大人って不思議だ。



「あっ!柚子さん!」

校庭での実習授業の帰り。教室へ帰る途中で、廊下に腰掛けてこちらを見ている柚子さんを見つけた。
俺が気付いて駆け寄ると、柚子さんはいつもの様に笑って「久しぶり」と言う。

「通りかかったら校庭にきり丸達が見えたから、思わず腰を据えて見学しちゃった」

先程までの散々な手裏剣実習を見られていたかと思うと少し恥ずかしいが、それよりも久しぶりに柚子さんに会えた事が嬉しかった。
長期休暇が終わって二ヶ月半、何度か学園に来ていたことは知っていたが、こうして顔を合わせたのは休暇以来初めてだ。柚子さんも「やっときり丸に会えたわ」と、嬉しそうに笑った。

「今来たの?」
「ううん、残念ながらもう帰るところ」
「えぇーっ!?」

そういうが早いか、柚子さんは立ち上がって脇に置いていた薬箱を持ち上げる。きり丸が持つとふらつくほど重いその薬箱を慣れた様子で背負う柚子さんに、きり丸は不満を隠さず口を尖らせた。

「ちぇっ。俺、柚子さん来てても全然まともに会えないなー」

口を尖らせて視線を落すと、柚子さんは困ったようにごめんね、と言った。その言葉に、ほんの少しの罪悪感を抱く。解っている。謝ってほしいわけでも、柚子さんが悪いわけでもないのだ。
いつもいつも、柚子さんが来るのは授業中だったり、俺の委員会当番の日だったりでなかなか会えない。乱太郎が保健室当番の時は教えに来てくれたりもするけど、それだって何度もない。そもそも月に数回しか来ない柚子さんと、乱太郎の当番が重なる事も少ない。
柚子さんだって時間がある時は、今日みたいに仕事が終わったあとに俺を探してくれたりもする。誰も悪くないし、言っても仕方ないのは分かってるんだけど……。
それでも乱太郎や新野先生や、他の保健委員たちの方が学園での柚子さんを知ってるのかと思うと悔しかった。
今だってきっと、次の仕事があるのに俺と話すために授業が終わるまで待っていてくれたんだろう。分かってはいても、つまらないものはつまらない。だって、まだ挨拶しかしてない。数ヶ月前は毎日のように一緒にいたのに。

「……さっきね、新野先生と珍しく次のお約束をしたの」

頭に、柚子さんの手の重みを感じる。土井先生のかたい手や雑な撫で方とは違う、体温だけを分けてくれるような柚子さんの撫で方。
土井先生の手も好きだったけど、柚子さんのこの撫で方も、不思議と子供扱いされてる感じがしなくて好きだった。

「十日後にまた来るわ。前の仕事を終わらせてから来るから、昼くらいかしら」

膝をついて、目線を合わせてそう言う柚子さんの言葉に顔を上げる。

「だから、次はお昼ご飯一緒に食べよう。夕方も空いてるから、もしきり丸が委員会とか、用事がなければ授業が終わるまで待っててあげる」
「えっ!”あげる”ぅ!?」
「ふふ、そうよ」

目を輝かせた俺に、柚子さんはいつものように楽しそうな顔で笑った。この人は俺といる時、いつも楽しそうにしてくれる。気を使ってくれているのかと思ったこともあったが、彼女は本心から楽しんでいるんだと、土井先生がそう嬉しそうに言ったのを聞いてからは疑わなくなった。
「彼女は、居たくてお前と一緒に居るんだよ」と、少しのヤキモチを滲ませて言った土井先生を思い出す。俺が一緒にいることを、いつの間にか当然のように受け入れてくれている二人が好きだった。


「どう?」
「……絶対約束だかんね!」
「女に二言はありません」


にやっと笑った柚子さんが拳を出して、俺も自分の拳を合わせた。自分は今、ひどく嬉しそうな顔をしてるんだろうな。そう考えられるのは、目の前のこの人がとても嬉しそうにしてくれるからだ。合わせた拳を弾くように離して、約束破ったら罰金ね!と付け加えると、柚子さんが呆れたような顔で俺の額を小突いた。


「柚子さん」

その時、廊下の向こうから土井先生が現れた。いつもの様に出席簿とチョークケースを携えて、俺を見つけると「実習お疲れさん」と声を掛けてくれる。
柚子さんはそんな土井先生の姿を見ると、立ち上がって   にっこり笑って、頭を下げた。

「こんにちは、土井先生」
「新野先生が探してましたよ、渡し忘れたものがあるそうで」

それに俺は、思わず眉を寄せて首を傾げた。新野先生の忘れ物の事じゃない。学園にいるといつも感じる、この違和感にだ。
だって柚子さん、今、大家さんや隣のおばちゃんに挨拶する時くらい丁寧な態度だ。

「そうですか。わざわざありがとうございます」
「いえ、ついででしたから」
「きり丸を見つけてよかったわ。でなきゃ、今頃とっくに学園を出てたもの」

薬箱を背負いなおした柚子さんが、俺に笑いかける。さっきまでとも家とも変わらない。俺の知ってる、いつもの柚子さんだ。やっぱり土井先生に対してだけ、柚子さんは態度がいつもと違う。それは、土井先生も同じで。

……大人って変なの。
だって、家では土井先生は「柚子」って呼ぶし、柚子さんは「半助さん」って呼ぶ。先生は敬語なんか使わないし、柚子さんだってもっと砕けた話し方をする。それが普通で、当たり前になっていたから、こうしてたまに学園での2人を見ると、すげー違和感だ。
だって二人とも、まるで他人みたいに話すから。
俺に対しての態度は変わらないのに、土井先生と柚子さんは全然違う。……あの、暖かくて安心するような空気がない。前に土井先生にそれを聞いたら、職場だからなぁ、 とだけ言って、困ったように笑ったのを覚えている。

嬉しそうに笑うこの人達が好きだった。二人が笑ってるところを見ると、思わず自分も飛び込んで行きたくなるほど。きっと、幸せな空気って言うのはああいうのをいうんだろうなと、心の底からそう思っていた。
でも、もしかしたらあの家での二人が俺の夢だったんじゃないかとさえ思えるほど、学園内での二人はまさに「他人」だった。それが酷く寂しくて、何故か心細くなる。

しょげた顔をしていたのかもしれない。柚子さんがいつの間にか伏せていた俺の顔を覗き込んで、そして目を合わせる。半分だけあげた俺の顔を、柚子さんはいつもの笑顔で見て、そして立ち上がった。


「じゃあ、またねきり丸。……半助さんも」
「!」

最後にイタズラっぽくウインクして、柚子さんは踵を返した。残された俺と土井先生は、二人して一瞬呆けた様な顔をして、

「まったくあいつは……」

そう言って、土井先生が笑った。
ああ、夢なんかじゃない。俺の知ってる二人だ。一瞬だけど、そこにいつもの空気があったことが嬉しくて、俺は口元が緩むのを必死で我慢した。
きっと柚子さんは、わかっててああ言ったんだ。俺が不安にならないように。そして多分、土井先生もそれをわかってる。それが、少し恥ずかしくて、すごく嬉しい。

「ん?どうしたきり丸」
「……土井先生も十日後の午後、絶対空けといてくださいよ!」
「はぁ?」

せっかくだから、次の約束は三人で過ごしたい。
柚子さんを独り占めするのもいいけど、それは多分、俺が一番好きな柚子さんじゃないから。

首を傾げる土井先生にそれだけを言って、俺は待っていてくれているであろう乱太郎としんベヱの元へ走り出した。





親煩悩
「おかえりーきりちゃん、柚子さんと話せた?」
「おう!とりあえず来週の図書当番、怪士丸に代わってもらってくる!」
「えっ、なんで?」

===20180620