寝坊する話

 あ、やってしまったな。感覚で分かる。寝坊したなって。

 まだ時計を確認した訳ではない。目が覚めただけ。もしかしたらワンチャンあるかも知れない。でも可能性は限りなくゼロに近いのだろう。そんな気がする。
 ワンチャン、どうか神様私にワンチャンスをお恵みくださいませ。

 視線は天井へ向けたまま枕元で充電していたスマホを手繰り寄せ、画面を確認する。残念ながら私のスマホにはロトムは住んでいないのだ。

「あぁ〜〜……」

 画面に表示されている時刻はやはりと言うか、起きようとしていた時刻を大幅に上回っていた。なんなら既に家を出ていて目的地にも着いているはずの時刻。
 見間違いであって欲しいと寝起き特有の渋々する目を瞬かせる中残酷にも更に一分が進む。あゝ無情。

 胸の上で指を組み、瞼を下ろす。これだけ生きていれば寝坊の一度や二度あって当然だ。人生にヤラカシは付き物だって誰かが言ってた。知らないけど。
 だがここまで大胆に寝過ごすのは初めてで、一体何からどうすれば良いのか分からない。

 ああそうか、とりあえずは連絡だ。

 少しでも現実逃避をする為か、無意識に掛布団の下に突っ込んでいたスマホを取り出し、今日一日を共に過ごす予定だった人へメッセージを送ろうとする。昨夜も今日に向けての連絡を取り合っていた為一番上に表示されている人物。

「ア〜〜」

 指が動かない。寒さもあるけれどそれだけでは無い。気が重すぎる。こおり状態にでもなっているかの様な人差し指を動かしメッセージ画面を開く。
 待ち合わせ時間をとうに過ぎていると言うのに向こうからは特に何も来ていない。というか。

「!」

 頭の中をビビッと電流が走る。そうだ、いつも何時間も待たされるのは私の方だし、今も何も連絡が来ていない。という事は、つまり相手もいつも通りと言っては何だけど、遅れているという事で。

 ガバリと勢いよく起き上がる。スマホを確認する。よし。まだ間に合う。今ならまだ誤魔化せる。

 ──寝坊を無かったことに出来る!

 いつもは何時間も待たせやがってクソ方向オンチがとかイラついてしまう事も多々あるけれど、今日ほどそれに感謝する日は無い。サンキュー方向オンチ。でももう少しマシになって欲しい。

 昨日までにコーディネートをしておいて良かった。偉いぞ、乙女な私。
 さっとパジャマを脱ぎ捨て、用意しておいたワンピースに袖を通す。脱いだ物を畳む余裕もない。今は緊急事態なのだ。足で部屋の隅に避けておく。

 何かを胃に入れる時間はない。歯磨きをして、顔を洗って。此処からが問題である。地獄のお顔作りだ。しかも超特急。

 前に衝動買いしたヒトカゲのヘアバンドでグイッと前髪を上げる。昨夜したパックのおかげで肌の調子が良い、と思い込む事にしてぺちぺちと手早く化粧水を塗り込む。
 ああ、本当はこの段階から時間を掛けたかったのに。別に彼は気にしないのだろうが(そもそも気付かないのだろう)、私の今日一日のテンションに関わる。女とはなんと面倒くさい生き物なのだろうか。

 ファンデーションを塗って、順調にアイメイクも進んで次は、と考えたところで手元が狂う。う、アイラインの失敗はヤバい。やり直さないと。
 いつもだったら多少バランスがおかしくてもまあ良いかと誤魔化すがそうは行かない。片方だけ落として、いや両方やり直した方が。ああもう面倒くさい!

 何で今日に限ってとイライラしながらアイラインを引き直しているとチャイムが鳴る。ごめんなさい、私は留守です。本来ならこの時間、この家には誰も居ませんので。

 よし、出来た。眉毛描いて、シェーディングをして、と順調に顔を仕上げている最中にもチャイムは鳴り響く。誰だ。宅配便では無いのだろうか。こんなに諦めない物なのか。

 仕方ないなとカビゴンよりも重い腰を上げてインターホンのカメラを見る。そこに映っているのは帽子を被った黒い人影。
 恐らく男性だろうけどここ最近マンションの玄関のライトが切れている、かつ太陽の光が逆光になっている為誰かは分からない。やっぱり宅配便かな。

「……はい」
『宅配便です』
「はーい、すいません」

 やっぱり宅配便だったのか。何か頼んだ記憶は無いけど、過去の私が何か予約していたのかも知れない。殆ど顔は出来ているし、まあいいか。
 ヘアバンドを外すか悩んだところでもう一度チャイムが鳴り、外したところで前髪爆発してるだろうしとそのままドアを開ける。

「お待たせしまし……えっ!?」
「どうも、宅配便です!」
「えっ!わわっ」

 どう見ても手ぶらの男が部屋の中にぐいぐい入り込んでくるのを必死で抑える。嫌だ、何で。

「か、帰って!」
「何でだ?……ああ!」

 隙間に差し込まれた手が無常にもドアを全開にする。さようなら、私の乙女心。

「キミだけのダンデのお届けだ!」
「頼んでない……」
「酷いな、キミ」

 お邪魔するぜと靴を脱ぎ勝手に部屋に上がられる。良いとも言ってないのに、邪魔するなら帰って。
 大体出来てるとはいえまだ完成してない顔を見せるのは恥ずかしいし、髪もまだ手付かずだ。何より部屋に上げるなんて考えても居なかったので掃除も出来ていない。パジャマも脱ぎ捨ててあるのに。

 こんな中途半端な姿見せたく無かったと一人落ち込みながらリビングに向かうと、物珍しそうに部屋を見回すダンデ。ああ、見ないで。
 テーブルの上に散らばったままのメイク道具を手に取りしげしげと見るな。部屋の隅に寄せたパジャマを見るな、可笑しそうに笑うな……!

「な、なんで来たの」
「ん?何でって、キミが来ないし連絡も取れないからな」
「あ……」

 言われてみれば、起きて時間を確認してからスマホを見向きもしなかった。そもそもまだベッドの上に放置されている。
 慌ててスマホを取りに行き確認すると、私が見た時刻の数分後にダンデからの連絡が来ていて、つい数分前まで着信があって。恐らくチャイムを鳴らしていた間も掛けてくれて居たのだろう。

「……ごめんなさい」
「いや、キミに何も無くて良かったぜ」
「うん……。寝坊しただけだから」

 そうかとホッとした様に息を吐く。随分と心配させてしまったみたいだ。ダンデも遅れてくるだろうなんて思わずにちゃんと連絡すれば良かった。今日に限ってとは思ってはいけない。
 はあ、本当に今日は上手く行かない。

 しょんぼりと肩を落とし、手持ち無沙汰に前髪を整えようとする。あ。
 そうだ、まだ途中だったんだ!中途半端な顔をヘアバンドによって全開にして、髪もボサボサのままで。カーッと顔が熱くなる。は、恥ずかしい。私はこんな姿でダンデと。

 少しでも顔を隠そうと俯きヘアバンドをずり下げる。それをいつの間にか側に立っていたダンデの手によって止められ、更に顔を近付けられる。や、やめて欲しい……。

「ヒトカゲだ」
「う、うん。可愛かったから……。ね、離れて」
「オレのリザードンを連想してくれたのか」
「そういう訳では……」

 いやそういう訳なんだけど、なんとなく自分の口から言うのは憚れる。言った方が少しは可愛げがあるんだろうけど言わなくてもダンデがご機嫌そうだから良しとしたい。

 とにかくこれ以上みっともない姿を見ないでくれとそれとなく玄関へ誘導しようとするがまるでビクともしない。筋肉ゴリランダーと呼ぶぞ。
 くすくす笑う音が聞こえ、剥き出しの額にちゅと温かく柔い感触。数回音を立てた後に離れたかと思うと身体を拘束される。

「ゔ、な、何!」
「ん〜、今日はこのままお家デートにするか」
「え、嫌!楽しみにしてたのに!」

 私のせいだけど……、と言い淀む私に知ってると楽しそうに返される。
 だって、楽しみにしてたのは本当だから。忙しいダンデと漸く合った休日。こんな事になったのは悔しくも私の所為なのだがせっかくの休日を無駄にしたくない。
 ……お家デートもなかなか魅力的だけど。

「じゃあキミの準備が出来たら出発しよう!」
「うん!パパッとやっちゃうから悪いけど玄関で」
「寒いから嫌だぜ」
「う」

 毛布を貸すからと渡してもツンとそっぽを向くダンデ。だからと言ってリビングは散らかっていて、かつ私の準備する姿を見られるのは嫌だ。

 うんうん悩んでいると身体を持ち上げられ、胡座をかいたダンデの足の上に降ろされる。目の前には散らかされたメイク道具。

「さ、思う存分やってくれ!」
「ちょっと、この体勢では」
「キミの所為でこうなってるんだからオレの我儘も聞いてもらわないとな」
「ぐっ」

 ぐうの音も出ない。こういう時だけいつもの自分の事は棚に上げて正論をぶつけて来る。本当に良い性格しているものだ。そうでなければチャンピオンなんか続けられないだろう。

 居心地が悪い中顔作りを再開する。じっと見つめてくる視線を出来るだけ、無理なんだけど少しでも良いから出来るだけ気にしない様に。
 顔が完成して行くのに感心されるのが良い事なのか悪い事なのか。

 仕上げに髪をセットしようとすると、意外な事にダンデがやりたいと言い出した。触られた部分がゴッソリ抜けるのではと失礼な事が一瞬頭をよぎったが、丁寧に触れられ編み込まれて行く事に驚きを隠せない。

「なんで編み込み出来るの?」
「ああ、何度か撮影でやられた事があるんだ」
「へえ……?」

 見ただけで編み込みが出来るのか。過去に何度も練習しやっと見れる様な出来栄えになった記憶が蘇った私は、やっぱり器用な男は違うなと前髪にアイロンを通しながら感心する。

「あとウールーだな」
「ウールー?子供の頃?」
「ああ。三つ編みをよくほつれさすから直してたんだ」
「へえ〜!」

 そういえばウールーは顔の横で三つ編みをしている。あまり身近なポケモンでは無かったので考えた事は無かったが、確かにウールー自身が三つ編みを出来るとは考えにくい。
 せっせと三つ編みを直すダンデ少年の姿を想像してクスリと笑う。可愛い。

「てっきり元カノとかかと思った」
「残念ながらそれだけはあり得ないな。出来たぜ」
「ふふ、は〜い。ありがとう!」

 目の前にあった鏡で頭を動かし出来栄えを確認する。綺麗に規則正しく編み込まれていて手直しするところは無さそうだ。私が自分でやるよりも全然上手い。
 ヘアセットが上手く行くだけで単純な私は今日一日ハッピーだ。寝坊して良い事もある。

 私のテンションが上がる様子が面白かったのかダンデが笑いながら頭をぽんぽんと叩いてくる。ちゃんと髪が乱れない様な力加減なのは私の教育の成果だろうか。

「……なあ、今度の休みにでもハロンに来ないか?その、牧場の手伝いで。今はウールー達も冬毛の時期で毛が絡まりやすいんだ。直に雪が降るから毛を刈る事も出来ないしな。中々の重労働だし無理にとは言わない。もしキミが良ければ、だが」
「邪魔になるだけかも知れないよ?」
「そんな事は無い!……ああ、いや、とにかく本当にそんな事は無いんだ。毎年猫の手も借りたいくらいだからな。キミが来てくれるだけで随分と楽になる筈だぜ」
「ふふ、じゃあ力になれるかは分からないけどお手伝いしに行こっかな」
「本当か!」

 お腹に手を回されぎゅうと後ろから抱き込まれる。あのダンデの口数が増えて、目に見えて緊張していたのだ。きっと、ウールーの事は建前で、本当はご家族に紹介したいと言うのが本音なのだろう。
 私も緊張するけれど、頑張らなくちゃ。

「……母さん達に誰かを紹介するのは初めてだ」
「そ!……っか、そうだよね。失礼のない様に頑張ります」
「はは!いつも通りのキミで良い。その方がきっと母さん達も受け入れてくれる」

 こんなに化粧もしなくて良いと言われるのにはアハハと誤魔化しておく。これは女の武器なのだから。
 ただでさえお綺麗な顔をしている貴方の隣に立つ為の、と言っても分かってもらえないのだろう。

「よし!遅くなっちゃったけど行こっか!」
「……なあ、今日はやっぱり」
「ダメ!お出かけなの!」
「……分かったぜ」

「行こう!レッツデートタイムだ!」
「……うん!」

 正直、ダサいと思ったのは秘密にしておく。




(十代後半くらいかなって感じです。元カノじゃないと否定したのは初カノだから…(作中に書け))


2021/11/28




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