからだ。

案の定というか、柚子さんは一人じゃなかった。後ろ姿で顔は見えないが、刀を挿した、恐らくは若い武士であろう男の人が隣に座り、何やら話しているようだった。
思わず喉から唸るような声が出て、目を細める。
男の後ろ姿を穴が空くほど見つめるが、どう考えてもその姿に見覚えはない。否、自分の記憶力に自信がある訳では無いが、おそらく何の変哲もない普通の一般人であろうその男の横顔には、忍術学園と関わりになるようなキャラクターの濃さは到底感じられなかった。
仕事関係の知り合いだろうか。そう考えはするものの、何となく疑心暗鬼になって、そろりそろりと忍ぶように足が進む。
けれどこちらが姿を隠す間もなく、柚子さんが先にこちらに気付いた。ぱちっと目が合って、その瞬間、柚子さんは花が咲いたように笑顔になる。

「乱太郎くん!」

その腕を大きく振って、名前を呼ぶ。その姿と笑顔に、ほんの少しだけドキッとした。柚子さんにつられて、隣に座っている男もこちらを振り向く。……うん。やっぱり知らない人だ。おそらく、多分。
呼ばれた乱太郎は観念して、緩やかになっていた歩幅を戻し茶屋の前まで駆け寄った。


「柚子さん、こんにちは!」
「こんにちは。今日はお使いか何か?」
「はい、金楽寺に行った帰り道で」
「学園長先生の?」
「いえ、今日は食堂のおばちゃんの」


そっか、お疲れ様。
そう言うと柚子さんは、早々に脇に置いてあった笠と薬箱へと手を伸ばした。よく見れば、他人とお茶を飲んでいるというのに手甲も外さないままだ。いつも礼儀正しい柚子さんにしては珍しい。

「柚子さんはどうしたんですか?」

隣の男の人に小さく会釈してから、疑問を素直にぶつけてみる。すると柚子さんは困ったような笑顔で、その人の足元を指し示した。

「この方が道で怪我をしてらして……」
「診て頂いたお礼に、柚子殿にお茶をご馳走しているところだよ」

愛想の良さそうな男が気の良い笑顔でそう教えてくれる。見れば確かに、男の右足にはきっちりと包帯が巻かれていた。
そうだったんですか、と言いながら柚子さんに視線を戻すと、柚子さんは一瞬、あからさまに困った顔になった。普段お世辞にも勘が鋭いとは言えない乱太郎だが、この柚子さんの表情にはピンと来るものがあった。
素早く薬箱を担いだ柚子さんが、笠を手に立ち上がる。

「今からそっちに向かうところだったの。乱太郎くん、どうせだから一緒に行こうか」
「えっ、もう行かれるのですか」

立ち上がった柚子さんに男が縋るような声で言った。

「まだお礼も出来ていないのに」
「そんな、十分です。ご馳走様でした。行こう乱太郎くん」
「お大事に!」

深く頭を下げて踵を返した柚子さんの横に並んで、乱太郎は男に手を振った。
足の怪我が少しだけ気になったが、立ち姿を見る限り歩くのは問題なさそうだし、何より柚子さんが処置をしたのだから、もうなんの心配もないのだろう。
ちらりと、最後に男の隣の皿に目を向ける。皿に乗った団子がみっつ、おそらく手はついていない。


「あー……乱太郎くんが来てくれてよかった……」

茶屋が見えなくなってから、柚子さんはようやくと言った様子でため息とともに肩を落とした。疲れた様子で首に手を回し、これまた珍しいことに、笠の紐を持ってくるくると振り回す。
どうやら、少々いらついているらしい。普段、兵太夫と三治郎の絡繰にも鉢屋先輩の悪戯にも綾部先輩や七松先輩の傍迷惑な穴掘り行動にすら笑顔を見せる柚子さんが、その笑顔のひとつもなく眉を寄せる様はかなり貴重な姿だった。

「えっと……もしかして、あの人に捕まってました?」
「かれこれ半刻もねー」
「そんなに!?」
「大した怪我じゃなかったんだけど、お礼させてくれってしつこくて」

普段寄り道など滅多にしない忙しい柚子さんにしたら、望まない他人との半刻は相当長かったことだろう。更に聞けば、男は自分の家の家柄や領主との所縁を主張し、うちに来れば危険で所得の定まらない遍歴の薬師などする必要は無いと、柚子さんを家へ連れ帰ろうとしたらしい。
どうもこれが柚子さんのプライドとかそういうものに触れたらしく、口説くにしたって言い方があるわと、柚子さんは肩を怒らせた。

「帰ろうとするとなんだかんだ傷が痛むって引き留められるし、もう一度診てくれとか包帯巻き直してくれとか……もしかしてクレーマーなのかと思っちゃった」
「えっと……知らない人、ですよね?その割に親しげでしたけど」
「向こうはね」

ようやく笠を落ち着かせた柚子さんが、困ったような顔で笑う。

「乱太郎くんが来るまでは、名前も教えてなかったのよ」
「えっ、ごめんなさい!」

言われてようやく、あの人が柚子殿と言った時の表情の意味を理解した。
同時に深く反省する。柚子さんが半刻守り抜いたその名前を、自分がいとも簡単にばらしてしまったのだ。

「いいよ。もうちょっとで我慢出来ずに悪態つく所だったから、正直助かった」

頭を垂れた乱太郎の髪を柚子さんの手が優しく掻き回し、さぁ帰ろうとようやくいつもの笑顔で言った。
少しだけ空いた距離を詰めながら、乱太郎はその横顔をちらりと覗き見る。入学以来、土井先生やきり丸、そして保健委員と薬師という繋がりを通して柚子さんとは多く関わってきた方だ。柚子さんがいつも面倒事を飄々と交わしていく様も、それなりに見てきた。比較対照が土井先生だから本当の所は分からないが、要領も良く、世渡り上手な人だと思う。
だからこそ、柚子さんがきり丸以外のことに手を焼いている様を初めて見て、少しだけ思うところがあった。柚子さんにではない、土井先生に対して。

ふと、さっきの茶屋の前に通りかがったのが、自分ではなく土井先生だった場面を想像した。颯爽と……というイメージは土井先生には無いが、おそらく柚子さんが自分を言い訳にするより早く、あの男の手の届かない所まで柚子さんを引っ張って行ったに違いないのに。

「(早く結婚すればいいのになぁ)」




とりあえず至急土井先生に事の詳細を報告しようと思いました
==2019.01.07(猪名寺乱太郎の日)