ネオンに溶ける



もう、最悪だ。何が最悪かってこの場がだ。行きたくもない取引先との親睦会(とは名ばかりで、実質ただの飲み会である)に酒が強い若い女という理由だけで駆り出され、したくもない接待を強いられ注がれた酒を多量に飲まされた。幸いにもアルコールには滅法強く、酔うことはないのだがおかげで毎度介抱をさせられるこっちの身にもなってほしい。あろうことか「後は若いお二人で!」などとふざけた事を宣う重役のせいで、同じく嫌々連れてこられたであろうあちらの会社の若い男と二人で取り残されてしまった。互いの会社のお偉いさんはタクシーで帰って行ったので、こちらもさっさと帰りたかったのだが、残された男は「じゃあ、次行きますか?」と問いかけてきた。愚直なのか何なのか。これが取引先でなければすぐ断るところなのだが、生憎そうもいかない。半ば投げやりな気持ちで男が勧めるこぢんまりしたバーにやってきた。

「お酒お強いんですね」
「はあ、まあ」
「じゃあ僕が頼むもの決めてもいいですか?」
「なんでもどうぞ…」

私の返答を聞くとすぐ、メニューを指さして注文をしているらしい。何を頼んでいるのかは分からないが、この際飲み物なんてどうでもいい。疲れたし早く帰りたい、花金だというのになぜ仕事上の付き合いをしなければならないのか。とてもじゃないが笑顔を作れなかった私の前に置かれたのは、赤茶色のカクテルだった。お酒は質より量なタイプなので、自分では頼まない部類のものだ。口をつけてみると、ほんのり甘みのある飲みやすいものだった。よく見る逆三角のグラスに少量半量ほど注がれたそれは、あっという間に私の中に収まってしまった。隣の男は細長い筒状のグラスに注がれたカクテルをゆっくり飲んでいるので、次はどうしようかと思案していると視線が絡まった。次も僕が、と選ばれたカクテルは白色をしていて、そこの部分に黄色が沈んでいる。このまま飲んでいいのだろうか、と思いつつ口に含むとこちらも美味しいものだった。今度はすぐに飲み干すまいと大事に飲んでいたら、隣にいた男はお手洗いへと席を立った。男を目線で見送り正面にいたバーテンダーをちらりと見ると、困ったような顔で何か言いたげであった。


「おい、お前」
「はい?」
「それがどういう意味かわかっているのか?」

突然隣に腰かけて声をかけてきたニット帽の男。この状況も、問われた言葉も待ったく身に覚えがないが、この男も酔っぱらっているのだろうか。対応に困り先ほどのバーテンダーに頼ろうと目線を前に向けたが、そこに探していた人物はいなかった。

「あの、何のことでしょう?」
「不用心にも程があるな」
「全く見当もつかないのですが…」

鋭い視線で問う彼は酔っているようには到底見えず、思わず上半身を後ろに引いてしまう。そんなこと言われても本当に身に覚えがないのだ。家の鍵でもかけ忘れたか?と思うが、おそらく見当違いだろう。彼は私が手にしていた白色のカクテルを優しく奪い取り、そっと手元から遠ざけた。

「あ」
「あの男と居ても碌な事が起こらないぞ」

そう言った彼は私の手を取り立ち上がらせ、実にスマートに取引先の男と私の会計を済ませて店外へ連れ出した。されるがまま外に出てしまい、訳も分からないまま元凶の男を見上げると、連れ出すに至った理由を説明してくれた。

「まずお前と相手は親密な間柄ではないな、知り合ってすぐ位だと見た」
「はい、おっしゃる通りです」
「次にあの男がお前に頼んだカクテルはどちらもレディーキラーカクテルと呼ばれるものだ」
「レディーキラーですか?」
「飲みやすい割に度数が高いんだ。邪な思考の男が頼むことが多い」
「なるほど…」

傍から見ても自分の態度はぞんざいなものだったのだと小さく反省をしつつ、確かにどちらも飲みやすいものだったなと思い返す。バーテンダーが困った顔をしていたのもこれが原因だったのかと心の中で手を打った。「それにな、」と少しかがんで耳に口を近づけ、囁くように彼は続けた。

「一杯目のカクテルはKiss in the Dark、二杯目はBetween the Sheets……お嬢さんにこの意味が分かるかな?」

どきりと心臓が跳ねた。カクテルに疎い上に碌に注文内容も聞いておらず、まさかそんなメッセージを送られていたとは…ということもそうなのだが、すっかり耳元で囁く彼の色気にあてられてしまった。長身で整った顔立ちの彼は、「分からないのなら教えてやろうか?」と薄く笑いながら続けた。今日は花金だ。取引先のつまらない男より、目の前にいる正体の分からないこの男に身を委ねよう。小さく頷くと彼は満足そうにもう一度笑い、腰に手を回して歩き出した。
二人の後ろ姿は喧騒の中で煌めくネオンの向こう側に溶けてなくなった。







.back