きみの薔薇を摘みたい



「聞いてよ黒尾、また彼氏に振られたんだけど」

目の前でビールジョッキ片手にため息をつく名前。頻繁ではないものの定期的に飲んでいるにも拘らず、毎回この話題が出るのだから少々いかがなものかと思う。
名前とは高校の同級生であるが、奇妙な縁で卒業後に飲みに行く仲となった。高校生の時は全く関わりがなく、卒業後に出会って実は同級生だと知ったのだ。そのため彼女と他の人が関わるところをあまり見たことがない。あるとしても飲み屋の店員とのやりとりくらいだ。

「ちょっと振られるの早すぎるんでないの」
「いやあ告白されて試しに付き合ってみたけどやっぱりだめだったわ」

へらりと笑った彼女はどうやら叶わない恋をしているらしい。そんな俺も目の前の彼女に叶わない恋をしている。一緒に飲みに行くようになって少し経った頃、丁度互いの恋愛事情の話がでたときに彼女は「好きな人、いるけど多分かなわないから、結局告白してくれた人と付き合うことになっちゃう。結局毎回何もしないからそのまま振られるんだけどね」と零していた。好きではないのなら断ればいいのに、と思う反面案外押しに弱い彼女らしいなとも感じる。毎度この手の話を聞くのでフリーなのは間違いないのだが、振られたという直後にそういえば好きなやつとはどう?と聞く、傷口に塩を塗るような真似はできないので結局確認できず仕舞いだ。

「まあまあ、今は楽しく飲んで忘れようぜ」
「いえーい」

お互いジョッキを低く持ち上げ、本日二回目の乾杯をした。さっきのため息はどこへやら、「なにか追加で頼んでいい?」と前屈みの姿勢でのんびりメニューを眺めている。胸元からちらりとのぞくふくよかな双丘には気付かないフリをし、なるべくそちらに視線をやらないように気を付けつつ反対側から同じくメニューを覗き込んだ。



「黒尾はさ、私の事どう思ってる?」

先ほど注文したやきとりを咥えた名前不意にが問いかけてきた。冒頭の話し方とは違うテンションに思わず身構えてしまってうまく言葉が選べないでいると、「やっぱりこのままじゃよくないと思うんだよね」と長い睫を伏せて呟いた。

「…このままってどういう事よ」
「好きでもない人と付き合って時間を無駄にすること」
「あー…。そういえば最近、前に言ってた好きな人とはどうなのよ」
「現状維持ってところかな。たまに飲みに行くくらい」

なんだけど、と続けた彼女はふうと大きく息を吐きだした。

「私ね、黒尾の事がずっと好きなの」
「は?俺?」

我ながら素っ頓狂な声を出してしまい、目の前の名前は眉尻を下げ、「迷惑だったかな。ごめんね」と困ったように笑った。
迷惑なわけない、自分がずっと好きだったのは他でもなく目の名前なのだから。

「待って、前に好きなやついるって言ってたよな?」
「だから、それが黒尾なんだって」
「えー…」
「久しぶりに会ったときさ、黒尾は私と同級生だったこと知らなかったじゃない?だからこっちだけ知ってるって恥ずかしいから言えなかったんだけど、実は高校生のころから好きだったんだよ」

俺は、馬鹿か。なんでこの目の前の可愛いくてよく笑って気立てがいい女を認識していなかったのだと高校時代の自分を恨めしく思ったのと同時に、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。

「それは、非常に申し訳ない…」
「こちらこそ急に変なこと言ってごめんね、忘れていいから!」
「俺が好きなの、名前なんだよ…」
「え?私?」

先ほどの自分の様に素っ頓狂な声を上げた名前に思わず笑ってしまった。お互いがお互いに叶わない恋をしているだなんて全くの見当違いであったのだ。高校時代の同級生だったことを知らなかった俺が自分のことを好きなわけがないと思っていた名前と、ずっと想っている人がいるなら叶うはずないと思っていた俺。あり得ないくらいのすれ違いをしていたのがとても馬鹿馬鹿しく、お互いに笑ってしまった。

「だから、本をただせばちゃんと同級生だったことを認識してなかった俺が悪いし申し訳ないってワケ」
「いやー、お互いもっと早く言えばよかったね」
「だな。まあこの微妙な飲み友達期間も楽しかったけど」
「たしかに!」

コロコロと笑った彼女は「黒尾は私の事すぐ振るとかしないでね」と冗談めかして言った。当たり前だ、ずっと欲しくて欲しくて堪らなかった愛しい君が手に入ったのだ。迂闊に手放すなんて万に一つないだろう。

「こう見えて黒尾さん独占欲強いし可愛い名前サンを手放すわけないでしょ。覚悟しときなね」
「お、お手柔らかに…」

思いがけず自分が作ってしまった穴の開いた期間を埋めるため、今後は目一杯一緒にいようと誓った日となるのであった。







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