櫻の樹の下で

*ウォロ視点
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 弱い風が吹いただけで薄桃の花びらは簡単に舞い散っていく。ああ、ようやく咲き終わるのか。
 村から街へと変貌したこの地を変わらず見守り続ける年季の入った大樹。今年もさぞかし街の人々を楽しませたのであろう。

 本音を言うとあまり得意ではないこの花の樹の元へ毎年足を運んでしまうのは。この季節になると酷く身体が重く感じるのは。いつまでも未練がましくこの樹に縛られているのは。
 小さく息を吐き出しながら緑が混ざり始めた樹を見上げる。

 ああ、彼女はこの花びらの中でどんな顔をしていたか。どんな声をしていたか。長い年月を過ごし細部はすっかり曖昧になってしまった。にも関わらず、その存在だけは消えることは無い。
 彼女との約束は随分前に果たしたというのに、軽い気持ちで掛けられたのであろう言葉は気付かぬうちに呪いとなり、いつまでもワタクシを縛り続ける。
 記憶の中の『彼女』がぼやけて行っても、『彼女』が薄れることはない。

 低い枝に付いていた一輪を摘み取る。こんな時期でも花びらが五枚揃っているだなんて、周りに比べて随分と出遅れたのだろう。ああ、そうだ。丁度この下には。

「あー!お兄さんお花摘んじゃったんですか?ダメですよ!」
「……ああ、すいません。つい綺麗だったの、で……」
「気持ちは分かりますけどねー」

 でも出来れば最後まで咲かせてあげてくださいねと笑い自分の横に並び立つこの人物は、彼女は。先程までぼやけていた記憶の輪郭が徐にハッキリとしていく。

「それにしても立派な桜ですね……!満開の時に来たかったです」
「……何故、来なかったんですか?」
「あ、私シンオウに住んでないんですよ!でもひいおじいちゃんが生前此処に住んでいたらしくって。で、いきなりお父さんが『シンオウに行くぞ!』って言い出してこんな時期に家族旅行です」
「……そうなんですね!」
「はい!なんでもひいおじいちゃんの妹さんが大切にしていた桜がこの辺りにあるらしいんですけど」

 女性はキョロキョロと辺りを見回し、その視線はやがて困った様子で此方を向く。
 無性に泣きたくなるほどその瞳には覚えがあって、思わず目を逸らしてしまいそうになる。

「こんなに沢山あるとどれか分かんないです……」
「此処は水害対策でかなりの数が植わっていますから。……その樹が見つかると良いですね」
「はい!あ、でもなんとなくなんですけど。本当に、なんとなーく、この樹なんじゃないかなって!」

 女性がそう言いながら目の前の桜の樹を見上げる。どうしてもその姿に酷く既視感を抱いてしまう。見覚えがある。同じ距離で見たのだ。
 無意識に握り締めていた拳を解く。こんなに緊張しているだなんて、らしく無い。早くこの場から離れたい、離れたくない。
 ワタクシは、ずっと。

「なんだか懐かしい気持ちになるんですよね」
「……は?」
「私今回初めてシンオウに来たんですよ?写真を見た訳でもなんでもないのに。なんでだと思います?」
「それは、」

 『アナタがこの樹の根元に埋まっているからですよ』。不意に口をつきそうになった言葉を慌てて飲み込む。
 この女性がどれだけ似ていようと、彼女では無いのだ。そんな事をいきなり言って、不審者にはなりたくない。

 言葉の続きを待っていた女性が痺れを切らしたのかそうで無いのか、戸惑う様に口を開く。

「あの、気持ち悪いかもしれないんですけど……。なんだか、その。貴方の事も知っている気がします」
「……、」
「私の事、貴方は知っていますか?」
「……」
「うわっ!」

 図ったようにこの季節特有の一際大きな風が吹く。枝が揺れ、花は散り。その自然が創り出す騒音に紛れる様に、目を瞑り風が止むのを待っている女性に向かって「覚えていますよ」と小さく呟く。
 曖昧になっていたというのは隠して。それを彼女が知ったら拗ねるだろうから。

「う、すごい風ですね。今何か言いましたか?」
「いえ!ジブンは何も」
「本当に?…………まあ良いです!ところでお兄さん、この後おヒマですか?」
「……何故?」

 ずいと人差し指を向けられる。かつてはワタクシの真似だと言っていたその仕草。魂に刻みつけられているとでも言うのだろうか。

「ふふ、お兄さんカッコいいのでナンパですよ!あとシンオウ地方に詳しそうなので!」
「それはそれは!アナタは随分とお目が高いですね!」
「わっ、じゃあ!」
「ジブンが知る限りのシンオウ地方に伝わる神話をご教授しますよ!」
「えー、それはちょっと面倒そうかも」

 そう言いながらも足取り軽く樹の影から飛び出す女性の後を自分も続く。
 あの時も今の様に影の外へ踏み出す覚悟が有れば何かが変わったのだろうか。彼女を悲しませる事もなかったのだろうか。ああでも。きっとあの頃のワタクシには何も出来なかった。
 過去があったからこそ現在が有る。未来が有る。これこそが人生。そうですよね、アルセウス。

「ジブンはウォロ、言うなれば遺跡マニアでしょうか!」
「げっ」
「アナタ何ですかその反応は。喧嘩売ってます?」
「いえそんな事は!えっと、私の名前は──」




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