Prologue

わたしは、ぬいろ星からあの星を観察している。
透明な望遠鏡のレンズを通して、光の粒のひとつひとつが、夢みたいに眩しくて、少しだけ痛い。

あなたの名前は、☓☓☓。
あの星に生まれ、あの星で生き、あの星で誰かを愛した人。
その軌跡は、テレビの画面越しに、スクリーンの奥に、言葉の端々に、散りばめられている。
そして、わたしの胸の奥にも。

わたしは、あなたのことが好きだ。

そんなひと言を言えるだけで済むなら、どれだけ楽だっただろう。
けれど、この好きは——。言ってしまえば崩れてしまう類のものだった。
言葉にしないことで保っていた距離。
物語にすることでしか近づけなかった距離。
それを壊した瞬間、夢が醒めてしまうと知っていた。

だからわたしは書く。
あなたに触れる『夢小説』を。
誰にも読まれなくてもいい。あなたに届かなくてもいい。
その夢の中では、わたしはあなたのそばにいるから。

──それは決して届かない場所にある恋だった。
けれど、だからこそ、わたしは「物語」として、それを生きようとした。

✦

わたしの名前は、nilo.
この星の誰にも知られず、ただ記録する者。物語を紡ぐ者。
夢を通して、叶わぬ想いを昇華する者。

☓☓☓。

あなたは一人、佇んでいた、その綺麗な横顔はまるで古いフィルムの一コマみたいに、影が光に縁取られて、そこだけ切り取られたように美しかった。

あの星のどこかで生み出された、天才。

あの星ではそう呼ばれていたけれど、わたしが見ているあなたは、ずっと、ずっと人間で。

そう、脆くて、優しくて、面倒くさくて、だからこそ愛しくて。
わたしはあなたのリアリティに恋をしたのだ。
この世界に存在している重みを、あなたはちゃんと背負っていた。

けれど、それでも届かない。
舞台の上で、スクリーンの中で、わたしを見ずに語りかけるその声に、何度心を撫でられたかしれないのに。
それはあくまで、演技だった。嘘だ。
でも、だからこそ、わたしは信じたかった。

だけど、わたしはそれを知っていて、なお紡ぐ。

あるときは、ロケハンを繰り返しリアリティを追求する。
あるときは、心の風景を何度も歩き空想に思いを馳せる。

少しずつ積み重なったものは小さなジオラマで。わたしはそれを少しだけ覗き込んでは、ここにいた証を確認する。

✦


「あなたのロマンは、何でしょう?」


 そんな問いをぶつけてみたくなる。
 わたしのロマンは——叶わない恋を抱きしめること。
 狂おしいほどに、あなたを思って、それでも「好き」と言わないこと。
 夢中になって書くことでしか、あなたに触れられないこの現実を、どうしようもなく愛している。

「わたしのロマンは、何でしょう?」


 ページをめくりながら、自分自身にも問いかける。
 わたしが書く夢小説のあなたは、いつもどこか少しだけ本物じゃない。
 なぞっているようで、なぞりきれない。
 本物を真似て、本物になれない。
 その偽物っぽさが、まるでわたし自身みたいで、痛い。

けれど、たまにある。
まるで、あなたがわたしの脳内に入り込んで喋ってくれているような瞬間。
わたしが書いているのに、わたしじゃない誰かが喋っているみたいな、あの奇跡の時間。
それこそが「ロマン」なのかもしれない。
マゾヒスティックな感覚で、文字を絞り出していくわたしの指先を、あなたの存在が導いてくれる。


 現実にはいないあなたを、夢の中で生かし続ける。
 それは、叶わない恋のようで。
 それは、取りこぼしたものへの未練のようで。
 それは、甘く漏れいずるため息のようで。
 それは、心をかき乱す嵐のようで。
 それは、傷痕をくすぐる息吹のようで。



わたしは知っている。
これは恋なんかじゃない。
恋だと勘違いしたいだけの、ただの崇拝かもしれない。
でも、それでも、わたしの中の「好き」は嘘じゃなかった。

物語という名の棺に、わたしはそっとあなたを横たえる。
物語の中だけで生きるあなたは、誰よりもわたしに優しい。
わたしを好きになってくれる、わたしだけを見てくれる、そんなぬいろ星の中で、わたしはようやく呼吸ができる。

フィクションの中でしか会えない人。
ノンフィクションにした瞬間、すべてが壊れる人。
それでも、わたしの心のどこかには、あなたが棲んでいる。

✦

だからわたしは、書き続ける。
この星に降り立つことなく、ぬいろ星の軌道上から、
彼の物語を、わたしの言葉で再構築しながら。
触れられない距離で愛することを、選びながら。


──貴方のロマンは、なんですか?
わたしのロマンは、貴方の中で生き続ける「私」の幻影です。

そして、わたしはそれを一度も後悔したことがない。


✦

ようこそ、ぬいろ星へ。


 貴方は何番目の探索者でしょう?
 貴方の名前は何でしょう?
 貴方のロマンは何でしょう?


この小さな星の小さな宇宙漂流者が紡ぐ
予測不能な物語をどうか愛してください。


nilo.



Inspiration 『ロマン』- 黒木渚