ぶえっくしょぉん!!

なんとも男前で盛大なくしゃみの後、左門はくしゃみと同時に出てきた鼻水を啜って鼻の頭を掻いた。季節を感じさせる緩やかな風がさあっと吹き抜け、裏々山の新緑を座喚かせ、彼の髪を揺らし、未だムズムズが収まらない鼻先をくすぐる。風に誘われてふと足元を見下ろせば咲きかけの真新しい花の蕾。ああ、春である。
なんとも形容しがたい爽やかさに相まった薄暗く鬱蒼とした森の中で、左門は腕組みをしたままふっと口角を上げ、そして誰もいないがらんとしたこの空間であらん限りの声を出した。

「うむ!誰かが僕の噂をしているなぁ!」
「多分、噂じゃなくて文句だと思うなぁ」

腰に手を当てて胸を張ると、意外にも言葉を返す存在があった。同時にがさりと背後の茂みが音を立て、左門は振り返る。

「あー!柚子さん!」
「こんにちは神崎くん、早速で申し訳ないんだけど」

こんにちはあ!と元気よく返す左門の腕を捕まえて、柚子は素早く縄を掛けた。先程彼の級友から預かったばかりの縄は、彼を捕まえることなど慣れっこだとでも言わんばかりの滑らかさでふわりと宙を舞う。それが左門の腰を捕まえたのを確認し、柚子は何があっても解けないようにと念入りに縄の先を縛った。

「さっ、帰ろっかー」
「そうか!忍術学園はこっちかー!」
「じゃなくてこっちですー」

早速明後日の方向へと爆走しかける左門を縄で引き止め手繰り寄せる。彼の勢いにおされて思った以上の力で引っ張ってしまったが、どうやらこちらも慣れているのかすました顔で、引かれるままに元の位置まで戻ってくる。

「あのね神崎くん、迷ったらまず止まる!周りを見る!そしてちょっと考える!」
「柚子さん!進退は疑うことなかれですよ!」
「司馬法ね。それ、前述を知ってる?慮すでに定まらば、心すなわち強くして、進退疑うことなし。つまり方針が定まっていれば心強く戦えるから、進退に迷いが生じることはない」
「つまり己を信じて突き進めー!」
「というか、指針がしっかりしてこそ迷いは消えるって事」

彼のこの、一言発する度に足があらぬ方へと進み出すこの行動は何なんだろう。もはや習性か。
話しながらも休みなく動き回る左門の所為で、常にぴんと張られた状態の縄の先を掌に巻き付ける。話に聞いていた以上の猪突猛進さをこの時初めて実感した柚子は、思わず眉間に皺を寄せ、無駄ですよと忠告されていたにも関わらず、一瞬つい説教モードに入ってしまう。なるほど心得ました!と敬礼するも再び走り出そうとする左門の縄を遠慮なくぐんと引き、柚子は早々に説得を諦めた。

「……そして今のところ、神崎くんの指針はあそこ」
「ん?」
「左門ーーー!!」

柚子の示した指の先から、茂みをかき分けてやってくる影。
怒気を纏った作兵衛が、三之助を括った縄を肩に担いでずんずんと近づいてくる。
誰がどう見ても怒りの頂点に近いだろうと思う作兵衛の表情に、しかし目の前の男気決断力少年は 一ミリも戸惑った様子を見せずに片手を上げた。

「おお、作兵衛、三之助」
「よお左門。偶然だなぁ」
「偶然だなぁ、じゃねぇ!!全くおめぇら毎度毎度二人して迷子になりやがって!どうすりゃそこまで見事な方向音痴が出来上がるんだよ!」

厠帰りにすれ違うくらいのテンションで挨拶を交わす左門と三之助に、作兵衛の怒りが爆発する。彼の言葉に、柚子も心の底から深く同意して二度三度と頷いた。
怒れる作兵衛を前にけれど件の二人は「なんだ左門、お前また迷子になってたのか」「そうらしいな!三之助もか」「俺は違うよ。気付いたら寄り道してただけ」「相変わらずの無自覚だなぁ!」わはは、などと談笑している。
目の前のこの温度差を見ていると、どうしたって作兵衛への同情は禁じ得ない。その上作兵衛も三之助も体のあちこちに葉っぱをつけて、足元は膝上までドロドロだ。どこを歩いたらそうなるのか……雨は最近降っていないし、近くには池も砂地の川もないはず。まさかとは思うが、裏々々々山の池沼にでも嵌っていたんだろうか……。

「柚子さんありがとうございました!」
「お安い御用ですよ。富松くんも大変だね……」

疲れ切った顔で、それでも姿勢を正して律儀に頭を下げる作兵衛に、柚子は思わず彼の頭をぽんぽんと撫でた。本当に、真面目で律儀で責任感のある子だ。目の前の迷子組二人は、彼が同級であったことに心から感謝するべきである。

「柚子さん……子供扱いしねぇでくだせぇ……!」
「あ、そうだね。ごめんつい」

勢いよく顔を上げた作兵衛は柚子が撫でた自分の頭に手を置くと、少しだけ困った顔で照れたように言った。彼のその言葉に、柚子も素直に謝罪する……が、同時にそのいたいけな姿に笑いが零れた。
下級生とはいえ十二になる年の頃では、子供のように頭を撫でられたりするのは確かに気恥ずかしいのかもしれない。しかし柚子からしてみれば、学園の子供たちは一年生からそれこそ六年生まで、年下の可愛い子供でしかないのだ。


「あー!作兵衛が甘やかされてる!」
「違ぇよ馬鹿!」
「柚子さんこっちもお願いしますこっちも」
「だめー。これは労いなので今回は富松くん限定です」
「俺も大変だったんスよー。なんでかわかんないけど気付いたら裏々々々山の沼にいてー」
「うわぁやっぱり……富松くんもっかい撫でていい?」
「お気持ちだけで!」
「よぉし!それじゃあ帰るかー!」
「だからそっちじゃねぇよ馬鹿左門!」

自分の頭を指して俺も俺もと主張する三之助と、相も変わらず明後日の方向へ突き進む左門の縄の先を握りしめて、柚子は明日も変わらず彼らの面倒を見続けるのであろう作兵衛に哀悼の意を送りつつ、忍術学園へと足を向けた。






帰って縄を解いた瞬間再び消えた彼らと嘆く保護者に密かに合掌

==2019.04.15