授業後、廊下に出るとその光景が目に入った。

今日最後の授業が終わり、は組の生徒達が解放感の赴くままに放課後の予定について話し合うのを聴きながら教室を出た。彼らと同じように、自分の身体も解放感に包まれる。今日は比較的平和だったし、明日は休みだ。しばらくテストの予定もないし学園長からの忍務もない。……今のところは。
久しぶりにゆっくり出来る休みだから、一度家に帰ろうかと考えた時、校庭からこんな会話が聴こえてきた。

「柚子さん、髪綺麗ですね〜」
「そうかな?長いから気にならないけど、思ったよりくせ毛なのよ」
「いえいえ、とっても綺麗な黒髪ですよ。一度結ってみたかったんですよね〜」

ふわりと気の抜けた声は、火薬委員会でお馴染みの斉藤タカ丸だった。いつものにこやかな顔をさらに嬉しそうに綻ばせて、片手に櫛を構えている。そしてタカ丸の前に置かれた椅子に、彼女の姿があった。腰まで流れる黒髪はタカ丸の手で櫛を通されている。さらにその二人を囲むように、くノの一教室の面々が輪を作っていた。

「どんな風がいいですか?」
「うーん……そうね、この後まだ行くところがあるし、控えめにしておいてくれると……」
「えー、せっかくだから可愛く派手にしてもらいましょうよぉー」
「えぇ?派手なのは困るなぁ……お客さんのところだし」

はしゃぐくのたま達に苦笑いを零す柚子は、どこか困っているようにも見える。反してノリノリのタカ丸とくのたまを見て、ああ、きっとせがまれたんだろうなぁ、とひとり結論付ける。けれどそんな彼女にお構いなしで、タカ丸は「なら、編み込んでみましょうか」と意気揚々と手を動かし始めた。
さらさらと流れる黒髪が、タカ丸の手によって緻密に編み込まれていく。その光景に、思わず足が止まった。

「微笑ましいですねぇ」

背中に掛けられた声にはっとして振り返ると、いつの間にかそこにピンクの忍装束に身を包んだ山本先生がいた。先程の私と同じように校庭に目をやりながら廊下を進んでくる。

「柚子ちゃん、くの一教室の子達からもかなり懐かれてるみたいで。女の子達の相談に乗ったり、アドバイスしてくれたり。まるでお姉さんね」

そう言われて視線を戻すと、確かに周りを囲む彼女達はなにやら困り顔で、柚子はうんうんと頷きながら話を聞いている。

「だめよユキちゃん、食事制限でダイエットなんて」
「ええ?でも、食堂のおばちゃんの料理って思ったより量が多くて……」
「いいえ、おばちゃんの料理は最高よ。高タンパク低カロリーで栄養バランスもピカイチ。下手に自己判断で減らしたりしたらバランス崩れて変な太り方するわよ」
「えっ!?やだっ!」
「食事減らすんじゃなくて、水分たくさん取らないと」

……これは大変そうだ。
それでも嫌な顔もせずくのたま達の話を聞く柚子に感心したが、存外、彼女自身もくのたま達の話を楽しんでいる様だ。その様子に思わず頬が緩んだ。
山本先生の言う通り、生徒と接している時の彼女はまるで姉のようだと思う。くノ一教室の子達に限らず、は組や、上級生を相手にする時も。家にいる時は見られない、そういう一面を見られるのは嬉しいものだ……が。
流れる黒髪に通される指が、自分のものでない事だけが、少し引っかかる。

「土井先生としては、心中穏やかじゃないかしら?」
「え゛っ!」

覗き込むようにこちらを見て言った山本先生の言葉に、ぎくりと肩が震える。ほほほほ、と朗らかに笑う彼女は確信めいた目をしていて、ああ、やっぱり気づかれていたかと肩を落とした。学園で関係を公言した覚えはないが、一緒に住んでいることもあって、それを知っている山田先生と学園長、そしてなんとなく、山本先生は気付いているだろうという自覚はあった。
バレてしまっては、今更隠しても仕方ない。そもそも、別にどうしても秘密にしておきたい訳じゃない。もちろん知れば積極的にからかってくるだろう一部の教師や、教え子である生徒達にまで知られるのは、少し居心地が悪いとは思うが。

「……流石に、生徒相手にはありませんよ」
「あらあら、大人ですねぇ」

諦めて認めた私に満足そうに頷いて、山本先生は機嫌よく去っていった。なんとも情けないような気持ちになりながらその背中を見送り、庭へと視線を戻す。
くの一たちの感嘆の声の中心で、彼女の髪は綺麗に編み込まれ、後ろで団子のように纏められていた。

「(……う〜ん……)」

生徒相手にどうこう、とは言ったものの、やはりあれはちょっと……と、眉を寄せる。いつものタカ丸の奇抜さはなく、上品なまとめ髪ではあるのだが。   家にいる時でも、風呂上がりでしか見せないような彼女のうなじが晒されているのは、少しだけ落ち着かない。
それすらも独占欲だと、気付いてはいるのだが。

「あ、斎藤くん。もし出来たらこれ、使ってもらいたいんだけど……」

いつの間にか完全に足を止め、腕を組んでその光景を見ていた自分に気づいてはっとした時だった。もう行こう、そう思って、けれど一踏み出す前に、柚子が袖から光るものを取り出したのが見えた。受け取ったタカ丸が光に翳すようにそれを持ち上げて、

「出来る?」
「大丈夫ですよ。綺麗な簪ですね〜」

ようやく、それに見覚えがあることに気付いた。

「柚子さん、最近ずっとそれしてますよね」
「もしかして誰かに貰ったものですか!?」

途端に色めき立つくのたまたちが、タカ丸の持つその簪に一斉に視線を向ける。
控えめな蜻蛉玉が揺れる、夕焼け色の簪。それは確かに、自分が彼女に贈った簪だった。

「内緒」


くのたま達をからかうように、けれど僅かに嬉しさを滲ませる顔で、柚子が口元で人差し指を立てる。そのとき、くのたま達が騒ぐ中心でようやくこちらに気づいた柚子が、一瞬、困ったような、照れたような笑顔を見せた。
ああ、もう、そんな顔を見せられたら。駆け寄ってあの場から掻っ攫いたい衝動に駆られるが、それを何とか踏み留まる。

  明日、帰るよ。

矢羽音を飛ばすと驚いた顔をして、途端嬉しそうに破顔した彼女。
周囲のくのたま達が気付かない程の、ほんの一瞬の変化だったが、その一瞬が目に焼き付いた。

  待ってます。

そう返してくれた彼女に小さく頷いて、ようやく廊下を先に進んだ。背後で小さくなる楽しそうな声を聞きながら、先程の彼女の顔を思い出す。
帰ったら、いつものように抱きしめよう。そう考えるとそれ以上の欲が出てしまう気がして、咳払いとともに居住まいを正した。

さぁ、明日のために、仕事を終わらせよう。





===20180619
このあときり丸に声かけようかどうしようか3時間は悩めばいい。