カレイドの絶景に



私たちが出会ったのは、何の変哲もない道端だった。



大学4年当時、無事に就職先も決まり消化試合と化していた時のこと。友人との旅行やアルバイト、はたまた就職先からの課題消化などでスケジュール帳がちょこちょこと埋められていたが、どうしても隙間時間は出てしまう。そこで、以前から気になっていた一眼レフを購入する決心をしたのだった。きっと良いカメラがあれば、この先の旅行も楽しさ倍増だろうし、何より出不精気味な私が外へ出る切っ掛けになるだろう。行動派、もとい形から入るタイプの私は決心したその日に家電量販店に出向き、決して多くはない貯金を叩いて相棒となるカメラを無事手に入れたのである。

首から愛機を下げて近所を散歩がてら被写体になりそうなものを探すことが日課となったある日のこと、自分の身長では到底届かなさそうな高い位置に綺麗な花が咲いているのを見つけた。アパートの階段脇にある花壇から、にょきにょきと伸びた茎の上に咲くピンク色のフラミンゴのような花。階段を登ったら撮れそうな位置ではあるが、住人ではない自分が入るのも気が引ける。首から下げていたカメラを両手で握りしめ、試しにファインダーを覗いてみるが角度が付きすぎて綺麗に撮ることはできない。折角良いものを見つけたのに残念だと肩を落としていた時のことだった。

「その花撮りたいなら代わりに撮ろうか?」

不意に掛けられた声の主は、見知らぬ背の高い男性だった。状況が読み込めずに首を傾げた私に「それ、俺なら届くかなって。撮りたいんでしょ?」と花を指差しながら続けた男性はにこりと笑った。不思議と警戒心を解くような笑顔につられた私は、「よろしくお願いします」と首から下げていたカメラを外し、男性へ手渡した。

「とは言ってもカメラ詳しくないんだけどね」

と頬をかいて眉を下げた男性は、このまま撮っていいの?とファインダーを覗き込んだので、先ほど自分でファインダーを覗いた時のことを思い出して大丈夫と返答をする。確かにこれくらい高身長だと、私の撮りたかった花とそう高さは変わらない。背も高くてスマートで、見知らぬ私にも優しくできるくらいの人なのだから、さぞモテるだろうなあとカメラを構えた後ろ姿をぼんやり眺めていると「これでいいのかな?」と聞かれた声に意識を引き戻された。
気も漫ろに返事をし、先程の写真を再生すると、特に問題のない仕上がりであった。これが自分で撮ったものであれば微調整をしたいところだが、撮ってもらった写真にケチをつけるわけにもいかず(設定をしたのは私なのだし)、お礼をひとつして問題ない旨を伝える。

「ありがとうございます、問題ありません」
「…ひとつお願いがあるんだけど、いい?」
「はい」
「俺もちょっと設定を弄ってみたくて。大丈夫?」

男性は、昔部室に置いてあった誰のかわからないカメラ雑誌を見たことを思い出して、自分でもやってみたいのだと言うことらしい。そうは言ってもかなり昔だし、細かいことはわからないから教えてねと言う彼の瞳はどこか見透かされているようでむず痒く感じる。私の気持ちを知ってか知らずか設定を弄ってみたいという男性へ各値についての要点を伝え、それを基に撮影された二枚目の写真はというと、構図から何からそれは綺麗に撮れており、思わず実はカメラに明るい人なのでは?と疑ってしまうような仕上がりだった。

「おお…!すごい綺麗に撮れてます!」
「へえ、ちゃんとしたカメラってこんなに綺麗に撮れるんだ」
「残念ながら持ち主の私もこんなに上手に撮れないので、結局のところセンスが物を言うのでは…」
「そんなに褒めもらっても何も出ませんよ」
「本心です」
「そっか、ありがとう。ねえ俺この写真気に入ったから送ってほしいんだけど、だめかな?」
「あ、はい、大丈夫ですよ」

カメラから携帯へデータを送るのには少し時間がかかるので、お互いに連絡先を交換して改めてデータを送る運びとなり、あれよあれよと言う間に私のSNSには目の前の男性、松川さんの名前が追加されたのだった。



データを送って終わりになるかと思ったこの出会いが今も尚続いているのだから、人生は実に面白いものだと思う。
休日が不規則で友人と休みが合わずに中々出掛け辛かったという松川さんと、暇を持て余しており色々な所に写真を撮りに行きたい私。見事に利害が一致した私たちは、いつの間にか遠方まで一緒に出掛ける関係となっていた。それこそ宿泊だってする仲である。そう、お付き合いを始めたのだ。とは言っても色気のある始まりではない。近場の探索も大方出来てしまったくらいには遊びに行く回数を重ねていた頃、松川さんの横で「ここの夜景をどうしても見たいのだけど、遠方だし宿泊しないと難しい…」と漏らしたところに「じゃあ俺たち付き合えばいいんじゃないの?」という提案がなされたのだ。既に松川さんは私の中で居心地の良い大切な存在となっていたので、二つ返事で了承をし現在までその関係は続いている。

付き合い始めてから時が流れ、私が就職をしてからは、お互いの休日が合わず以前と比べて一緒に出掛ける回数が減り、数年前に買ったカメラをしまってあるバッグは少し埃を被っている。積もった埃をはたきつつそろそろ遠出をしたいと思っていた数日後、仕事終わりに一緒に食事をしていた松川さんからタイミングよく「同僚から聞いたんだけど、夕日が綺麗にみられるところがあるんだって。よかったら行かない?」とのお誘いがあった。勿論行くと返事をすると、松川さんは「ちょっと遠い所だから泊まりになるよ。車出すから可愛い服でも着ておいで」とにやりと笑った。



そして迎えた当日、正に今この瞬間のことである。松川さんは毎回車を出してくれるので、態々「車を出すよ」と言う事はあまりない。それに加えてあのにやり顔は何か思うところがあるのだろうが、皆目見当も付かないままだった。ひとまず言われた通りにお気に入りのワンピースに身を包んだ私は助手席に大人しく座っている。出発してからは随分時間が経っていた。

「それで今日はどこに行くんですか?」
「んー?内緒」
「そろそろ教えてくれてもいいのでは…」
「お楽しみはとっておいた方がいいよ、名前ちゃん」

そう言ってにやりと笑いながら左手で私の頭をさらりと撫でた松川さんは、結局何も教えてくれないまま目的地へと車を走らせた。



車を走らせること数時間、到着したのは立派な木造の太鼓橋が建つ湖だった。今日は天気も良くほぼ無風の為、丁度沈み始めた燃えるような落陽が橋の下の湖に鏡のように反射している。その絵画のような光景に思わずカメラを構えることも忘れて見入ってしまった。

「うわ、綺麗…」
「これは聞いてた以上だ」

お互いそれだけの会話を交わし、その後言葉を忘れたかのように絶景に見入る。陽が落ちきる前に写真を撮らないととハッとした時、隣にいた松川さんがいない事に気付いた。

「あれ、松川さんは…」
「名前ちゃん、こっち向いて」

不意に真後ろから声を掛けられ、予想外のことに肩が跳ねた。振り向いた先にはもちろん松川さん。その手には蓋を開けられた小さな箱が乗せられ、中に夕陽を宿してキラキラと光る指輪が納められていた。

「え、その、これって」
「そ、婚約指輪。」
「う、うそ…」
「嘘じゃないよ、本当。名前ちゃん、俺と結婚してくれる?」



人生とは実に面白いものだと思う。道端で偶然出会った男性からプロポーズされることになるなんて小説みたいなことが、まさか自分の身に起こるなんて。
あの時カメラを買ってよかった。あの時散歩をしていてよかった。あの時高い所に美しく咲く花を見つけてよかった。……あの時松川さんに出会えてよかった。
人生何が起こるかなんてわからない。ただ、こうして松川さんと引き合わせてくれる切っ掛けとなった愛機には全く頭が上がらないなと胸元を一瞥し深呼吸を一つ。答えなんて勿論決まっている。

「…よろしくお願いします!」

道端で声をかけてくれた時と同じ返事を返すと、松川さんはにっこりと笑って「よかった」と胸をなで下ろした。
夕陽を宿した指輪をはめてもらい、「折角可愛い恰好してるんだから」と言われて一緒に撮った写真はこの先一番の宝物になるだろう。
二つの影が重なった頃、私たちを見守っていた夕陽は静かに沈んだ。







.back