10歳 冬
何時も家の中はうるさかった。
両親が互いを罵り怒鳴りあって、カシャンって何かが割れる音とか、ドンって何かが倒れる音がテレビの音よりも大きかった。
それを聞くと心臓がギュッと縮んで、喉もキュって締まるから息が苦しくなる。響く音が、何が起こっているかが見えなくて、ずっと膝を抱えて灯りを消した部屋のすみっこに隠れていた。
物心ついた時から両親の仲は悪かった。色んな理由があるんだろうけどその1つがわたしにあった、父に顔が全く似ていないから。生まれたばかりの頃は何も思わなかったらしい、けど成長するにつれてわたしは父にも、母にも顔立ちが似ていなかったのだ。
それでも父はわたしには優しかった。そして母もわたしには優しいのだ。
だから2人を嫌いになんてなれなかった。
長引く怒鳴り合いが怖くて、そっと階段を降りて1階にあるリビングを覗く。
顔を真っ赤にして泣きじゃくる母はわたしよりも小さな子どもみたいだった。そんな母を氷よりも冷たい目で見下ろしている父が知らない人みたいで怖い。
上着を着て階段を降りる時よりもそっと足を動かして玄関に行く、キィッと小さくなった扉の音に今度は心臓がドキッと音を立てたが、また母が大きな声で泣き叫ぶ。あの声を聞くと胸が痛くなるから苦手だ。誰にもバレないようにそっと扉を閉めて外に出るのが癖になった。
家を出て行くところは近所にある公園。ベンチに座って、ただ時間が過ぎるのを待つ。
最近は風が冷たくてちょっと嫌になる。マフラーをしてくればよかったな。
「陽乃、」
聞き慣れた声に顔を上げれば幼なじみのりんくんが立っていた。
「りんくん、」
「もう暗くなるよ。」
「でも、」
「またおじさんたちケンカしてんの?」
「…うん。」
「オトナなのに、ね。」
ねぇ、りんくん、2人ともわたしのせいで喧嘩してるんだよ。
そう言えば、何て言うんだろうか。
「りんくん、バレーの帰り?」
「うん。」
「なら、疲れてるんじゃない?」
「疲れたから、ここに座る。」
勢いよく隣に座ったりんくんはスポーツバッグの中から何かを探している。ものすごいマイペースだなぁ。
「ん、」
「むぐっ、」
カバンの中から出したのはチョコチップ入のスティックパン。1本、いきなり口の中に入れてくるからびっくりした。
「りんくん、びっくりする…」
行儀が悪いのは分かっているけど口の中に入れられたパンを出す。じっとりんくんを見る。りんくんはもぐもぐと残っているスティックパンを食べていた。
「お前、チビだからちゃんと食べないとでかくなれないよ。」
「…1歳しか変わらないじゃん…」
「俺はでかくなるよ。」
「わたしだって、」
「ガリガリじゃん。」
「ガリガリじゃないもん。」
少ししか話してないのに、もう袋の中は空っぽになっていた。食べるの早いなぁ。
こうやって会う時、りんくんは何時もお菓子とかパンをくれる。
「りんくん、夕ご飯食べれるの?」
「余裕。」
ピースサインをしているけどりんくんの顔はあんまり変わってない。
「パン5本も食べたのに?」
「うん。」
「不思議…」
「陽乃は早くそれ食べなよ。」
「うん。」
「…寒くないの?」
「ちょっとだけ。でも、大丈夫。」
「ふぅん。」
スティックパンは甘くて美味しい。けど寒いせいかちょっとだけ固いような気がする。
「ねぇ、」
「ん?」
「俺ん家の子になる?」
「へ、」
「妹2人になっても俺はいい。」
「……りんくんがお兄ちゃんだったらすごいいいなって、思うよ…」
「うん。」
「でも、」
「うん。」
「わたし、おとうさんも、おかあさんもだいすきなの…」
わたしのせいで喧嘩ばっかりしてるのに。やっぱり最後の言葉は言えなかった。
3分の1残ったスティックパンを口の中に入れる。
「…ごめん、」
「いや、別に謝ってほしかったわけじゃない。」
「りんくんは優しいから…」
「別に優しくないよ。」
「そうかなぁ…」
「うん、普通…暗くなって来たし帰ろ。」
立ち上がってわたしの方に差し伸べてくれる手を握る。
「やっぱり陽乃もっと食った方がいいよ。ちっさ過ぎ。後冷た過ぎ。」
「これからなるもん。」
大きさだってそんなちょっとしか変わらないのにりんくんは何時もそう言う。
りんくんは歩いてる時バレーで突き指したことや試合でブロックが成功したこと、沢山じゃないけど話してくれる。そんな遠くじゃないからあっという間にこの楽しい時間は終わっちゃうけど。
「じゃあ、また明日。」
「うん、ばいばい。」
手を振ればりんくんも振り返してくれる。
こんな日が毎日これからも続くって信じてたのに。
10歳の春、父と母は離婚した。わたしはかあさんと一緒に、かあさんの実家がある宮城に引っ越すことになった。