幕を閉じたステラ・メモリア



大学からほど近くにケーキが美味しいカフェができたとの噂を耳にした。甘いもの好きとしては勿論気になるところだが、生憎付き合ってくれる彼女もいないし男友達を誘うのにも気が引ける。まあ、カフェだから一人で行っても全然不自然じゃないし、と心の中で誰に向けるのでもなく言い訳を一つして比較的空いていそうな時間帯を選んで向かったまではよかった。到着して窓ガラスから店内の様子を伺うと、若い女性が大半でとても自分一人では入るのを躊躇うような雰囲気であった。折角来てみたものの、ここに一人で入る勇気もなくため息を一つ零して帰ろうとした矢先、背後から「月島君?」と声を掛けられた。振り返るとたまに講義で一緒になる同級生の姿があった。

「…名字さん」
「こんなとこで会うなんて偶然だね、ここのカフェ入るの?ケーキが美味しいって有名なんだよね!」

店内の様子をコソコソ伺う様子を見られてしまったと思い、心臓がどきりと跳ねた。まさか大学生にもなって食の趣味嗜好で揶揄われるようなことはないとは思うが、やはり気恥ずかしいのは変わらない。ましてや女性に会ってしまったなら良い話のタネ扱いをされてしまってもおかしくない。背筋に一筋の冷たい汗が流れるのが分かった。

「話題になってたからちょっと覗いてただけで、別に入るつもりはないよ」
「え、結構長い時間覗いてたから入るんだと思ってたのになあ」
「…いつから見てたの」
「月島君がカフェの前に着いたところから見てたよ」
「隠れて見てるなんてホント悪趣味…」

ああ、終わった。明日から『あんなに大きいのに食べ物の好みは女の子みたいで面白いよね』なんて噂が流れてしまうのだろう。さようなら僕の平穏なキャンパスライフ。

「まあまあ細かいことは気にしない!それより私今からこのカフェ入るんだけど、時間あるなら付き合ってくれない?」
「ハァ…」

ぐい、と腕を引っ張られて強引に店内に連れられる。受付しに来た店員から来店人数を問われ、空いている方の手でピースサインをしながら二人です!と伝えている。僕まだ返事してないのに。見た目は可愛くて大人しそうな子なのに、意外な一面もあるものだと思う。名字さんとは数回会話を交わしたことがある程度で、特別親しい仲ではない。だからまさか可愛らしい内装のカフェで机を挟んで向かい合わせに座る日が来るとは思っていなかった。

「で、なんで僕まで連れてきたの。一人で入ればよかったデショ」
「一人より二人の方が楽しそうじゃない。それに、あわよくば月島君が頼んだケーキ、一口貰えないかなって思って」

ニコニコと屈託のない笑顔で笑う名字さんは、折角来たんだし、どうせなら何種類か食べてみたいなーって思ったんだと続けた。なんというか、パーソナルスペースが特別狭い人なのだろうが、もし僕が潔癖症とかで分け合いっこするの嫌がるタイプだったらどうするつもりだったのだろうか。変に能天気なところがかつてのチームメイトの一人と少し重なった。まあ、折角来たのだから頼みたいものを頼もう。

「ねえねえどれ頼む?さっき入り口のショーケースにあったいちごのケーキ美味しそうだったなあ」
「僕そのケーキ頼むって決めてる、ドリンクセットで紅茶もつける」
「ええ、決めるの早い…月島君がそのケーキ頼むならこっちのケーキにしようかな」
「さっきから思ってたんだけど、僕が頼んだケーキ分けるの前提で話し進めるのやめてくれない?」

一瞬大きな目を丸くした後、眉を下げて少し首を傾げた名字さんは「…だめ?」と控えめに聞いてきた。これが俗にいうあざといってやつねと思いながらも、正直な心臓は鼓動を速めてしまう。急速に脳に血液を送ろうとするのやめてほしい。まんまと彼女の術中に嵌ってしまったようで悔しいが、「別にいいけど」と答えるのが精一杯だった。目の前の小悪魔はまたニコニコとしながら私のも食べてね!と言っている。全くずるい女だと思う。

その後運ばれてきたケーキは彼女のリクエスト通り分け合い、どっちのケーキも美味しいねとご満悦の様子だった。本当に幸せそうな顔で食べているので思わず見つめてしまうと、「…あんまり見ないで」と頬を赤く染めた。本当に、ずるい女だと思う。

「今日食べれなかったケーキも食べたかったなあ…」
「また来ればいいんじゃないの?」
「え、また付き合ってくれるの?嬉しい!」
「待ってそんなこと一言も言ってないし」
「まあまあいいじゃないですか、はい連絡先教えてくださーい」

紅茶も飲み終わった頃、不意に呟かれた言葉から半ば強引に連絡先を交換させられ、この日以降ちょこちょこ一緒に出掛ける仲となったのであった。



『月島サン、実はいいブツ仕入れたんスよ』

あれから数か月が経ち、カフェやら買い物やら飲みにやら一緒に行くようになったけれども、つかず離れずの関係となった名字さんから妙に物騒な連絡が入った。まあ彼女のことだからどうせ大したものじゃないのだろう。

『一体何買ったの』
『それは当日までのお楽しみです。次の土曜、夕方頃に下記記載の住所までお越しください。ドレスコードの指定はありませんが念のため寝間着をお持ちください』
『僕が予定あったらどうするつもり?』
『月島君がその日暇な事はリサーチ済みです』
『行けばいいんでしょ』
『お待ちしています』

自由な癖にちゃっかり人の予定まで把握している名字さんに、掌の上で転がされているようでむず痒い。送られてきた住所は大学から二駅ほど離れたところのようだ。よく変なサプライズを仕掛けてくる名字さんだが、現地集合を指定されるのは初めてだった。挙句良く分からないドレスコードや良く分からない持ち物まで明記されているし、全く読めないこの状況にため息が一つ漏れた。何着ていこうかな。



そうしてやってきた約束の日当日。指定され訪れた住所は名字さんの自宅だった。インターホンを押すと名字さんが出迎えてくれたが、なぜかパジャマを着ている。なんでなの。問い質したい気持ちもあったが、有無を言わさず招き入れられた部屋はシンプルで落ち着きのあるものだった。

「…聞きたいことが山ほどあるんだけど」
「質問は後です、こちらご覧ください」

ローテーブルにドンと置かれたのは顔よりも大きいフルーツリキュールの瓶だった。しかも3種類もある。これが何と言わんばかりに彼女の顔を見ると、にっこりと笑ってすごいでしょと言っている。

「で、これが何なの」
「甘くて美味しい素敵なリキュールです。ここに牛乳と炭酸水もあります。今日はしこたま飲みましょう!」
「待って、全然分からない」
「パジャマでお酒飲みながらだらだらする会でもしようかなって思って」
「はあ?!」

本当に待ってほしい。なんでパジャマ。仮にも年頃の女性がパジャマで自宅に男を迎え入れるなんてあり得ない。しかも付き合ってないのに。男として意識されていないのを実感するのだと空しくなり、半ば自棄になって彼女を組み敷いた。掴んだ手首は白くて細い。彼女は一瞬驚いた顔をした後、眉を下げて僕を見つめた。

「あのさあ、僕一応男なんだけど。こんなに危機感なくて大丈夫?」
「…や、」
「何、僕を家に呼んだこと後悔した?」
「後悔なんて、しないよ」
「は、?」
「つ、月島君になら何されてもいい、です…」

恥ずかしさからか頬を赤く染め視線を宙に泳がせ、「本当は今日呼ぶのだってすごく緊張したし、いい口実が無くて変な計画しちゃったし、そもそも好きじゃない人を部屋に呼ぶなんてことしないもん」と小さく零す名字さんは、耳まで真っ赤に染めていた。
ケーキより、甘いリキュールより、何よりも甘い砂糖菓子のような彼女は今にも蕩けそうなくらい愛おしい。
可愛らしい小悪魔の策略に完全に嵌められてしまった自分を恨みつつ、目の前の甘そうな彼女へ口づけをひとつ落とした。

「もう、ほんと、バカなんだから」
「酷い言われ様…」
「でも、君を好きになっちゃった僕もバカ」
「うう、格好良くてずるい」
「ずるいのはどっち。そういえば言われた通りに僕もパジャマ持ってきたけど、今日泊まっていいってこと?」
「いやあの、それは、お任せします…」
「ふうん、悪いコだね」

未だに真っ赤な名字さんはバツが悪そうに唇を尖らせた。据え膳食わぬはなんとやら、折角捕まえた愛しい砂糖菓子を存分に堪能させてもらうこととしよう。







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