002


クリスマス休暇に入る2日前、アリアは嘴が窓を突くコツン、コツン、という音で目を覚ました。
ぼやけた視界に忌まわしい赤色が映って、毎朝のことながら眉を寄せる。
再び頭の上でコツンと音がして、アリアは起き上がって窓へ視線を向けた。上り始めた太陽の光が目に眩しくて、右手を上げて影をつくる。
ガラスの向こう側にいたのは、見慣れた茶色のワシミミズクだった。
慌てて窓を開け、来訪者を部屋の中へと招き入れる。彼は艶のある美しい翼を震わせてアリアの腕にとまり、嘴でアリアの指を甘噛みした後、手紙が括られた片足を差し出した。

「……ありがとう」

丸められた羊皮紙を外して翼を撫でてやると、彼はホー、と気持ちよさそうに鳴いた。腕から肩に移動して一度その身をアリアの頬に寄せると、ワシミミズクは窓から朝霧の中へ飛び立った。
その姿が見えなくなるまで見送って、アリアは窓を閉めた。右手に握ったままだった羊皮紙を広げて、そこに書いてあった短い文章に目を通す。見慣れた、くせのない文字が紙の真ん中にまっすぐ走っている。
アリアはその文章を2度繰り返し読んで、小さく微笑んだ。そして、その紙屑のような羊皮紙を半分に折り曲げて、ベッドサイドのテーブルに置いたバッグの内ポケットに丁寧にそれを滑り込ませた。






夕食の時間、アリアは大広間ではなく城の外にいた。外へ出た瞬間、冷たい空気が肌を刺して両手で頬を覆う。
クィディッチ競技場へ続く道の途中で、アリアはその後ろ姿を見つけた。足音に気付いた彼が振り返ってこちらを見止め、浅く腰掛けていた石塀から腰を浮かせる。
走ってくるアリアを見て、彼の口元が少し緩む。

「やあ」
「こんばんは」

思いの外他人行儀な挨拶が口から零れて、2人してにやりと口角を上げる。アリアが低い石塀に座ると、隣でドラコが先程と同じように石塀に凭れた。
石塀が思いの外冷たくて、アリアは太ももの下にローブの裾を滑り込ませた。

「久しぶりに声を聞いた気がするな」
「一昨日の魔法薬学が一緒だったでしょう?」

アリアは肩を竦めて笑った。確かに一昨日、アリアは魔法薬学でスネイプの質問に答えたのだ。当然彼もその場にいたのに、ため息交じりに呟かれたその言葉はまるで随分長い時間会っていなかったとでも言うような声だ。
冷たい風が正面から吹いて、アリアは肩を竦めて腕を組んだ。やっぱりマフラーを持ってくるべきだったかな、そう考えた瞬間、首に暖かいものが巻かれて視線を隣に向ける。


マフラーが取られ、纏うものの無くなったドラコの首筋が思いの外近くにあった。反射的に体が反対側へ逃げてしまって、アリアは視線を下げる。彼が自分の首に巻いてくれた緑色を見下ろして、アリアはその裾をきゅっと握った。

「マフラーぐらい持ってくると思ってたんだけどな」
「……赤色は嫌いなのよ」
「去年のクリスマスに僕が贈ったやつがある。そっちをすればいいだろ?」
「だって、学校でするなんて何だか勿体なくって」
「それじゃ買ってやった意味がない」

金の獅子が刺繍された寮指定のマフラーを、アリアは一度も首に巻いたことがなかった。それどころか、彼女はグリフィンドールの赤いネクタイでさえ、授業以外では外していることが多い。
この寒い中マフラーも、ネクタイさえなしで現れた彼女の首に自分のマフラーを丁寧に巻き終えて、彼は呆れた調子で肩を竦める。アリアは彼の手が離れると、緑色のマフラーに半分ほど顔を隠してありがとうと笑った。

「手紙を送った」
「ええ、受け取ったわ。だからここに来たのよ」

空腹に耐えながらね、とアリアが悪戯っぽく笑う。
背後の城では、他の生徒たちが暖かい大広間で温かい夕食を胃袋に収めている頃だろう。だからと言って、一刻も早く城に帰りたいなどとは欠片も思っていない。寧ろ、寒いけれど居心地の良いここにずっと居たいと思ってしまう。
彼の手がアリアの手の甲を覆った。アリアも応える様に掌を上に向けて、彼の手を握る。

生まれてからずっと、2人にはこの距離が当然だった。不変で、永遠なのだと思っていた。けれど今、城の中ではこんな風に並んで話すことも出来ない。4年前に起こった大きな間違いと、深い因縁が、それを許さない。

「アリア、今年のクリスマス休暇もうちに来るだろう?」
「……でも迷惑をかけるわ」
「父上から手紙が来た。必ず君を連れて帰れと」

イエスと答えなかったアリアの手を、彼が強く握る。躊躇うような視線を上げると、彼がアリアの頭をポンと叩いた。冷たい手が、アリアの髪を滑って毛先へと降りていく。アリアはその手を掴まえて、握った。

「父上に言われなくても、連れて帰るつもりだったけどな」
「あなたって、小さい頃から全然変わってないわ。いつもそうやって勝手に決めちゃうのよ」

あたりまえのように言う彼を冗談めかして睨む。軽口は叩けど、彼の口から「連れて帰る」と言われれば、これほど嬉しいことはない。

「ありがとう、ドラコ」

そう言うと、彼は安心したように表情を緩めた。きれいなプラチナブロンドが、冷たい風に揺れる。

「じゃ、来るんだな?」
「ええ、行くわ」
「よかった」

ふ、と吐き出した彼の息が白く染まって、風に運ばれて消えていく。
空はすでに暗く、夕食の時間ももうほんの少ししか残っていない。握っていた手がゆっくり離れ、どちらともなく城に向かって並んで歩きだした。

「明後日はキングズ・クロスで待っていればいい?」
「別に、僕と一緒にコンパートメントに乗ればいいんだ。クラップとゴイルなんて追い出せば……」
「それは駄目よ」

少し不機嫌にそう言ったドラコを苦笑いで窘めて、アリアは首に巻かれた暖かいマフラーに手を伸ばした。
彼の匂いを残すマフラーはとても暖かい。名残惜しいとばかりにその緑色に一度顔を埋めて、アリアは結び目を解いた。温められた首元が、冷たい風で一気に冷やされた。
外したマフラーをドラコの首にかけて、アリアは「ありがとう」と笑う。ドラコは黙ってそれを受け取った。

「それじゃ……また明後日ね」
「……ああ」

その場を動こうとしないドラコに背を向けて、アリアは歩き出す。背中に彼の視線を感じ、振り返りたい衝動に駆られながらも、城内であるという事実がその気持ちを抑えた。慣れた道を通ってグリフィンドール寮に向かいながら、アリアは小さく息を吐く。
また明後日。そう言えるだけでも幸福だ。
寮へ帰ったら、早速荷造りをしなくては。そう思ってから、アリアは昨日の時点で既に、持ち物をほとんどトランクに片付けてしまっていることを思い出した。
ドラコへ言った言葉とは裏腹に、心はホグワーツを離れられる嬉しさでいっぱいだった。






グリフィンドールの談話室は、休暇前の浮かれた生徒たちでごった返していた。アリアは雑音を振り払うように足早に歩く。騒がしいほど賑やかな談話室の暖かさも、アリアにとっては騒音でしかない。休暇前最後の友人との会話に夢中になっている1年生を避けて、アリアは談話室を一直線に横切って女子寮へと向かった。

「あら……アリア!」

階段の1段目に足をかけたとき、背後から自分を呼び止める聞きなれた声がして、アリアは顔を顰めて振り返った。

「夕食のときどこへ行っていたの?わたし、あなたを探していたの」
「……何の用?」

暖炉前のソファから立ち上がって駆けてくるグレンジャーの姿を睨みながら、アリアは低い声でそう言った。けれどグレンジャーは怯むこともなく笑顔で肩にかけた鞄を開ける。その様子に、アリアは隠そうともせず大きくため息をついた。
彼女のこの、いくら言っても変化の見られない態度は何なんだろう。いい加減こっちが煩わしく思っていることに気付いてくれたらいいのに。そう思っていると、彼女は鞄から一冊の本を取り出した。

「あなたに教えてあげようと思って」

取り出した本を差し出しながら、親しい友人と世間話でもするような声でグレンジャーが言った。本に視線を落とすと、表紙には見慣れた表題、その横に「U」と書かれた文字が目に入る。アリアは眉を寄せた。

「ほら、この本!第一巻を持っていたでしょう?著者が新刊を出したから、あなたに教えてあげようと思って……」
「要件はそれだけ?」
「え?ええ、そうよ」
「……何度言えば分ってもらえるのかしら、グレンジャー」

今度こそ頭を抱えるように項垂れて、ため息をつく。アリアは視線を本からグレンジャー自身へ移して、そしてゆっくり口を開いた。

「要らないお節介を焼かないで。私、あなたとは極力話したくないの。何故かは散々説明したわよね?」
「…っアリア……」
「解ったら、二度とこんなくだらない事で話しかけないで」

厳しい声でそう言い放って、アリアは女子寮への階段を登ろうと踵を返した。
けれど今度は、別の低い声がアリアを呼び止めた。

「態度をわきまえろよ、ラジアルト」

その声に再び振り返ると、暖炉前のソファから立ち上がってこちらを睨んでいるウィーズリーが目に映った。すぐ傍には、座ったままのポッターの姿。彼も同じように鋭い目だ。
その姿を見て、アリアは更に眉間にしわを寄せた。先程までのささやかな幸せをぶち壊すには、十分すぎるキャストだ。

「彼女は監督生だぞ。これ以上ハーマイオニーに失礼なこと言ったら僕が君を減点してやる」
「どうぞお好きに、ウィーズリー監督生様」

ウィーズリーの言葉に、アリアは余裕の表情で微笑んで両手を広げた。さあどうぞ、と言わんばかりのアリアに、ウィーズリーが一瞬言葉を詰まらせる。無言のままこちらを睨むポッターとウィーズリーを交互に見て、アリアは吐き捨てるように笑った。

「グリフィンドールの点がいくら減ろうが興味がないわ。気に食わないなら、好きなだけ減点すればいい」

3人を睨みつけて、アリアはきっぱりとそう言った。ピリッと、鋭い空気が一瞬談話室を走る。
今度こそ踵を返して階段を登るアリアの背中に、ウィーズリーの呟きがしっかりと届いた。

「嫌な奴」

こちらに聞こえるように呟かれたその言葉を、右から左へと受け流す。グリフィンドールの誰にそう思われようと、ホグワーツの誰にそう言われようと、今更そんなことはどうでもよかった。
アリアは5年生と書かれたドアに手をかけ、目を閉じる。ついさっき握っていた冷たい手。人の体温に触れたのはきっと、今年の夏、彼の手を離して以来。

アリアは少しだけ頬を緩めた。気持ちは既に明日を飛び越え、ロンドンへと向かっている。
私は、私が愛する人達さえ微笑んでくれていれば、それでいい。それだけで、私の世界は続いていくのだから。





===20110817