櫻の樹の下には

「今年も綺麗に咲きましたね、桜」

 コトブキムラの中でも一際大きい桜の樹。ムラを興す前からこの地を眺めて来たそれを見上げていると後ろから声をかけられた。
 振り向くとそこに居たのは特徴的なイチョウ商会の制服を身に纏った人物で。

「ウォロさん!こんにちは!」
「はい、こんにちは!」

 ウォロさんはそう返すと、この季節特有の少しだけ強い風に商会の前掛けをはためかせながらゆっくりと近づいて来た。僅かに風に乗り舞い散る薄桃色の花びらが、ただでさえ美人なウォロさんを儚げに演出している。
 なんだかそのまま何処かに連れ去られてしまいそうで、縮まった距離を良いことにそっと青藍色の袖を握る。

「おや、どうかしましたか?」
「あ、えっと。……何処かに行ってしまいそうで」
「ジブンがですか?」

 不思議そうな顔をするウォロさんに、あははと誤魔化し笑いながら桜を見上げる。
 ウォロさんの言う通り、今年も綺麗に咲き揃いそれぞれの枝が丸々と花を付けている。丁度今が見頃の満開だ。この樹の下の位置からだと晴れ渡った空もあまり見えないほどに、小さな花がまるで自分を見ろと主張する様子で群れている。

「本当に綺麗です」
「そうですねー!」
「はい!……でも、なんだか去年より桃みが強い気がします」

 記憶に残る一年前のこの樹は、こんなにも桃色が強かっただろうか。もう少し薄く、白の印象が強かった様な。
 まあ、記憶なんていうのはあやふやな物であって自分の主観によっても大きく変わる。内地に居た頃に親戚のおばさんがよく言っていた。だからこれも気のせいなのだ。

「気のせいではないかも知れませんよ?」
「え?」
「桜には古くから多くの言い伝えがありますよね」
「はい……何か関係が?」
「それがあるんです!」

 ピンと立てた人差し指を揺らめかせ、得意気に語り出すウォロさん。商人故なのか様々な分野に精通しているこの人は、ただのムラ人の私にも知識を惜しみなく披露してくれる事も多い。今の様に。
 それが楽しくて、面白くて、嬉しくて。でもいつか、私の方が何かの分野で一つでも多く語れる様になって驚く顔を見てやろうと目論んでいるのだけれど。……残念ながらその機会はまだまだ来そうにない。

「桜は綺麗な見た目に反して案外縁起が悪い話が多いんです!」

 例えば、庭に植えたらその家は繁栄しなくなるとか。例えば、咲いて散るまでが早いことから短命を意味するとか。例えば、散った後の花びらがすぐに色褪せることから心変わりを表すとか。
 例えば、戦乱の時代に鎮魂や慰霊のために植えられていたとか。

「鎮魂、慰霊……」
「墓場や戦場跡なんかは特に桜の樹が多く植えられているそうですよ」
「そう、だったんですね」

 すぐ側にそびえ立つ桜の樹と辺りを見渡す。この樹の他にもこの周辺には桜の樹がまばらに植えられている。もしかして、此処も。

「此処は墓場でも戦場でもなく、単に水害対策らしいですよ。安心してください!」
「あ、……それならよかったです!」
「ああでも。先程の物に関連する事なんですけど」

 ウォロさんがチラリと桜を見上げ、すぐに私に視線を戻す。その顔は僅かに片方だけ口角が上がっていて、少しだけ意地が悪そうな印象を受ける。
 あまり聞きたくない。でも聞くしかない。

「『桜の樹の下には屍体が埋まっている』。そう表現する作家も昨今は居るそうで。醜い人骨を吸って育つから美しいのだとか、或いは屍体の血を吸い上げ桃色の花を咲かすのだとかの話もあるんですよ!」
「し、屍体……人骨……、血…………」
「だからアナタが桃みを強く感じたのならこの一年の間に誰か埋められたのかもしれませんね!」
「そ、そんな……!」

 相も変わらず咲き乱れている桜を見上げる。その花びらの色は薄桃色で、去年となんの変わりもない。うん、そうだ。そうに決まっている。
 恐る恐る根元に変な盛り上がりが無いか、土を掘り起こした形跡が無いかの確認をしたりなんかしていない。私は何も気付いていないのだ、知らないのだ。

「ふふ、そんなに怖がらないで下さいよー!殆どが迷信ですよ!」
「わ、分かってますよ……っ!」
「まあでも。自分の屍体が桜をより綺麗に咲かせるのなら。そんな素敵な事他に無いと思いませんか」
「うっ、そう言われると……そんな気もして来ます……」

 ウォロさんの小さな呟きに頷きながら、なんとは無しに掌を宙に差し出す。するとすぐに一枚だけ、ひらりひらりと花びらが舞い落ちて来た。
 花びら一枚になってもこんなにも綺麗なのだ。確かにこれなら、ただ土に埋まって墓標を建てられるよりも桜の樹の養分になる方が幸せかも知れない。どれだけ縁起が悪いと言われたとしても、極楽浄土へ行けそうだ。

 まだまだ先のことを真剣に考えていると頭上で誰かが吹き出す音がする。

「…………ウォロさん?」
「あっはは!すいません!本当にアナタは単純で面白いなと!」
「ちょっと!どういう事ですかっ!」

 「ああまた口が滑った」なんて言いながら、それでも止める事なく大きく笑い続けるウォロさんをジロリと睨む。本当に失礼な人だ。ウォロさんじゃなかったら容赦なく手を上げていたぞ。
 ふうと大きく深呼吸をし苛立つ心を落ち着け、未だに笑うウォロさんに向かって口を開く。

「私が死んだらこの樹の下に埋めてくれますか?」
「っ、……は?」
「いや、埋めてくれますかじゃないですね。埋めてください!」
「……アナタ、どういうつもりで?」

 珍しく動揺を隠さないウォロさんに少しだけ良い気持ちになる。

「そのままの意味ですよ?」
「……アナタよりもジブンの方が先に死ぬとは考えないんですか」
「あ、そうか。じゃあその時は私がウォロさんの屍体をここに埋めてあげます!」

 私の言葉に眉を寄せたウォロさんを見つめながら、私は「でも」と言葉を続ける。この人はこんな表情もするのか。

「でも、なんとなくウォロさんて私よりも長生きしそうだなって」
「……」
「ほら、なんだかんだ図太くて狡賢いので」
「……喧嘩売ってます?」
「褒めてるんですよ!……そうだ、それから」

 ビシッとウォロさんに向かって人差し指を向ける。

「『私を忘れないで』ください!」
「……何故?」
「あれ?知らないんですか?桜の花言葉ですよ!」
「……」

 花言葉まではウォロさんも知らなかった様で、少しだけ面白くなさそうな顔をしている。やった、初めてかも知れない。ついに私は、ウォロさんに知識で勝ったのだ。悲願の勝利だ。

 ただ花言葉くらいは淑女の嗜み、と簡単に言えれば良いのだがそうでも無いない。実際はこの地方に来てから暇で暇で仕方がなく母が内地から持ち込んだ図鑑を読み耽って居ただけだ。
 その無駄と思われた時間と知識が初めて役に立ったのだから、もうなんでもいい。

 晴れやかな気持ちのまま樹の影から飛び出し、日向に出る。先程まで樹の下が暗いだなんて微塵も思わなかったけれど、直接太陽の光を浴びるとこんなにも晴々しく、世界が変わった様にさえ感じる。

 ほら。だってたった少し離れただけなのに、私とウォロさんの間にはまるで存在する世界が違うかの様に境界線が引かれたみたいで。

「ウォロさん!」

 桜の樹の影の中からこちらを振り向いたウォロさんに、私は目一杯笑いかける。
 私の周りを舞う桜の花びらで、少しは綺麗に見えているといいな。いつか、私を思い出す時。その時に少しでもウォロさんの記憶の中で綺麗で居たいから。

「私の事、忘れないでくださいね!」

 その言葉に何も答えず目を細めただけのウォロさんの心情を、私は一生知ることはない。



2021/04/05




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