上手く髪が巻けないと激萎えするよねって話
今日は朝から気分が萎えていた。それは何故か。理由は簡単、右側の髪が上手く巻けなかったからだ。
左側は自分でも褒めたいくらいに上手くできた。なのに右側は見事に失敗し、ただでさえ上手くいった左側と比べるとなんでなんでと泣き喚きたくなる。だがそんな事は朝の限られた時間の中で出来るはずもなく、なんとか見れる様に修正はしたつもりだがやはりどうしても気になってしまう。
いっその事結んでしまうかとも考えたが、上手く巻けた左側を無かったことにするのは憚られてしまった。
とは言ってもいざ出勤してみると、いつも以上に周りから視線を感じる様な気がして居心地が悪くなる。
自意識過剰なだけで実際はそんな事は無いし、そもそも私の髪型なんて誰も気にしていないのは分かっている。それでも中には『髪の毛巻くの失敗してるぷーくすくす』と笑ってる人も居るのかもしれないとどうしても疑心暗鬼に陥る。
こんな事なら左側が勿体無いだなんて思わずに結んで仕舞えばよかった。
耐えきれなくなった私はバッグの中のポーチを取り出し、絆創膏や目薬などの隙間に予備で入れておいたヘアゴムが入っているのを確認する。ついでにヘアピンも。今からでも遅くない。結んでしまおうと席を立ち、お手洗いへと向かう。
もっと上手く巻けるようになりたい。もう少し時間に余裕があれば。でもこれ以上早く起きるのはしんどい。今日は仕方なかった。いっそ切ってしまおうか。
そうため息を吐きながら広い職場の廊下を歩いていると、向かいからよく目立つ赤が歩いて来るのに気付く。
「お疲れ様です、オーナー」
「ああ!キミか。ご苦労様」
オーナーは一人で行動しているのかと心配して周りを見渡すと流石にタワー内は迷わないぜと笑われる。そうは言っても秘書課の人たちがあまりオーナーと関わりの無いウチの部署まで捜索に来たのは記憶に新しい。
その事を言ってやろうかとオーナーを見上げると、私を見るその視線までもが失敗した右側の髪を見ている様に感じてしまう。
女性の変化に無頓着かの様に思われるこの人はその実そんな事は決して無く、持ち前の観察眼で些細な変化にも気付いてしまう。それを口にするかしないかの判断が難しいと言っていたっけ。
そんな人が私の、やはり右側の髪に触れようと手を伸ばしてくるのだ。慌てて今から直しに行くからと言い訳をするために口を開く。
「あの、今日は失敗しちゃっただけで今から……ひっ!」
歪に弧を描く髪に触れる、かと思いきやその節くれだった手は髪をかき分け首筋に触れて来た。予想外の事に漏れ出た声を手で塞ぎ、何をするのかとオーナーを見上げる。
「な、なんですか?」
「ここ」
「……はい?」
「隠さなくていいのか?」
「え、何をですか?」
オーナーの質問に要領を得ない解答をする私に呆れた様に軽く息を吐き、オーナーがゆっくりと耳元に顔を近づけて来る。
わざとらしい息遣いを感じながら嗅ぎ慣れたヘアオイルの香りが鼻に付き、そういえば昨日私のを貸してあげたんだっけと思い当たる。
「昨日だ」
「っ、はい?」
「ああ、キミは覚えてないか?」
「シルシを付けてしまったんだが」
しるし、シルシ?シルシって何。昨日、昨日は珍しくオーナーが私の家に来て、ご飯を食べて、それから。あ。
全身の血液が顔に集まるのを感じる。あ、シルシ、シルシってそういう。印。付けられていたのか。知らなかった。気付かなかった。今朝はオーナーも居たからいつも以上に時間が無くて、髪を巻くのに必死で。
いつの間に、とは思わない。心当たりはあるから。でもそんな、今までそんな事滅多に無かったのに。本当に?もしかしたらあったのだろうか。
羞恥で顔を真っ赤にし、ぐるぐる思考に陥った私を面白そうに眺めていたオーナーがぽんと肩を叩く。
「まあ、オレとしてはその方がいいがな」
「…………かくしてきます」
「どうやって?見たところそれはメイクポーチでは無いし絆創膏はあからさますぎると前に言ってただろう」
「……」
「周りも気付いてると思うぜ。だったらいっそ上げたら良いんじゃないか?」
そう言いながらオーナーの手が私の髪を一纏めにする。正に今そうする為にとお手洗いに向かっていたのだが、……此処でオーナーと出会えて良かった。いや何も良くない。この人のせいで私は、私は同僚たちに。
朝から感じていた視線は自意識過剰なんかでは無かったのだ。絶対に見られていた。シャツの襟元から覗く赤い痕を。
にやにやととても大衆に見せられない様な笑みを浮かべるオーナーに蹴りを入れ、そそくさとお手洗いに入り鏡を確認する。
思っていたよりも目立つそれに項垂れ、蹴りだけでは無くあの綺麗な顔を叩いてやれば良かったと後悔する。
元々萎えていた今日の私は、ここから更に上手く巻けなかった髪をそのままに痕を隠さなければならず、いつか絶対同じ目に合わせてやると静かに怒りを募らせるのであった。
(キスの日ネタって事で!一応ちゃんと付き合ってます!)(ちなみに同じことしてやろうと後日キスマ付けようとするんですけど上手くできずレッスンされる事になり無事付けられたとしてもこの人にとっては何の問題にもなってないじゃん💢てなります)
2022/05/23