キバナさまの所為で……?
*八万打リクエストです
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「はい……、まだ熱が下がらなくって……」
『そっか、お大事にね』
心配そうな声色で体調を気遣ってくれる電話越しの先輩に申し訳なくなる。だって、実際は熱なんか出ていないのだから。
あの日、キバナさまと……とにかく色々あったのが数日前。私はそれから出勤をしていない。出来るわけがない。
いくら有給休暇の日数があるとはいえ当日欠勤を、しかも連日で行うのは良くないのは分かっている。
あの日の翌日、咄嗟に風邪をひき熱が出てしまったと適当に理由を付けて休んでしまったのが運の尽きだ。結局今日もその理由を引き摺り休みの連絡をしてしまった。
「ふぅ……」
どうしようか。休み続けるのも限界に近い。腹を括って出勤するべきか、それともいっそ音沙汰も無く辞めてしまうべきか。……後者が一番タチが悪いなんて事はよく分かっている。でも。
「全部キバナさまのせいじゃん……」
そうだ。私はナックルジムで働きたくって、必死になって勉強して、やっとそれが叶ったのだ。根本を辿ればキバナさまに近付きたかったから。なら何故そんな職場に行きづらいのか、それもキバナさまのせい。
確かになんだか最近ちょっと運が悪くって、キバナさまに不自然に不必要な接触が多かったのは認める。それでキバナさまのアレのタイミングがちょっとアレだっただけで、あの行為自体に理由などは存在しないのだ。
自分から進んでやった、なんて知らない。
「でも、でもなあ」
理由が無いからこそ、自分の気持ちに整理がつかない。もしこれに恋愛感情がついて回れば、私は今すぐにでもハッピーな気持ちで出勤する事ができるだろう。
ただそれは絶対にあり得ない事で、ただ欲の解消に使われただけというのが悲しい。憧れていたキバナさまが、今までもそうやってジム内のスタッフと……なんて頭をよぎりめちゃくちゃに叫びたくなる。
冷たい水でも飲んで落ち着こうと立ち上がったタイミングでスマホの着信音が鳴る。画面に表示されている番号はナックルジムのもので慌てて応答ボタンを押す。
流石に業務に影響が出始めたのかもしれない。
「はい、ナナシです!」
『お、もしもし』
「あ……」
私を指導してくれている先輩だろうと決め付けていたからか、電話越しに聞こえた男性の声に緊張で喉が詰まってしまう。
だって、間違えるはずの無いこの声は、紛れもなくキバナさまのもので。
『もしもーし?』
「あ、はい……」
『体調はどうだ?』
「えと、まだ熱が少しだけ」
実は仮病で貴方のせいで行けないだけですなんて事は絶対に言えない。
それにしても、キバナさまの声色はいつも通りに聞こえる。それもそうか。キバナさまにとっては、こんなただの事務員との事故なんてそれ程気にかける事では無いのかもしれない。
『そっか。あのさ、しんどい時に言いにくいんだけど』
「はい……?」
『これだけ病欠されると流石に診断書の提出が必要になってくるんだよ』
「し、診断書……」
『そ。お医者さんからの診断書』
や、やばい。そんなのある訳無い。病院になんか行ってないのだから。そもそも病気ですら無い。どうしよう、どうしよう!
社会に出るとただの病気ですらちゃんとした証明が必要なのか。いやだから病気では無いんだけど。
『どう?貰えそうか?』
「……、えっと」
『んー、もしかしてだけどさ。病院、行ってないだろ』
「ぁっ!」
きっとバレている。この人には何で私が休んでいるのか。
だって、当事者なんだから。
『そんな事だろうと思ったよ』
「あの、どうすれば」
『そうだな〜。じゃあ特別に』
『オレさまが直接診てやるよ』
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「よ!元気そうじゃん」
「いえ、そんな……ゲホッゲホッ」
本当に来た。冗談だと思っていたのに。電話が終わってすぐに見た目だけでもと冷えピタとマスクを装備した。せめてもの抵抗だ。無駄だなんて知らない。
「紅茶でいいですか」
「いや、病人は寝ときなよ。スポドリ買ってきたから一緒に飲も」
「あ、あ〜。助かります……ゲホッ」
キバナさまはあくまで『病気で休み続けている人のお見舞い』という体を貫くようだ。わざとらしい空咳には触れずにベッドへと促される。
理由がどうであれ私の家にキバナさまが居るという事実が信じられない。
冷えピタを買いに行くという任務があった為部屋の片付けまであまり手が回らなかった。汚い部屋だと思われていないだろうか。
顔を合わせるのが気不味い相手だというのに、そういう所は気になってしまう。悲しいかな、私は根っからのキバナさまのファンなのだ。仕方がない。
パシャリとカメラのシャッター音が静かな部屋に響く。え?私のスマホはここにある。デジカメは持ってない。となるともう一人、一体何を。
「!!」
「ふふ、ナナシってオレさまのファンなんだな」
「〜〜っ!!!」
部屋の一角、と言うほどでも無いのだけれど、部屋の景観を崩さない程度にカラーボックスの一段だけにひっそりと飾ってある、『キバナさまスペース』。
そこの前で呑気に自撮りをして居るのは、紛れもないキバナさま自身で。
「あ、あっ!だめ、ダメです!見ないで!……うぁっ!」
「おっと」
慌ててベッドから起き上がりキバナさまスペースを隠そうと駆け寄る。が、ダボついたルームウェアのズボンの裾でもたつき、何もない所で躓いてしまった。ああ、私はどうしてこんなにドジなのか。
そしてまた倒れ込んだ先にはキバナ様が居て。
「大丈夫か?」
「う、大丈夫です……すいません」
「謝るんじゃなくて感謝される方がオレさま嬉しい」
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして。で?」
「え?」
抱き止める為に身体に回されていた大きな手が、私の背中を摩る。「で?」とは、何がだろうか。その前に、たくましくていい香りのする胸に身体を預けてしまって居るこの体勢から解放してほしい。
いやでもあの時を思い出してしまい、頭がグルグルする。
「な、何がでしょうか」
「体温。熱がある様には思えねえな?」
「……っ!ゲホッ、そんな事は!」
ゲホゲホと咳のフリをするが、自分でも分かる。不自然すぎだ。
「本当の事言いなよ。オレさま怒らないからさ」
「いえ、その……」
「オレさまと顔合わせるのが嫌だった?」
「う……」
どうしよう。どう答えるのが正解なのだろうか。本当の事を言ってしまっても良いのだろうか。
チラリとキバナさまを見上げる。へにゃりとヌメラスマイルが可愛い。はい、現実逃避。
「……そ」
「そ?」
「その通り……です……」
「ふ〜ん」
少しだけ低くなった声に身体がびくりと跳ねる。恐怖を感じたからではなく、この間の事を思い出したから。
「オレさまの事嫌いになった?」
「そういう訳では……」
「じゃあいいじゃん」
「そういう訳にも……」
「じゃあどういう訳だよ」と聞かれる。言い淀んでいると「正直にな」と付け足されてしまった。
「えっと、私にとってキバナさまは憧れで、だからナックルジムにも頑張って入って。キバナさまの為は勿論、実力を見込んで選ばれたからには頑張ろうって思ってて」
「うん」
「それで、それなのに、キバナさまと、あ、あんな事があって。……ショックで」
「うん」
「最中は、その、夢中になっちゃったかもなんですけど、やっぱり悲しくって、恥ずかしくて。恋人でも何でもない唯の事務員てだけなのに」
ああ、何を言っているんだろう私は。頭が混乱している。こんな言い方ではキバナさまを責めて、責任を取れと言っている様なものだ。
きっと優しいキバナさまは誠実に向き合おうとしてくれる。取り巻く女性への対応として。
「じゃあさ、付き合おうぜ。恋人になろうよ」
「……いえ、そんなの申し訳ないです」
ほらね、と少しだけ悲しくなる。感情も無いのに責任を取ってもらっても、すぐに虚しくなってしまうだけだ。
「オレさま、結構本気なんだけど」
「そういうのいいです。……あの、私もうジムを」
「それはダメ。ナックルジムとして受け入れられません」
「そんな……」
じゃあずっとこんな気持ちのまま。そんなの無理だ。
「あのさ、なんか勘違いされてるっぽいから言っとくけど。オレさま、別に誰彼構わず手出してねえからな?」
「……え?」
「オレさま真面目に生きてます〜。リョウタにでも聞いてみなよ。一番ジムの中で付き合い長いしな」
キバナさまが言ってる事は本当なのだろうか。信じて良いのだろうか。分からない。
ずっと抱きしめられたままだった体勢から解放される。すっかり馴染んでしまっていた体温が離れてしまい寂しくなるが、少しだけ香水が移っていてはずかしくなる。
「よし、じゃあこうしようぜ!ナナシがオレさまに触れてきたら付き合おうよ。それまではオレさまもう何もしない」
「え?」
「オレさま待つのは得意だからな。ナナシに認めてもらえる様頑張るよ」
「え、なんで」
パーカーのポケットに両手を突っ込んだキバナさまが見下ろしてくる。ニヤリと弧を描く口。
「ナナシが好きだから」
「!」
「オマエのアピールにオレさまメロメロになっちゃった」
「あ、アピールでは!」
「ただし!」
勢いよく屈んだキバナさまの顔が目の前に来る。う。
「もしその時が来たら、しっかりお嫁さんになってよな」
「!?」
「じゃ、明日からは出勤する事!」
玄関へ向かうキバナさまを慌てて追いかける。とにかく引き止めて、それから。
あ、と思った時にはまた視界が傾き始めていて。原因はさっきと同じダボダボのルームウェア。もう二度とこのズボンは履かないと決めながら暖かい何かに受け止められる。
「あ、えーっと」
「ふふ、もう決心してくれたのか?」
「ち、ちが!」
「これからは公私共によろしくな、ナナシ♡」
「ひ、ひ〜〜!」
キバナさまの所為でお嫁に行く事になりました……?
2021/12/30