スターダストライド



今日は金曜日の仕事終わり。所謂花金だ。歓送迎会のシーズンは終われど会社の飲み会は定期的に開催されている。そして、先日「明日予定ある?無いよね?飲み会行くよね?」という先輩からの有無を言わさせない誘いによって、私の終業後の予定もちゃっかり抑えられてしまった。以前先輩に誘われた飲み会にうっかり参加してしまったのが始まりで、それから何かと声をかけられるようになってしまったのだ。顔が広いらしい先輩が主催する会に参加する人は本当に多種多様で、毎回違う人がいるので驚いてしまう。飲み会自体は嫌いではないので誘われたら大体参加をしていたのだが、お陰で無駄に顔が広くなってしまった。

本日の私は二つ重大ミッションがある。一つ、飲み会を一次会で抜けること。二つ、好きなアーティストが二十二時からの音楽番組に出演するのをリアルタイムで観ること。今日は新曲の初披露日なので、どうしてもリアルタイムで観たい。それはファンとしての責務だろう。一次会後にぽやっとしていると二次会に引っ張られていくことは間違い無いので、今日の私は対策を立ててきた。好きなアーティストのためなら抜かりなどないのだ。


「え、名字さん車できたの?」
「そうです、今日はこの後どうしても外せない用事があるので!」

そう、車で来たのだ。お酒を飲まなければあれよあれよという間に二次会に連れて行かれることも防げるだろうし、何より電車を待つ無駄な時間を過ごさなくていい。
呆れるような顔で隣でビールを飲んでいる二口さんは、ほぼ初めましてだ。何度か飲み会で一緒になったことはあるが、いかんせんお顔が良いタイプの人間なので、大抵その隣にはあわよくばという女性が陣取っているのだ。その中に割って入ろうとも思わない私は、なんだかんだで二口さんとは話したことがなかった。

今日は割と早く仕事が片付き、予約されていた店へは集合時間より少し前に到着した。先に来ていた数人は話したことがなく、どこに座ろうかと周りをきょろきょろ見渡していると「ここ、座れば?」と声を掛けてくれたのが二口さんだった。渡りに船とは正にこのことで、ありがたくお隣に座る運びとなったのだ。程なくして大体の参加者が集まり、最初の注文が終わった頃に、アルコールを頼まなかった私に不思議そうな顔で「今日はビールじゃねえの?」と聞いてきた返答が先ほどの会話に繋がっていると言うわけだ。

「ふーん。何、彼氏でも待ってんの?」
「いえ、そういうわけではないんですけど…」
「やけに歯切れ悪いじゃん。言えないような用事なわけ?」

なんだか意地の悪い顔をしながら探るように問い掛けてくるのは興味本位なのだろうか。いつも涼しい顔で女性からの猛アプローチを交わしているので、到底色恋沙汰に興味があるとは思わなかったが、意外な一面もあるものだ。

「…観たいテレビがありまして」
「へー。なんだ彼氏じゃねーのか」

突然興味を失くしたのか、二口さんはテーブルの上に並べられた料理をつつきながら本当につまらなさそうに言った。ご期待に沿えず申し訳ございませんと心の中で独り言ちた。
すっかり私への興味を失くした二口さんは、いつも通り盛り上がりそうな席に移動するかと思いきや、飲み会が終わるまで同じ席に座ったままだった。結局終始当たり障りのない会話しかできず、お酒も飲まない上に気の利いた会話ができない女が隣に座ってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

飲み会がお開きとなり、幹事の先輩が予想通り二次会の参加者を募り始めた頃、二口さんが私の服の袖をツンと引っ張り、「なあ、ついでに帰り乗せてくれねえ?結構雨降ってきたみたいだし」と小声で聞いてきた。時刻は二十一時過ぎ、二口さんの自宅がどこかは知らないけれど、まあ恐らく間に合うであろうと踏んでその依頼を了承した。お店から外に出ると、先ほど聞いた通り結構雨が降っていた。生憎傘は持っておらず、傘を売ってそうなお店も近くにはないので車まで走るしかない。ちらりと隣を見ると、二口さんも小声で「傘持って来ればよかった」と呟いていたので、これは私が人柱になるしかないだろう。二口さんには濡れないところで待っていてもらい車を取りに行ってくると伝えると、物凄く怖い顔で「は?」と言われた。そうは言っても一人濡れるか二人濡れるかの違いなので、濡れる人数は少ない方がいいだろう。押し問答の末、結局二人で車に走ることとなり、駐車場に着くころには二人とも結構濡れてしまった。濡れた服をハンドタオルで申し訳程度に拭きながら、屋根がある駐車場を選んでいてよかったと思う。

「座席濡らして悪いな」
「いえ、そのうち乾くので大丈夫です」
「思ってたより適当なとこあんだな」

そう言ってシートベルトを締めた二口さんは、また少し意地悪そうに笑った。エンジンを掛けると、カーナビの起動音と共に生温い風が吹き出し口から吐き出された。ただでさえ湿気でムシムシとした車内に熱がこもっていく。精算機に向かて緩く走り出すと、助手席のサンバイザーの内側についている鏡を眺めて前髪を直している二口さんが口を開いた。

「俺の家の住所、カーナビに入れた方がいい?」
「あ、じゃあお願いします」

精算しているタイミングで素早く住所を打ち込んだ二口さんは、「あ、これ携帯と繋がってんの」と言った。何やら楽しそうにカーナビを弄り始めたのを横目に、私は腕を伸ばして精算機にお金を入れる。出口のバーが開いて出発した頃に車内のスピーカーから音楽が流れだした。

「え、ちょっと!」
「まあいいじゃん。へー、名字さんこういう曲聞くんだ」
「恥ずかしいんでやめてもらえます?」
「別に減るもんじゃないしいいだろ、ほら運転に集中しな。あ、そこ右」

私のスマートフォンがカーナビと繋がっているのをいいことに、その中に入れている音楽達が二口さんによって覗き見られている。自分の趣味嗜好がこのような形で晒されるとは、こんなに恥ずかしいことはない。それにさっきから楽しそうに覗き見を続けているせいで、碌に地図も見られない。そのため結局二口さんによって口頭でナビされている状況だ。もはやカーナビは音楽を鳴らす機械となり果てた。

「お、この曲知ってる」

楽しそうに言った二口さんはカーナビを操作する手を止め、曲に合わせて小さく歌いだした。それがなんだか可愛らしくて、こういう一面もあるのだと意外だった。きっと二口さんを狙っている女性達はこういう一面も知っているのだろう。なるほど納得のモテ具合だ。

その後もちょこちょこ曲を探して変えては口ずさんでということを繰り返されていたおかげでナビはすっかり二口さんの仕事となっていた。口頭ナビに従いつつ車を走らせていると、自宅とは随分と離れた方向に来ていることに気が付く。時計をちらりと見ると、二十一時半を少し過ぎたところだった。

「名字さんの用事、二十二時からの音楽番組?」
「なんで知ってるんですか」
「そりゃあこれだけ曲も入ってるし、名字さんが去年の夏のツアーグッズのポーチ持ってるところ見たことあるし。俺もその人たち好きなんだよね」
「早く言ってくださいよ、そういうの」
「まあいいだろ。ちなみに言っとくと、俺の家から帰ると時間に間に合わないと思うけど」
「…そんなに遠いんですか」
「それにカーナビのテレビも調子悪いみたいだし」

二口さんの自宅の場所を知らない私は、うっかり安請け合いをしてしまったことを後悔した。二口さんの言う通り、数日前からカーナビのテレビは電波の調子が悪くて碌にみられる状態ではない。こんなに万全の容易で臨んだのにも関わらずリアルタイム視聴ができないなんて。せめて車のテレビは直しておくべきだった。後悔先に立たず、すっかり悲しくなっている私をちらりと見て二口さんは続けた。

「俺ん家、でかいテレビあるけど?」
「うう…でも流石にお邪魔するわけには…」
「服も濡れてるし、風邪ひかれるとこっちも後味悪いからシャワーと着替えも貸す」
「そこまでお気遣いいただかなくても」
「新曲のリアタイできなくていいわけ?」
「……お邪魔します」
「あいよー」


二口さんの自宅に着いて早々、濡れたままソファに座られるのが嫌だからという理由で有無を言わさず浴室に放り込まれる。自分は人の車に濡れたまま乗ったくせにという恨言は素知らぬ顔で聞き流されてしまった。大人しくシャワーを浴び、とりあえずと借りたTシャツに着替える。それは結構大きく、そう言えば二口さんは身長も高かったなあとぼんやり思った。
そしてそろそろ番組が始まるという頃。私の後にシャワーに向かった二口さんは、戻ってきて早々「まあ、テレビ観てる余裕があれば観れば?」と言ってテレビの前で待機していた私の顔を横に向け、半ば強引に口付けを落とした。

「…え、」
「お前無防備すぎるだろ。普通男の家なんて上がらねえよ」
「そういうつもりじゃないですし」
「にしても危機感薄すぎ。勧められたとは言えシャワーまで浴びるとか、いつか襲われちまうぞ」

そう言って先ほどよりも深く口付けをしてきた二口さんは、小さな声で「まあ、もう遅いんだけど」と零す。その意地悪そうな顔を見て、今日の私は判断を間違ってばかりだと後悔した。

「でも、本当に嫌って言うならやめる」

ほんの少し残った理性だろうか、少し真面目な顔をした二口さんは真っ直ぐこちらを見て言った。見つめられてしまった私が何も言えずにいると、「好きなやつに嫌われたくねえしな」とわざとらしく笑いながら続けた。

この時私は気付いていなかったのだ。飲み会で二口さんが話しかけてきた時、"今日も"と言っていたこと。ツアーグッズのポーチを持っているのを知っていたこと。その理由は突然知ることとなった。

「ずっと、名字さんばっかり目で追ってたの、気付いてなかった?」
「…そういうのずるくないですか」
「なにそれ、オッケーってこと?」
「…知りません」

なんだかんだ言いつつ根っからの悪い人ではなかった二口さんは、私と並んでテレビに向かった。隣り合っている側の手を繋いで、「終わったら覚悟しとけよ」と言われたせいで全く集中できなかったお詫びは今度きっちりしてもらおうと誓った。








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