バレンタイン'22
刻んだチョコレートを器に入れて、小麦粉やココアパウダーも二回ずつふるいにかけて。バターも朝から常温に戻してある。丁度いい具合だろう。よし。材料の準備はオッケー。
スマホを手に取り動画の再生ボタンをタップする。もう一度最初から最後までを見て、次に最初から再生しては止め、十秒戻してを繰り返しながら用意した材料を混ぜ合わせていく。
泡立て器にゴムベラ、大量のボウルにお鍋などキッチンはしっちゃかめっちゃかだ。きっと今日は色んなお家のキッチンがこうなっている事だろう。
現在二月十三日。そう、明日は誰もが知るバレンタインデー。先月の終わりからずっと街中は浮き足立っている。
かく言う私もその大衆のうちの一人だ。
なんとかお手本通り完成した生地をオシャレな雑貨屋で購入した可愛いカップに入れていく。百円均一の物では無いのが個人的ポイントだ。
これが友達や家族に配るものなら構わないのだが、一応は所謂本命とやらに渡したいのでなんとなく気を遣わせてもらった。
ほら、他と差を付けるにはしっかりとした対策が必要だってキバナさまもよく言うし!
先に作っておいた生チョコを生地にぐっと入れ込み埋もれさせると、天板に並べしっかり予熱したオーブンに入れる。
何度もオーブンに表示されている設定した時間を確認する。あってる。よし、スタート。ここでやっと、ふうと一息つくことが出来た。
こうやってバレンタインに合わせてお菓子を作るのは実にスクール時代以来だ。昔は如何に楽して大量に可愛く作るかを重視していたので、こんなに一つ一つ丁寧に工程を重ねたのはもしかしたら初めてかもしれない。
大きな音を立てながら動いている電子レンジくんには頑張ってとエールを送る。この焼きで全てが決まるのだから。
その間に洗い物をして、仕上げのおさらいもしておかなければ。その後には綺麗で可愛いラッピングの準備して、あ!手紙も書かなきゃ!
先に書いておこうと思っても気持ちが一杯になってしまい、結局今日まで書けなかった。でも書かないと。どうしよう、多くても便箋は二枚くらいがベストだよね。上手くまとまるかな、この気持ち。
少しずつ漂い始めた香ばしい甘いチョコレートの香りに惹かれ、時々オーブンの窓から覗き見る。こうして私は数年ぶりの、浮き足立ったバレンタイン前日を過ごしたのだ。
****
そう。前日まではルンルンしながら今日というバレンタインの日を楽しみにしていたのだ。正確に言うと今日のお昼まではバレンタインを楽しんだ。
午前中には計画通りチョコを渡しに行って、本当に食べてくれるのかな、手紙読んでくれるかな、と今にも歌って踊り出しそうになりながら帰路に着いた私を出迎えてくれたのは、それはもう初めて見る程に仏頂面をした恋人、ダンデくんだったのだ。
そして今。どうにか機嫌を治してもらおうと必死に話しかけているのだが全て無視されている。フルシカト。悲しい。一体どうしちゃったのか。
「ねーえー、どうしたの?」
「……」
「何で怒ってるの?」
「……」
「もう!いい加減にしてよ!私も怒るよ!?」
「……」
「……」
私が黙ると沈黙が流れる。そりゃそうだ、この数十分音を立てて居たのは私だけなのだから。
これ以上何しても無駄だと諦め私もダンデくんと同じようにソファの背もたれにどすんともたれ掛かる。はー、普段あんまり触んないスマホいじっちゃってさ。何をイジケてんだか。
いい天気だし家中の換気でもしようかな。洗濯も良いけど今からだと乾ききらないかも。
そうやって窓の外を眺めていると不意に手を握られる。驚いて振り向くとやっぱり不機嫌そうな顔をしたダンデくんと目が合う。機嫌が治った訳では無い、と。
「なに?」
「……」
「どうちたんでちゅか〜、ダンデく〜ん」
「……」
「ごめんてば。……で、本当にどうしちゃったの?熱でもある?」
ふざけて幼児へ向けるような言葉遣いをし、思い切り睨まれてしまう。咄嗟に謝りながら、もしかしてと思いオデコに触れようと腕を伸ばすとムッとしながらすいと交わされてしまった。
本当に、一体何だと言うのか。
ダンデくんの表情はまるで、そう。他の兄弟はお小遣いを貰えたのに、自分だけ貰えなかった、みたいな子供の表情。よく弟がこんな顔していた。十歳くらいまでだったけど。
私がまた知られたら怒られる様な事を考えているとダンデくんの口がパクパクと動き出す。何か言おうとして止める、というのを繰り返しようやく一言。
「……チョコ」
「チョコ?」
「キミ、昨日作ってただろ」
「うん!作ったよ!」
自分でも結構良い出来だったんだよと付け加えると、さらに眉間に皺がよる。中々の迫力あるお顔になってますよ、ダンデさん。か弱い野生ポケモンなら見ただけで逃げ出す様な。正直、私も逃げ出したい。
また一段と低くなった声が話し出す。
「それ、どうしたんだ」
「え?」
「だから、その作ったヤツはどうしたんだ。冷蔵庫から無くなってたぜ」
「あ、うん……」
確かに昨夜は冷蔵庫に入れておいた。でも私のプリンとかゼリーとかのおやつを入れてあるゾーンの奥の方に入れたので気付かれるとは思わなかった。
わざわざ奥の方に入れたのは罪悪感があったとかでは無いし、よく冷える様にだし。本当だし……。
六つ焼いて、一つは昨日味見で食べて、今朝早くに三つラッピングして、二つはいつもより早めの朝ごはんにした。つまり今冷蔵庫には一つも入っていない。
ちなみに、ラッピングは想像よりも上手く行った。テンション爆上がりだ。今は爆下げだが。
「今日はどこに行ってたんだ」
「え?えっと……」
「チョコレートの甘い匂いがする。キミからな」
「うそ、本当?」
袖や髪を嗅いで見るけどいつもと何も変わらない柔軟剤の香りと、強いて言えば少しだけ良いトリートメントの香りがするくらい。
大体作ったのは昨日で、今日はラッピングしただけなのだからダンデくんの出任せなのだろう。と、気付いた時には腕を引かれすぐ目の前に鈍く光る瞳。それはなんだか、どろどろとした濃厚な蜂蜜の様な色をしていて。
「誰だ」
「え……?」
「浮気を許した覚えは無いが」
「う、浮気!?」
「そんなにオレはツマラナイ男だったか。努力を怠っていたつもりは無いんだがな」
「ちょ、ちょっと待って!」
「待たない」
「オレは自分のモノを盗られるのが一番嫌いなんだ」
だめだ、逃げられない。
****
身体が重い。そこら中が痛い。止めてと言ったのに文字通り身体中を吸われ、噛まれ、その他諸々。思い返すだけでも恥ずかしくなる。し、怒りも湧く。
喉も痛い。唇も痛い。他の場所も。もう散々だ。
今回の事は何も言わなかった私が悪いのかも知れない。けれど、だからと言ってこんな、ほぼ無理矢理の様な物だ。酷い、最低。
「このごーかんま」
「……まだ足りなかったか」
「違いますぅ!」
ふんだ、自分だけサッパリして来ちゃってさ。まあ今の私は動くのも動かされるのもしんどいので断ったのは私の方だが。なんなら私の断りを聞き、そうかと寝る体勢になったダンデくんを汚いからシャワーを浴びろと促したのは私の方だが。
隣に潜り込んできた途端に身体に巻き付いて来た手を抓る。ちゃんと話そうとしても塞いできたこんな腕、どっか行ってしまえ!触れてくるな!
ついでに唇も摘んでやる。コイツにも散々な目に遭わされた。仕返しに擦り付けられた顎髭が痛くてすぐに手を引っ込めざるを得なくなったが、私は怒っているのだから。
「自分が誰のモノかよく分かったか」
「私は私のだもん」
「……ほう」
「っもう、本当に無理っ!」
また動き出そうとする手を押し返す。この動作でもしんどいのだ。これ以上は本当に死んでしまう。私はまだ死にたくないし、腹上死なんてもっての外だ。
自分に出来る精一杯の睨みをダンデくんに向ける。
「嫌いになるよ!」
「……」
そう言うとダンデくんはムスッとした顔で渋々離れて行く。睨み付ける表情はそのまま、案外素直に利いたわねと拍子抜けする。いや別にこの先がしたい訳じゃ無くて、さっきまでのしつこさは何だったのかという対比だ。
はあ、と大きくため息を吐く。何でこんな事になっているのだ。おそらく原因は一つ。
「で?」
「……なんだ」
「ダンデくん、もしかしてチョコ欲しかったの?」
「……」
「どうなの」
あからさまに顔を逸らされる。はあ、まったく。本当にそういう事だったのか。チョコの話を出された時からまさかとは思っていた。でもまさかそんな訳無いと決めつけてしまっていた。
チョコが貰えると思っていたら貰えなかった。だからこの隣のデカい男は拗ねていたのだ。
「初めからそう言ってよ」
「……。……オレは別に欲しいとは」
「じゃあ要らなかったの?」
「……」
「でも私、毎年渡してないよね」
そう。私はバレンタインにチョコレートを作ったのは今回がスクール時代以来だった。
ダンデくんと恋人という関係になって数年が経つ。私はその間一度も、ああいや、一度だけ。付き合って一年目にお高いチョコレートは買って渡したかな。それだけなのだ。
「……キミが」
「私が?」
「キミが、バレンタインに何かを作るのは初めてだっただろう」
「まあ久々だったね」
「だから……オレのだと思ったんだ」
「いたたた!」
いつの間にか掴まれていた手首に圧力を掛けられる。今にも死にに行きますみたいな表情で見るのをやめて欲しい。私も道連れにする気なのか。
痛いと腕を叩いて力は少しだけ緩められたが、離れることは無い。まだ痛むけれど、まあいいか。
悲壮感漂う顔を見ながら、コレがよく人前だとにこやかに出来るなと感心する。
「でもさ、ダンデくん」
「なんだ」
「ダンデくん、チョコ……というか。甘いもの全般苦手じゃん」
「……」
「……」
沈黙は肯定を意味するって、昔の人が言ってた。
そうなのだ。ダンデくんは食事自体を面倒臭がる面がある。三大欲求の一つと言ってもダンデくんにとっては『生きていく上で仕方がないもの』という位置付けだ。栄養はサプリの方が効率が良いと自論を持っている。
つまり、食べるイコール面倒臭い食事でその中にお菓子やデザートは含まれない。間食する私を見て何度「よくそんなの食べられるな」と言って来た事か。
だから、まさか今回チョコを欲しがるだなんて思わなかったし、貰えないと分かってこんなに怒るだなんて思わなかったのだ。私は悪くない。
ダンデくんも怒りを向けるのは私じゃなくて過去の自分にしてほしい。そう伝えると何故かまたじとっと睨まれる。
「なに?」
「チョコうんぬんもそうだが、違う」
「どいうこと?」
「分からないのか」
今日のダンデくんは本当に面倒臭い。いつもみたいにズバッと言って欲しい。
バトルでも仕事でも腹の探り合いをしているダンデくんに私が勝てる訳がないのだからこれこそ食事よりも無駄な時間じゃないのか。というのは心に秘めておく。
それでもやっぱり一般人な私には心に秘めきる事は出来ずに顔に出てしまっていた様だ。またジワリと未だ掴まれ続けている腕が締め付けられる。
「キミが作ったチョコを、誰に渡したかが問題だ」
「ふむ……?」
「何処の何奴に渡したんだ。オレ以外の誰に、キミの心を入れ込んだ、世界で一つだけのチョコを、渡したのかと聞いているんだ」
「な、なるほど」
なるほどなるほど。そういう事だったのか!
自分以外への想いを込めたチョコを、自分以外の誰に渡したのか。それなら確かにさっき言われた『浮気』という疑いへもなんとなく理解出来た。
でも、どうしようか。素直に言ってしまおうか。相手が相手なのでもし怒りの矛先が相手に向かってしまった場合、今後のリーグ運営に響く事になるかもしれない。
ダンデくんは現在リーグ委員長。そんな私事を持ち込む事は流石にしないと信じているが、持ち込もうと思えば相手をどうにだって出来るのだ。それは、困る。本当に、困る。
私のたった一度の行いで、相手の人生を壊してしまうだなんて、そんな事があって良い訳が無いのだ。
「言えないのか」
「えっと」
「……どうやら、随分と熱心な様だな。相手を庇う程に」
「……そんな訳では」
「じゃあ名前くらい言えるだろう。オレが知らない奴なのか」
「知ってます……」
ダンデくんが知ってるからこそ言い難いのだ。その上仕事上でもかなり関わりがある。
言いたくない。でも上手くはぐらかす方法は見つからない。それにこれ以上この喉元に刃物を突きつけられた尋問に耐えることができない。死ぬ。
「早く言うんだ」
「……うぅ」
「聞こえないのか。誰に、わざわざ作ったチョコを、渡したのか。答えろ」
「……ト……ん」
「ハッキリ言うんだ」
こわいこわいこわい。ごめんなさい。名前を言うしかない。
もしリーグを追い出される様な事になったらダンデくんの通帳を渡してしまおう。それが私に出来る事だ。
「……さ、サイトウちゃん!……です……」
「……は?」
「サイトウちゃんに、チョコを渡しました……」
「……サイトウ。それは、ラテラルのか?」
「そうです……。ラテラルジムのジムリーダー、サイトウちゃんです……」
「…………」
「……うぅ」
ダンデくんが無言になってしまった。サイトウちゃんをどう追い出すか考えているのかもしれない。うぅ、本当にごめんね、サイトウちゃん。
私はただ、幸せそうに顔を緩ませてお菓子を食べるサイトウちゃんが可愛くて。バレンタインを楽しみにしていると聞きつけただけで。今日だって受付のスタッフさんが「沢山もらってサイトウちゃんも喜んでるわぁ」と言っていたのが嬉しくって。
ただ、それだけだったのに。
「うぅぅ……っ」
自分のせいでサイトウちゃんの居場所を奪う事になるなんて、考えてもみなかった。理不尽な事でガラルを追い出されるサイトウちゃんを想像し、涙が溢れてくる。
私がちゃんとダンデくんに報連相しなかったせいだ。死んで詫びるしかないのかもしれない。その時はサイトウちゃんの分までダンデくんを恨んで死ぬからね。
「……すまなかった!泣かないでくれ、オレが悪かった!」
「うっ、ううぅっ……うっ」
「つい強く当たってしまった。怖かっただろう。すまない、本当に」
ダンデくんがごちゃごちゃ言いながらぎゅうと抱きしめてくる。さっきまでの無理矢理された事を思い出し、更に涙が止まらなくなる。怖かったし、恐いのだ。今なおも。
「オレはてっきり他の男の事が好きになったのかと」
「……しぬ」
「何を言ってるんだ!?」
「もうむり、しぬ……」
「は!?おい、大大大か!?ナナシ!?……!」
ダンデくんの叫びを聞きながら、体力と精神と全てに限界が来た私はぷっつりと意識を失った。
****
翌朝。久しぶりに途中一度も目が覚めず、夢も見ないという快眠を果たした私は、暫くの間しおらしいダンデくんに付き纏われる事になる。
サイトウちゃんには理不尽な皺寄せが行く事もなく、これからも可愛らしいサイトウちゃんが見れそうだ。本当によかった。
けれどいつでも通帳は渡せる様に準備しておこうと思う。勿論ダンデくんのお金で。
バレンタインは過ぎてしまったけれど、ダンデくんには甘さ控えめのチョコケーキを焼いてあげるのも良いかもしれない。一気に食べれない様に少しパサパサ気味にして。
来年からはダンデくんが拗ねない様に、バレンタインは手作りチョコを上げなきゃだね。
2022/02/14