※流血注意(利吉視点)





今度の忍務は一晩で片がつく、はずだった。

依頼人へ報告を済ませ、報酬を受け取り、縁もこれまでとその場を去った、その後だった。思わぬ奇襲を受けたのは。
忍務内容は大したものではなく、よくある情報収集と要人の監視任務という忍らしい内容だった。ただ、目標が複数であったこと、移動距離が長かったこともあって、チームを組まされた。
人選は依頼主が既に済ませたと聞かされ、それだけでも今回の忍務に対するやる気はかなり削がれていた。チームというのなら、人選はこちらに任せるのが道理だろうに!
依頼人に頭を垂れ肯定の意思のみを伝えながらも、思わず心中そう叫ばずにはいられなかった。初対面の誰ともわからない忍と呼吸を合わせるより、呼吸の合う人物で組んだ方が断然成功率は上がる。手練を選りすぐったぞと、まるで感謝しろと言いたげに胸を張る依頼主に内心舌打ちをした。そして通された部屋で待っていた面子を見て、利吉はさらに後悔することになる。
迷惑な依頼主によって選りすぐられたのは、利吉の他に三人だった。全員顔は知っていたが、利吉にとって有難い人物は一人もいなかった。しかも悪い事に、内一人は以前敵方で刃を交えたことがある。その時しこたまコテンパンにしたものだから、利吉に向けられる男の視線はなんとも鋭いものだった。

そしてそこに、彼女がいた。
色を使わない女忍者。諜報よりも暗殺を生業とする生粋の戦忍。彼女の仕事を知る者で、彼女をくの一と呼ぶ者はいない。
通称、紅。
誰がそう呼び始めたのかは知らないが、本名がわからない故に皆がそう呼んでいた。利吉が初めて会ったのは、もう半年ほど前か。
顔合わせを兼ねた任務説明で、彼女はその頃と変わらず暗褐色の忍装束に身を包み、居るとも居ないとも知れぬ程の薄い気配だけを纏ってそこに居た。
確かに手練揃いのメンバーだ。しかし、余りにもチームワークに欠ける面子でもある。よりにもよってこれを私が纏めるのかと、初めは頭が痛い思いだったが、なるほどそこは全員名うての忍。忍務はなんの問題も滞りもなく、予定よりも随分早く終わることが出来た。

問題は、その後だった。



夜の帳も降りた森の中、未だ忍装束を纏ったままの男がこちらを睨むように正面に立っていた。先程別れたばかりの、今回の仕事仲間だ。殺気立ったその様子に、ああ私怨か、と結論を出す。この男、以前敵として戦ったときから利吉に恨みを募らせていたんだろう。
これだから素人の横槍は嫌なのだと、今回この男と組むことになった原因の依頼人に再度悪態をついた。
あの依頼人の勝手な手出しさえなければ、今頃は息の合うチームメンバーと心穏やかに別れ、宿でも取って湯を浴びている頃だったろうに。
しかし、起こってしまったことを今更言っても仕方がない。一人相手なら逃げ切れないことはないだろう。そう思って、利吉も獲物を構えた。

結論から言って、逃げられなかった。
誤算と、一瞬の気の緩み。放たれた苦無が腹に突き刺さる痛みを感じながら、利吉はよろめいて地面に手を付いた。
男は直前の仕事仲間を、今回の仕事の利吉の取り分を報酬として雇っていた。もう一人の忍と、そして紅がその場に現れ三人に囲まれた時、利吉は一瞬、ああ、死んだかな、と頭の隅で考えた。男が口角を上げたのが、マスク越しからでも伝わる。どうやら相当恨まれていた様だ。フリー同士、まさに今回のように、敵になることもあれば味方になることもあると、そう割り切れないものだろうか?
利吉からしてみれば逆恨み以外の何物でもないのだが、男の目を見る限り、説得は難しそうだ。
痛みによろめき、思わず膝を着く。目の前には気配が三つ。顔を上げる気にもならなかった。

「悪いなぁ、リーダー……これで終いだ」

主犯の男が嘲笑を含んだ声でそう言う。同時に、刀を振り上げる音。この攻撃をかわしたところで助かる見込みはない。敵は三人の上、紅がいる。純粋な戦いにおいて、自分は彼女には敵わないという自覚が、利吉にはあった。……ただ、紅がこんな私怨丸出しの仕事を引き受けたことだけが、少し違和感を残すが。

しかしそう思った瞬間、キン、と甲高い音がして、利吉は顔を上げた。それは自分に向けて振り下ろされていた刀が、確かに弾かれた音だった。

「お前、裏切っ     

男の声が音になる前に、その喉に苦無が突き刺さった。次いで、目の前を過ぎる影。次の瞬間には、もう一人の喉元も刀で掻っ切られていた。吹き出した血が利吉の服にも降り注ぐ。
倒れた男二人の死体の向こうで、血飛沫ひとつ纏わない紅が、刀を血振りした。彼女が腰に小太刀を差していたことに、利吉はその時ようやく気付いた。

助けられた。
状況を飲み込む前に、そう頭が認識した。振り返った紅は、暗闇とマスクで表情も目の色も読み取れない。
何も言わずに男達を越えて近づいてきた紅が、腹を押さえる利吉の片腕をとった。途端、傷に走る衝撃に顔を歪める。

「……っ離せ」
「その傷で、ひとりでどうしようと?」

ほとんど初めて、彼女の声を間近で聞いた。利吉の抵抗とも言えない抵抗を抑える様に、彼女はその腕に力を込める。と言ってもその動きは穏やかで、どこか怪我人に配慮するような動きにさえ見えた。戸惑う利吉の腕を己の肩にかけて体を支えながら、紅は「飛べ」と小さく言った。
脚に力を入れて、なんとか飛び上がる。行き先を紅に預けたまま、利吉は隣を見上げた。

「……どういう理由か知らないが、何故     」
「断れば警戒される。だから一度引き受けた」

彼女の言葉は、利吉の問いに対してあまりに短すぎる答えだった。痛みに耐える頭で、その意味を理解しようと脳を働かせる。

引き受けたというのは、今回の仕事を、だろうか。彼女の言う通り、利吉暗殺の仕事を断れば、彼女は奴らに警戒されただろう。忍の世界では、目的や内情を知った上で協力を拒めば、それは全て敵と見なされる。
つまり今回、彼女は警戒される訳にはいかなかったということか?……何故。
まさか、私を助けるために?

「……こういう経緯で死なれるのは困る」

思いがけず続いた彼女の言葉に、眉根を寄せた。何故ほとんど関わりもない彼女が、自分の命を助ける必要があるのか。
戦忍として幾人もの命を葬ってきたであろう彼女が、一度会っただけの同業者に同情を寄越すとも思えない。

「……他人とは関わらないやつだと、思っていたが」
「その評価で間違ってない」

答えの出ないまま、痛みで働かない頭を働かせる。淡々と答える彼女の声に感情はなく、その真意は読めない。
語らぬまま移動を続ける彼女に、ただ体を預けてついていく。しかし、その道がどうも見覚えのあるもののような気がして、利吉はまた眉を寄せた。
……この先は、もしかして。

「でも、」

そう思った時、口を開いた彼女の声に、初めて少し感情らしいものが乗った気がした。利吉が驚いて見上げると、彼女も利吉を見た。
至近距離であった目に、心配の色が伺える。……心配だと?

「そんな状態のあなたを放置して行けるほど、私は恩知らずではないのよ」
「……あなたは   ?」

言葉を続けるより先に紅が足を止め、瓦の感触が足の裏に伝わる。視線を前へと戻すと、そこには見知った建物が広がっていた。

「忍術学園……」

とん、と塀を飛び越えて、紅は迷いなく学園の中を進んでいく。教室棟を、忍たま長屋を越えて、そして教職員の長屋まで。
なぜ知っている?紅は学園の関係者か?そう思っているうちに、彼女は目的の場所まで辿り着いたようだ。そこは、利吉自身が一番よく知る部屋で。
明かりの消えた部屋の前に膝をつくと、彼女は小さく、室内に向けて声をかけた。


「山田先生。半助さん」

    半助さん。
その声を聞いて、漸く記憶の中から一人の記憶が呼び起こされた。目の前でそう呼んでいるところを見たわけじゃない。けれどその名を呼ぶ声に、聞き覚えがあった。
目を見開いて、目の前の彼女を見る。頭巾とマスクに殆どが覆い隠されたその顔に、いつもの薬箱を背負った見覚えのある人物が、重なった。
まさか、

「……柚子、さん?」

呟きに、ちらりと視線だけをよこした彼女。
その時僅かに襖が開き、隙間から寝着のままの土井先生が顔を覗かせた。
その目が紅に、そしてその隣の利吉に、そして傷へと注がれる。それと同時に彼の目から警戒心が消え去った。

「利吉くん……!?」
「怪我を」

短く答えた紅に頷いた土井先生が襖を開け、利吉を抱えた紅を中へと誘った。
奥にいた利吉の父   山田伝蔵も二人を見るとハッとして、そして紅からゆっくりと利吉を受け取ると、既に敷かれていた自分の布団へと利吉を横たえた。

「どうしたんだ一体……!」
「右の脇腹に苦無を一本受けました。つい四半刻ほど前です。深さは一寸程、おそらく内臓は無事です。毒はありません」

介抱する父の隣で、紅が必要な情報だけを淡々と語る。
その声は事務的ではあったが、利吉の父である伝蔵を落ち着かせようとする空気があった。血で張り付いた服が剥がされ、傷口が冷えた空気に晒される。熱を持つ傷が、少しだけ冷えた。
灯ったろうそくの火が部屋を薄暗く照らす。目を開けて振り向くと、土井先生と彼女の姿が狭い視界の端に見えた。

「……急に来てごめんなさい。他に宛が思いつかなくて」
「いや、最良の選択だ。事情を聞けるかい?」
「はい」

   柚子さんだ。
姿も声も雰囲気も、いつもの朗らかな彼女からは程遠い。
けれど柚子さんだった。紅ではない。

「山田先生、とにかく一度学園長先生のところに行ってきます。行きに新野先生を呼んできますので」
「ああ。頼む、半助」
「……すみません、土井先生」

迷惑をかけたこと、こんな時間に起こしてしまったこと。謝罪の理由などこの状況では山ほどあったが、自分が何に対して土井先生に謝りたいのか、利吉は全てを把握出来ないままそう言った。
そんな利吉に気付いてか気付かずか、寝着の上に上着を羽織った土井先生は一度だけこちらを見て微笑み、そして利吉の肩を優しく叩いた。

「柚子くん」

立ち上がった土井先生が、柚子さんと二人で部屋を出ていく。
その背中に、伝蔵が声をかけた。
振り向いたその姿は、やはり紅のもの。だが彼女は「柚子」と呼ばれて振り向き、そして父の言葉に静かに頷いた。

「恩に着る」





「父上、柚子さんは……」

閉じた襖をぼんやりと見たまま、利吉はそこで言葉を切る。
その先を何と聞けばいいのか、掴みかねていた。事実として目の前に突きつけられはしたものの、まだ彼女と紅が脳内でうまく結びつかない。
それほど利吉の中で、二人は対極にある存在だった。
少しの間の後、伝蔵は小さく、呟くように言った。

「あの子は忍だ」

忍。
言葉にされると、じくじくとその実感が湧き上がってくる。

「もちろん、薬師でもある。だが事情があって、本名を伏せて忍者の仕事をしとる。時には学園長の忍務もな。……知っておるのは学園でも一部の教員だけだ。お前も他言は無用だぞ」

厳しい目でそういう父の言葉に、事情の深さを垣間見た気がした。
忍者が素性を隠す理由など、そう多くはない。
つまり正体が知れると、彼女に危険が及ぶ可能性が高くなるということか。或いは、その危険に他人をも巻き込むものなのか。

彼女が土井先生と出会う前のことを、利吉は何も知らない。
それを利吉が知ることを、本人は勿論、土井先生も父も望みはしないのだろう。
今の利吉にとっては、父が、土井先生が、そして学園長が彼女を信頼していること。それで十分だった。

「正体を明かしてまで、あの娘はお前を助けてくれた。……大きな恩が出来たな。感謝しろよ」

そう言われてようやく、利吉は彼女に礼も謝罪もしていないことを思い出した。
状況を言い訳にはしたくないが、驚きばかりが先行して、感謝なぞまるで思い至りもしなかった自分の余裕のなさを後悔する。
元を辿って考えれば、紅が要人監察などという至って彼女らしくない仕事を引き受けたのだって、利吉に迫る危険を察知したからなのかもしれない。

次に会った時には必ず礼を伝えなければと、そう思いながら、利吉は父の言葉に頷いた。





===20181006