夢主に会いに来たけどヒヨって帰るウォロさんの話

*本編後






 恋仲と呼べる程の関係では無かった。ただ時々、お互いの欲を発散する関係ではあった。

 だから、少しだけ。ほんの少しだけ、他に比べて情が湧いていたのだ。

 商会を離れ、ムラを離れ、団を離れ。拠点というものは作らずその場しのぎの生活にも随分慣れ、ヒスイ中を渡り歩く日々の途中。ふと頭にその姿が思い浮かんだ。
 そういえば、そんな存在も居たな。そういえば、此処は彼女の住処に近かったな。そういえば、最近はそんな欲も湧いてなかったな。そういえば。

 ──彼女はワタクシの起こしたあらましを知ったのだろうか。

 こんな自分でも幾度か身体を重ねただけで情が湧いてしまっていたのだ。きっとお人好しな彼女も自分と同じ様に少なからず情は湧いているはずだ。
 彼女の全てを知っているとは言わないが、それくらいは分かる。だからこそ。

 ただ単純な興味。久々に感じるアルセウスと神話以外への好奇心。
 『ジブン』では無い『ワタクシ』を知った彼女は今、どうしているのかが少しだけ、ほんの少しだけ気になったのだ。


****


 随分前に手に入れた帽子を深く被り、首元に巻いた襟巻きで口元まで覆う。無論顔を隠す為なのだが、幸いな事に寒くなり始めたこの季節に他者への不信感は与えないだろう。
 久々に足を踏み入れるこの地は僅かに変化が見受けられる場所も有り、それだけの間自分は此処に、彼女の元に寄り付かなかったのだと実感させられる。
 だからと言って何を思うという訳でも無いのだが。

 変に目線を下げることもなく、あたかもこの地の関係者の振りをし足を動かす。堂々としていた方が人間は単純なもので案外怪しまない。
 漸く見覚えのある家屋を視界にとらえ、懐かしさすら感じながらそこへと向かう。

 玄関の前に立ったもののどう声を掛けるのかを全く考えていなかった事に気付き、人間と関わるのは久々だから、と言い訳の様に独りごつ。今までのジブンはどうしていたのだったかと記憶を辿っていると、庭先から人の気配がする。
 もしかしなくても彼女だろう。そうだ、別に声は掛けなくても良いのだ。少しだけ、彼女の姿が見れたら、それで。

 足音を立てない様にゆっくりと足を動かし、家屋の影に隠れながら顔だけを覗かせる。そこには想像していた通り、彼女は居た。

 そして、想像していなかったものを大事そうに抱えていた。

 見てはいけないものを見たかの様に素早く顔を引っ込ませる。平常より早鐘を打つ心臓を抑え、冷静に頭の処理を行う。
 彼女は、元気にやっている様だ。だがその顔には少しだけ疲れが見えた。ぱっと見ただけでは判断できなかったがもしかしたら窶れていたかもしれない。その原因は、間違いなくその腕の中に居たもので。

 自分の心臓の音と、呼吸音、唾を飲む音が耳に響く。正直、ここまで動揺している自分自身に驚いている。

 ──今見たものは、現実なのだろうか。

 ゆっくりと体内の空気を入れ替え、もう一度顔を覗かせる。
 そこには当然だが先程と何も変わらず、彼女が居た。時たま腕の中の存在に微笑み掛けている。やはり、少しばかり肉は落ちたか。だがそれは病的なものではない。

 そうか、ワタクシはそれだけの時間を一人で過ごしたのか。新しい人間が誕生してしまうほどに。
 考えてみれば十月十日なんてあっという間だ。あの余所者に全てを壊されてから既に季節は一周している。人間一人が生まれていても何も不思議なことでは無い。
 ワタクシが一人で居る間、彼女はワタクシ以外の人間と身体を重ね、そして母となった。

 彼女はもう、自分の知る彼女では無い。

 何故だか鉛の様に重くなった身体をゆっくりと動かし、静かにその場を去る。
 自分のこの感情は何なのだろうか。何故こうも足取りは重く、胃はむかつきから痛みを訴え、鼻はまるで水でも含んだかの様につんとするのだろうか。

 酷い顔をしているのが自分でも分かる。帽子に手を掛けより目深に被りながら先程とは打って変わって下を向きながら歩く。
 ああ、どうしていつもこうやって惨めな思いをするのか。惨め?いや違う。これは、落胆。彼女への。ワタクシは、何を期待していたのか。分からない。何もわからない。
 昨日までの、ここに来るまでの自分が何を考えていたのかすらもう分からない。理解できない。

 所詮ワタクシも、馬鹿な人間の一人だったのか。それも、分からない。


****


「あう?」
「……あ、ごめんね。なんだか誰かが居たような気がして」
「う?」
「そうだよね、近所の人なら声を掛けてくれるもんね。……だから」
「あー」
「ふふっ。もしかしたら、あなたのお父さんかもね」




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