それなら私は雨を降らせる
「……おかえりなさい」
「ただいま」
いつも通りに玄関に入り、いつも通りのなんて事ない様子で靴を脱ぎ。いつも通り手に持っていた重いマントを手渡され、いつも通りにハンガーへ掛けようとした時に、いつもとは違う言葉が発せられる。
「ああそうだ、マントはクリーニングに出しておいてくれるか。急ぎじゃないやつで」
「え、あ、うん……」
「ふっ、どうしてキミが落ち込むんだ」
だって、と思わず言い淀む。それを見たダンデくんは優しい手つきで私の頭を一撫でし、洗面所へ向かってしまった。
どうして貴方はいつも通りなの。十年以上維持し続けた無敗記録を破られたと言うのに。それも自分が推薦を出した少年に。私はバトルの中継を見て、泣いて、泣いて、泣きまくったのに。
貴方はあの場でも、最後まで『チャンピオン・ダンデ』として振る舞っていた。そして今も。だったら、本当の『ダンデ』の感情はどうなったの。
未だにどうやって声を掛ければ良いのかは分からない。いつかこういう日が来るとは分かっていた。……いや、考えたことなんか無かった。それはまだまだ先の事で、彼のお師匠さまの記録も抜いてからだと思っていたから。
重い足を動かし、洗面所から出て来ないダンデくんの様子を伺いに行く。
「……」
開いていたドアの隙間から中を除く。蛇口から激しく流れる水の音。手を濡らす事もなく、それをただ静かに見下ろす後ろ姿。
ああ、だめだ。もう私が耐えられない。
勝手に動く足をこの短い距離では止めさせる事も出来ない。すぐに目的のものに辿り着き、背中側から思い切り抱き着く。
「……っ。……どうしたんだ、ナナシ」
「……」
「言ってくれなきゃ分からないぜ。キミの顔が見れな、」
「なんで泣かないの」
腕の中の大きな背中が小さく強張る。小さな動きだとしても、これだけピッタリとくっ付いていれば誤魔化せはしない。
「……オレは」
「うん」
「……、オレは、泣いてなんか居られない。チャンピオンじゃ無くなったとしても、オレはこれからローズさんの跡を継がなければならない。やる事は山積みだ。こんな所で立ち止まってはいけないんだ」
だからこの手を離してくれと促される。嫌だ。私はそんな誰が聞いても百点満点の解答が欲しかったんじゃない。私が欲しいのは『ダンデくん』自身の気持ちだ。
絶対に離すもんかと腕に力を込める。私は『チャンピオン・ダンデ』と話しているのではない。『ダンデ』と話しているのだから。
「……本当にそう思ってるの?」
「ああ。勿論だぜ」
「ここには私以外誰も居ないんだよ?他に見る人は居ないんだよ?」
「ああ」
ダメだ。長年培われてきた感情を制御する機能が働いてしまっている。絶好調の様だ。いい加減、自分を犠牲にするのはやめて欲しい。
誰がそれを望んだの。ガラルの人々はそんな完璧人間をダンデくんに望んでなんかない。誰よりも強い先導者が必要であっただけで、その反面でこんなに自分を殺して生きているのを知ったら皆悲しんでしまう。
何を問いかけても彼の本心は引き出せそうにない。本当に強情だ。でも、もし私にこの件で付き纏われたく無いのだとしたら、貴方はきっとこんな場所で水なんか眺めていなかったはずでしょう。
だったらご期待通りに意地でも本心を引き摺り出してあげなきゃね。
感覚だけで腕を伸ばし、蛇口のシャワーヘッドの部分を掴む。それをそのまま引き伸ばし上へ向ける。
つまり、私の目の前の人物は頭から水を被った。……私もちょっとだけ。
「うわっ!こら、何をするんだ!」
「あー!ごめんなさーい!手が滑っちゃって!」
「だったら早く避けて、わぶっ」
ちょーっとやりすぎちゃったかなと、左の方に逃げていったダンデくんを横目に少し水圧を下げる。なんてったって、ダンデくんがレバーを全開に捻っていたからね。勢いが凄かった。
弱くなったのを確認し更に上の方から降り注ぐ様に腕を上げる。言わば小雨状態だ。ダンデくんは勿論、私を含めて辺りは水浸し。だけど、仕方がない。
「ほら、雨が降ってきたよ、ダンデくん」
「キミなぁ……。早く止めないと部屋が大変な事に」
「雨だよ!ほら!」
愚痴愚痴と後始末の事を心配し出すダンデくんをぎゅっと片手で抱きしめる。そして私の肩に頭を押し付ける様にして、頭をぽんぽんと叩いてみた。
「ね、ダンデくん。これなら泣いたって分からないよ」
「だからオレは」
「だって、私が泣いてるのにも気付かないでしょ」
「っ」
ああでも、泣いてる姿は見えなくても、鼻声で分かっちゃうかも。さっきあれだけ泣いたのに、まだまだ溢れてきてしまう。
私の顔を確認しようとしたのか顔を上げようとするダンデくんの頭を両手で抱え込む。すると諦めたのか、するりと私の腰に回される腕。
「ダンデくん、お疲れ様」
「……」
「十歳の時から、ずーっと」
「……っ」
ぎゅうと抱きしめられる力が強くなる。ああ、何を伝えようか。伝えたい事はいっぱいあるけれど、うまく順番立てて言葉が浮かんでこない。
十歳の時チャンピオンとなった貴方は、一体どんな未来を想像していたのだろう。
「……っオレは、」
「うん」
「悔しい、とにかく悔しいんだ……っ!」
「……うん」
「オレは一度も負けなかったっ!誰にも!キバナにだって、一度も!」
「うん」
細かく震え、時折しゃくり上げる背中を撫でさする。肩にはじんわりと温かい何かの温度を感じる。
「オレはガラルで一番強い人間だ。そうあらねばならなかった、事実そうだった……っ!なのに!」
「……」
「ムゲンダイナはあの子を選んだ!オレだって、オレだって……っ!」
「……」
「チャンピオンマッチだって、体調が万全だったとは言えないかもしれない。でもそれはただの言い訳で……っ、コンディション自体は問題無かった!」
「うん……」
「……負けるのが、こんなに悔しいだなんて。すっかり忘れてしまっていた。……オレの、十年以上の時間は、なんだったんだ……っ」
言葉を重ねるに連れ、どんどんと私を抱きしめる腕の力が増していく。身体中が痛いけれど、ダンデくんの痛みに、今まで掛かっていた重圧に比べればこんなのなんて事ない。
ダンデくんはこれ以上のものを、たった一人で抱え込んでいたのだ。
「……でも、チャンピオンとして挑戦者に立ち向かうダンデくんは、とってもカッコよかったよ」
「カッコいいだけじゃダメだ」
「私が言ってるのに?」
「……」
「……ごめんなさい、調子乗りました」
可愛い恋人がカッコいいって思ったならそれだけで無駄な時間ではない筈。と思ったのは残念だから私だけで。空気を読まなすぎたな。
反省していると今までとは違う肩の震え。……笑ってる?
「……ふふ、ああもう。本当にキミは。ははっ」
「……ごめんなさい」
「いや、もういい。そうだな、キミにカッコいいと思われていたなら十分かもな」
「本当に……?」
「ああ。ムゲンダイナはオレを選ばなかったが、キミはオレを選んでくれた」
「えへへ……?」
さっきから言うムゲンダイナとやらは確かマサルくんの手持ちだったと思うけど、一体そのポケモンと何があったのだろうか。
詳しいことはよく分からない。でもムゲンダイナと私を並べて考えるのはおかしいという事は分かる。
大分落ち着いた様子のダンデくんの濡れた髪を梳きながら、もう少し思い切り泣かせてあげたかったなと反省する。
「……次のジムチャレンジには参加するの?」
「いや、しない」
「え?」
「オレはもっと、もっと強くなる。オレだけじゃない、ガラルのトレーナー全員で、だ」
ダンデくんが顔を上げる。その表情は何処か吹っ切れた様な、でもやっぱり少し悔しさは滲んでいる様な。それがくしゃりと歪んだかと思うと、呆れた様に笑いかけられる。
「ほら、泣き止んでくれ」
「……泣いてないもん。雨の水だよ」
「目が真っ赤だ」
「ダンデくんを見上げなきゃいけないから目に雨が入っちゃうんだもん」
「はは、そうか」
それはすまなかったなとダンデくんが少し屈んで、私と目線の高さを合わせてくれる。おまけに頭も撫でられるというサービス付きで、私が誰のために泣いてるか最早分からなくなる。
ああ、でもなんだか無性に。目の前の人物を抱きしめたいし、抱きしめられたい。キスしたいし、キスされたい。
気付いたら腕を伸ばしていて、唇が冷たく濡れてるけど、あったかくて。
「ん、……ふふ。ダンデくん、好きだよ」
「……はは、本当にキミは」
「なあに?」
「いや、なんでもないぜ!」
オレも、と抱きしめられて耳元で囁かれる。ふふ。キスした時にダンデくんの頬を伝った雫は雨だった事にしてあげよう。
軽いキスから徐々に深くなるキスに応えながら目を閉じる。
ダンデくんは、きっとこれからも形は変われどトップに立ち続けるのだろう。それに伴う重圧は私には計り知れないし、その事をダンデくんがどう思ってるかも分からない。
私が一緒に背負えるほどの実力があれば、知恵があれば、本当は一番いいだけれど。
それでも、私なりに。力不足かもしれないけど、少しでも貴方の鬱憤を吐き出せる場所になれたらいいな、なんて。
(エボリューション配信記念でした!)
(段々と弱みを自分にさえ見せなくなって行くのを不安に思っていた夢主ちゃん。チャンピオンマッチで負けたその日も普段通りに振る舞おうとするのが我慢できなくて無理矢理吐き出させたの巻)
(夢主ちゃんに弱みを見せなくなったのはカッコ悪いところを見せたくなかったからで、今回を皮切りに徐々に弱音を吐く様になる。うんうんて聞いて見当違いでも言葉をくれる夢主ちゃんはダンデさんにとってもっともっと必要不可欠な存在になるよニッコリ)
(この後イチャイチャしながらお風呂入ったし、泣きながら掃除した)
2021/09/11